正しい世界樹の育て方

真野てん

プロローグ

Chapter.000 “セッテ”

 砂漠の夜は冷える。

 体感気温にして氷点下七度の世界。髭も凍るほどの極寒である。灼熱の太陽に焼かれている昼間との温度差はじつに五十度を超える。辺りはまるで別の惑星のようだった。

 肺を満たす空気もまたナイフの切れ味だ。一息するごとに口腔を血の匂いがさらっていく。

 だがそれすらもここでは「生きている実感」なのである。

「“ジョン・ドゥ”からチャプターゼロへ。聞こえるか。感度良好なら手を振ってみせろ」

 不意に入った通信に、冷えた鼓膜がギシギシと震えた。

 チャプターゼロと呼ばれた髭面の男は、寒さに震える右腕を頭上に掲げてみせた。

「了解した。それではプランを確認する。本ミッションは人質奪還作戦である。君は『対象』が監禁されているとみられる犯行グループのアジトへ潜入し、これを奪還せよ。無駄な戦闘は極力回避したまえ『ニヴルヘイム』への負担は最小限に食い止めるんだ。あくまでも救助が目的だ。繰り返す。『対象』を救出後、速やかに脱出せよ。分かれば手を振れ」

 チャプターゼロはそれに従った。

 一体どこから見られているのか――不気味ではあるが彼は疑うことを自戒していた。

「了解したチャプターゼロ。ちなみにそこからアジトは見えるか? ニキロ先にある石造りの要塞だ。十七世紀の民族紛争で建てられた砦だそうだよ」

 すると彼は羽織っているポンチョの懐からライフル用のスコープを取り出して、およそ四百年の歴史をまとった威容を確認した。

 砂上にありながら決して崩れることのない堅牢な楼閣。四隅にそびえ立つ石塔と、それらを繋ぐように伸びた回廊とで構成されていた。電気の通っていないこの砂漠の中にあって、夥しい数の松明でもって闇夜に浮かび上がっている。

「チャプターゼロ。本ミッションの成功をもって、君には“セッテ”のコードネームが与えられる。今度こそ正式な『WTO』のエージェントだ。頑張りたまえ。なお以降の通信は傍受される恐れがあるので、緊急時にはハンドサインを使用するように。必ず確認する。オーバー」

 一方的に通信が切られると、彼は耳の中からワイヤレスイヤホンを取り出し、広大な砂漠の中へと投げ捨てた。やおらゆっくりと立ち上がり、目的の場所へと歩き出す。羽織ったポンチョが寒さに凍り、動くたびにパキパキと音を鳴らした。

 砂の窪地にうずくまり日中から体力を温存していてもなお、風よけのなくなった大地を進んでいくのは困難だった。

 砂漠の風はすべてをさらっていく。水、草、土、そして命さえも。

 ここは『あの場所』とは対極の位置にあるのかもしれない――そんなことを考えていた。

 中東の片隅にフルギスタンという小国がある。

 いま彼が歩いている砂漠がそれだ。この国はいま情勢不安下にあり、軍によるクーデターが引き起こされている。軍を統括しているのは将軍タリタリという男。彼はフルギスタンの英雄で、政府機関ですらおいそれと干渉出来なかった。

 一方、南米はエルサルバドルの隣にバルージャという村があった。

 しかし村とは名ばかりに、その周辺三カ国を実権支配しているのはバルージャの長であるガフロ・ベネッティオだと言われている。ガフロは南米でも有数の麻薬王であり、誰も手が付けられない存在である。

 ガフロには後継者と目される一人息子がいる。名をミゲルと言った。

 ミゲルはバルージャのビジネスを拡大させるために単身フルギスタンへと渡る。そこで事件が起きた。クーデターを起こした将軍タリタリが、軍資金欲しさにミゲルを拘束したのだ。

 タリタリはガフロに対し、総資産の三分の一を身代金として要求した。

 これに激怒したガフロはすぐにフルギスタン政府へ抗議した。

 しかしフルギスタン政府では、将軍率いる軍に交渉することすら出来ない。

 業を煮やしたガフロはついに周辺国に圧力を掛け、軍隊を動かすとフルギスタン政府に最後通告をした。そこで進退極まったフルギスタン政府は、国際諜報機関のひとつである『WTO』に人質ミゲルの奪還を要請したのである。

 チャプターゼロは、いまその任を受けニキロ先の目的地へと向かっていた。

 しばらくして砦に辿り着いた彼は、いま一度その威容を目の当たりにした。頑健な石造りの城門は近代の重機をもってしても容易には突き崩せないだろう。しかしこの歴史ある誇り高き建造物も、いまではただの蛮勇に占拠されていることを思うと胸が痛んだ。

「おい! そこの男止まれ!」

 砦にはふたりの歩哨が立っていた。その内のひとりが最新型とは言い難いとても使い古されたライフルの銃口を、チャプターゼロへと向けている。

 彼は寒空の中、足を止めた。

「手を挙げろ! 妙な真似はするな!」

 彼は言われるままに両手を挙げる。すると同時にポンチョも上へと引っ張られ、当然ながら懐が露わになる。ずっとポンチョに隠れていたが、彼は首から短機関銃をぶら下げていた。

