Chapter.009 ジェームズ商会のボンドⅢ

 かくしてたった一本の電話から開始された今回のミッションは、しかしその全容を語るには、少しずつ時計の針を進めなくてならなかった。

 まずは本部からの指令書の精査である。

 一般の商社であっても同様のことであるが、まずクライアントから注文を受けたら見積書を作成して内部コンペに掛けねばならない。その中で最も優秀なひとつを採用し、詳細な工程計画から費用を算出するのである。

 今回の場合、局長を指名してきているのだからコンペの必要はない。しかし実際の行動計画に関する詳細データを事前に提出しなければビタ一円たりとも予算は降りないのだ。

 ましてや今回使用する盗聴器からして、計画に最も相応しいと思われるものを選んで必要数発注しなければならない。もちろん市販品の使用も制限されてはいない。

 だが七之助は今回『WTO』が製造している自社製品を使うことに決めた。

 数多ある電子カタログの中から雨衣とふたり、まるで結婚披露宴の引き出物でも選んでいるかのような光景である。

「これがいいな」

「えーこっちにしようよ。可愛いじゃん」

「――崇道さん、そういう基準で選ぶのやめてもらえます?」

 また今回の作戦には色々と『仕込み』が必要だった。その大部分が雨衣の職能によって賄われようとしているのだが、その見返りに今度の週末『ガチムチの恋』という観たくもないロードショーに付き合わされることになった。

 そして今回、ミッションを行う上で最大の難関となり得るのが――。

「セキュリティか……」

 ふたりはいま潜入先となる企業ロックカンパニーの社屋案内図を閲覧していた。

 一階ロビーにある受付けの右手側、ちょうどエレベーターの入り口付近にまるで空港の税関のようなセキュリティゲートが存在した。その両脇には屈強なガードマンが仁王立ちしており、まさに国際社会を切り開いている貿易会社の面目躍如である。

「やっぱり海外と取り引きしてるからテロには敏感みたい。今回使う盗聴器は、全部『WTO』の開発部のものだから見つかる心配ないんだけど、通信回線をジャックするツールとそのブースターは金属探知機で引っ掛かるかも」

「それ抜きじゃできないのか?」

「システムエンジニアにでも化けて屋内の有線に直接仕込む?」

「ゲートを通さなきゃいけないのは一緒か」

「そういうこと」

「かといって忍び込むのもなぁ」

「見つかったときのリスクはゲート以上ね」

「ふむ。空港並みのセキュリティとガードマンかぁ…………あ!」

 手詰まりかと思われたそのとき。

 七之助に頭脳にあるアイデアが降ってきた。それは昨日『キングスマン』で出会ったナタリー・ポートマン似の美人と、『ガチムチの恋』という謎しかない映画のタイトルとがヒントになっていた。

 このようにしてスパイの行動計画は決まる。世間様が思うよりも地道な作業が延々と続くのがこの商売である。七之助がそれに気づいたのもまた『WTO』に入ってからだった。

 あとは雨衣の『仕込み』と発注した商品の到着、そして七之助の身体から酒が抜けるのを待つばかりであった。


 日を改めた作戦決行日の午前中。朝礼やミーティングをこなした社員たちがいい感じにダレてきた頃合いを見計らって七之助はやってきた。

 彼の眼前にはロックカンパニー株式会社の社屋がある。資本金一億五千万の社員四百人を抱える貿易会社だが、自社ビルといってもそこまで巨大な建物ではない。

 ガラス張りのエントランスは広々としていて実に機能的だ。受付のお姉さんたちも揃いのユニホームに身を包んで綺麗である。

 さすが表向きは東南アジアとのパイプを誇る優良企業といったところか。

 七之助といえばいつもよりカッチリとしたグレーのスーツと少し大きめに結んだネクタイをして、清潔感を強調するように眉も綺麗に整えていた。

 雨衣に言わせれば輸入車ディーラーのセールスマンみたいだと。

「眼鏡とかで変装しなくていいの?」

 姿見の前で雨衣にそう問われた七之助は、出陣前に営業スマイルのウォーミングアップをしながら持論を展開した。

「営業は眼鏡を掛けちゃダメだ」

「どうして?」

「つねにレンズ越しで相手を見るから心に距離が出来るんだ。どんなに明るく接しても商談相手が信用してくれないことがある」

「へぇ~。でもさっき眼鏡選んでなかった?」

「オフィスに入ってから使うんだよ。眼鏡を掛けると相手に没個性的な印象を与えるから話しかけても『なんか眼鏡の奴』としか記憶に残らない。嫌な上司に目をつけられないようにするのにも応用が利く」