「その武器はなんだ! どこの軍だ! 敵か!」

 彼は一言も返さなかった。

 ただ全身を寒さに打ち震わせて、座ることも進むことも出来ずにいる。

 するとふたりいる歩哨の内、髭面にターバンを巻いた男が近づいてきてひどい訛りでチャプターゼロに話し掛けてきた。

「おめさん、どごさ出身だ? わだ村さペッシだげっども、近所さ違わねげ?」

 チャプターゼロは彼を値踏みするように視線を送ると、ようやく一言絞り出した。

「ノ、ノーラッド」

 寒さに凍える身体を止める術も持たず、ただただ声の震えるままに答えた。すると訛りの男は慌てて自分の羽織っていた毛布を彼に掛けたのだった。

「隣村でねえか。どうしたんだべ、ハァこっただとこまでよう」

「おい何だ! また難民か? だったら追い返せ!」

「馬鹿こくでねえぞ! 追い返せる訳ねえっぺよ! ええい、そごさ去ね!」

 訛りの男は、もうひとりの歩哨を黙らせると彼を砦内へと招き入れた。こうしてチャプターゼロはろくなボディチェックも受けずにまんまと目的地へ潜入したのだった。事前に難民が出ていることは調査済みだった。またフルギスタンのひとたちは情に厚いことで知られている。

 砦内に通されたチャプターゼロは、まずは身体を温めるためのスープを貰った。

 肉も野菜も入ってない塩だけで味付けされたスープだ。ひどい味だった。舌がおかしくなりそうなほどお粗末なものだったが、不思議と心が和んだ。

 それがひとの優しさが生んだ味だと分かったとき、自然と涙が流れた。

「よっぽど辛かったんだべ。涙までしてよぅ。おめさんここまで歩いで来たのけ?」

 訛りの男の問い掛けに無言で頷くと、彼はポケットから数枚のコインを出した。

「やめれやめれ! そんな野暮なごとすんねい。同郷でねっか。今頃お国じゃソバの実の採れる時期だすけねぇ」

「いや……もらっでくんなせ。死ぬがと思ったんですけ。もらっでくんなせ」

 あまりにしつこく渡そうとするので、訛りの男もついには折れた。握りしめたその手はあかぎれで膨れていたが、何よりも温かかった。

「わだ村さ、ソバの実さ作ってたんだけども。戦で畑さ焼かれて……この銃さ敵から掻っ払って逃げて来た。もうどこにも行ぐとこなんかねえ。もう将軍ざまんとこしか――」

「……そうかそうか。せばもう安心してけれ。ここさいだら金には困らんなるけ」

「え――」

「金なんぞこれから腐るほど手に入っとぞ」

「そ、それはあの身代金のことを……」

 将軍タリタリとはそれほどに愚かだったのか――チャプターゼロはそう思わずにはいられなかった。たったひとりの人質を取っただけで、末端の兵士にまで財が回るとでも本気で考えているのだろうかと。

 否、そうではない。彼は戦争を回避する意思が最初からないのだ。

 身代金というのは口実で、本当の目的はガフロのすべてを根こそぎ奪うこと。弱腰の政府との交渉をはね除け、ミゲルを戦争の理由にするつもりである。

「身代金? よぐそんなこと知ってだな。いや違う違う」

 訛り男の言葉に確信を得たような気がした。

 ならば作戦変更だ。将軍をこのまま放置しておけば、いずれ厄災の種となろう。大勢の無辜の民が犠牲となれば『ニヴルヘイム』にも被害が及ぶ。

 将軍は『ニーズヘッグ』だ。始末せねばなるまい――ここまで考えてチャプターゼロがハンドサインによって“ジョン・ドゥ”に作戦変更の連絡を送ろうとしたときであった。

「あのボンボンが金儲けの話さ、将軍に持って来たんだすけ」

 チャプターゼロの手が止まった。

 ミゲルが将軍と取り引きを――なぜ?

 誘拐事件では無かったというのか。ならばどうしてミゲルはこの場所を離れようとしない?

 それとも拉致監禁は本当のことで、自ら何かを交渉したとでも言うのか?

 どうやら『WTO』が得ている情報と現状とでは、著しい狂いが生じているようだ。このままでは作戦続行も危ぶまれる。だが彼にはこのミッションを成功させねばならない理由がある。

 そう。“セッテ”の名を手に入れるために。

「おい、おめさん。どうしたんだべ。顔色さ悪いぞ」

 訛りの男が心配そうに彼の顔を覗き込んでいる。

「あ、兄しゃんすんましぇん。そのミゲルって御仁はいまどこさ行けば会えるんで?」

「なしてそっただこと聞くだぁ」

「か、金儲けの話さ聞きたぐって」

「……そういうことだばええけど、あまり怒らせっじゃなかぞ、気が激しいけえ」

 訛りの男が言うにはミゲルは別の棟にいるらしかった。砦の外周を構成する回廊をぐるりと回って反対側へ。砦の最南端にある大きな塔がミゲルの居場所である。

 その塔というのは、砂漠の待機場所からでも煌々と夜空を照らしていたのが確認出来た場所である。電気も通っていないこの砦内にあって、まるで王族でも住まわせているかのような贅沢さだ。訛りの男たち兵士などは、まさに爪に火を灯す生活だというのに。