「そうなんだ」

 雨衣が素直に驚いたという顔をすると「真に受けんなよ」と七之助は笑った――。

 七之助がアタッシュケースを手に社屋の中へと進むと、カウンターに座るふたりの受付嬢は一度席を立っておじぎをした。

 お互いに「おはようございます」と挨拶をすると七之助は懐から名刺を出した。

「ジェームズ商会の梵門ともうします。十一時に総務課の大森さんとお会いする約束をしているのですが」

「お待ち下さい」

 受付嬢は笑顔で応対をすると手元にあるタブレット端末を操作して、その日の訪問予定者を確認した。

「……申し訳ございません、ジェームズ商会さま。本日、大森とのアポは一件もないのですが……」

「え!」

 七之助は大袈裟に反応した。手にしたアタッシュケースを一度カウンターに置くと、意味もなくスーツの胸元を弄った。

「あれっ。おっかしいな。日にち間違えたかなぁ。確か貰った名刺の裏にメモが――」

 などと猿芝居をしていると気を利かせた受付嬢のひとりがインターフォンを手にしていた。

「ご確認いたしますので少々お待ちいただけますか」

「あ、申し訳ないですぅ」

 しばらくすると受付嬢の口から「エントランスです。大森係長はお見えですか?」という極めて事務的な質問がなされていた。

 どうやら雨衣の『仕込み』がきちんと働いているらしい――。

「どう? アポ取れた?」

 長々と営業の電話をしていた七之助に雨衣は問うた。

 作戦決行の数日前、『WTO』本部からの指令を勝手に受領したあの日のことである。

 七之助は久しぶりの営業トークに全身を高揚させていた。

「ダメだ! やっぱりあの親父ハナっから契約するつもりねえ! なのにまあアレやコレや根掘り葉掘り聞いてきやがって。仕入れの二掛けとか足元見てんじゃねえっての。ああいうのがいるから日本経済が先細ってだな」

「なに本気で物売ろうとしてんのよ」

「あ――。ま、まあそんなことより大分録れただろ? ああいう窓際のおっちゃんは普段誰とも喋らないし仕事も回って来ないから、ここぞとばかりに時間を潰そうとすんだよ」

「あらそうですか~」

 雨衣は七之助の話を半分受け流しながらパソコンを操作していた。そこに表示されていたのは音声解析ソフトと先ほどまで七之助と舌戦を繰り広げていたロックカンパニーの大森某の音声データである。

「うん。かなりの単語と声紋パターンが録れたから――出来るよ、音声合成」

「それはちゃんとおっさんの声で喋ってくれたりその~」

 雨衣はまたしても有無を言わさないスピードでキーボードを操作すると、七之助にも分かるように「KON NI CHI WA」とタイプした。

『こんにちは』

「おお! パソコンがしゃべった!」

 長電話によるボイスサンプリングと音声合成によって、雨衣は大森某の声で会話する文章読み上げソフトを生み出した。

「あとはジャックした回線からリアルタイムで文章を打ち込むから、必ずこのスマホをインターフォンの近くに置いておいて――」

 スマホはアタッシュケースの中にある。

 不自然にならないようにケースごとカウンターへ置けば、付近五メートル圏内の通信電波を占拠することが可能だ。いま『WTO』日本支局の事務所では、雨衣が大森某を語って七之助の目の前にいる受付嬢と語り合っているところである。

「お待たせ致しました、ジェームズ商会さま。失礼致しました。弊社に手違いがございましたのでどうぞお許しください。大森は三階・総務課の応接室でご面会致したいともうしておりますのでそちらへお進みください」

 深々とおじきをした受付嬢は右手を真っ直ぐに伸ばし、七之助から見て上手のほうを指し示した。そこには館内を上下に往来するエレベーターが二基と、空港並みの精度を誇るセキュリティゲートが存在した。

 ゲートの両脇には屈強なガードマンが立っており、それぞれハンディ探知機を手にまるで東大寺の仁王像の雰囲気を漂わせている。

「お世話になりました」

 七之助は受付嬢にお礼を言うとアタッシュケースを一度開けた。そこには綺麗に並んだ大量のボールペンと、『Good Luck!』と表示されたスマホがあった。

 七之助はボールペンを二本取り出すと笑顔をつくり、ふたりの受付嬢に「良かったら使ってください」と手渡した。

 第一の関門はクリアした。

 次はいよいよ難関のセキュリティ越えである。

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