「せば――」

 チャプターゼロは訛りの男に別れを告げて、回廊へ向かおうと立ち上がる。

「待で」

 訛りの男は、彼がこの場を離れようとするのを見咎めた。

 さっきまでの人懐っこさは次第に姿を消し、徐々に疑いの眼差しを鋭くした。

「さっぎの身代金の話さどこで聞いただ? それによぐ見たら本当に生っちろいべ」

「あ、兄しゃん……」

「おめさん、本当に村の子か?」

 訛りの男の指先がライフルの引き金に掛かった。

 彼だけでは無い。周辺に集まってきていた砦内の兵士たちが皆、鋭い眼光をチャプターゼロに放ってきている。身動ぎひとつが命取りになりかねない。

 返答は慎重を喫した。

「兄しゃん……ソバの実がそろそろ」

「ソバはノーラッドじゃ育たねえ」

 訛りの男は寂しそうにそう言うと、銃口をチャプターゼロに向けた。

 ゆっくりと手を挙げた彼は、抵抗の意思を見せないようにそのまま地面へと手をつこうと頭を下げた。低くなった姿勢を見て、後ろにいた兵士が近づこうとしたときだった。

 チャプターゼロは近づいてきた兵士を後ろ向きに蹴り飛ばした。

 途端に銃声が鳴らされる。まるで警鐘のようだ。

 チャプターゼロは振り向きざまに、顔全体を覆っていた付け髭を剥がした。するとそこには精悍な顔つきをした東洋人の姿が現れる。

「おっちゃん! 騙して悪かったな! スープ最高だったぜ! あばよ!」

 彼は訛りの無い流暢なフルギスタン語を披露すると、行く手を阻む弾幕の中に消えていった。無謀とも思える突進であったが、敵の銃弾はなかなか彼を捉えることが出来なかった。ただでさえ高速で動く標的には照準が合わせ難い。加えて骨董品と化した彼らの武器では、チャプターゼロのポンチョを焦がす程度が関の山だった。

 銃声を聞きつけたのか、どこへ行っても次から次に兵士が湧いてくる。なるべく戦闘を避けたい彼は、ひとりの兵士を肉弾戦へと誘い込みこれを撃破。気を失った兵士を物陰に隠すと、身ぐるみを剥いで自分のポンチョと交換した。

 まるでアラビアンナイトに出てくる盗賊のような衣装だ。

 ゆったりとした長い羽織りを、腰布で絞って身につける。頭部にはシュマグを巻いて髭の無くなった顔を覆い隠した。

「おい! 賊はあっちだぞ!」

 近くにいた兵士に対して適当にそう言うと、彼は悠々と回廊を歩き始める。

 改めて散策する回廊は薄暗く、そして物悲しい。造形の無骨さも然ることながら、そこに住む人々の生気が感じられないのだ。

 この国の抱えた問題というのは簡単な民族紛争だけではない。貧困や差別、諸外国からの搾取に起因するものである。それを是正しようと立ち上がったのがこの砦の主、将軍タリタリであると聞いていた。しかしこの有様を見ると、偉大な英雄像は脆くも音を立てて崩れていきそうだ。

 そしてチャプターゼロにはもうひとつ気になることがあった。

 この砦には女性がいないのである。確かに軍隊を構成する関係上、そして彼らの宗教上、女性が側にいることはあまりいいことではない。ましてや革命の英雄ともあろう男が、色欲におぼれていては軍を統制することなど出来ないだろう。

 しかし給仕の使用人すらいないとなると、少々気になるところである。

 目的の塔を目指して回廊内を進んでいくと、無数の柱が並んだ場所に出た。訛りの男から聞いた話から推測するに、この先がミゲルのいる塔であるらしかった。

「待で!」

 聞き覚えのある訛り言葉がして、柱の後ろからひとつの影が現れる。無論、彼である。

 訛りの男はライフルを構えながら、チャプターゼロの前に姿を見せた。

「変装したって俺には分がるぞ。あのボンボンとこ行ぐんだべ」

 チャプターゼロはおもむろにシュマグを解いて、彼に素顔を晒した。

「あの言葉はどごで覚えた? あの訛り方はただごとでねえぞ」

「むかし中東を旅してたとき、一ヶ月くらいルームシェアした奴がいてね。あんたと同じペッシ村の出身だと言っていた」

「ハァそれでか。まんまと騙されてござる。わっるい奴だ」

「だからさっき謝ったじゃない」

「いんや! フルギスタンの男は名誉を重んじる。簡単に許す訳にはいがねえ」

「じゃあ――どうするの」

 チャプターゼロは裾の長い民族衣装をめくって腰裏に手を伸ばした。訛りの男からは見えない位置だ。しかし彼の銃口は依然としてチャプターゼロを捉えている。

「許して欲しいけ?」

「ものすごく」

「もう悪さはしねえだか?」

「善処します」

 訛りの男は「うーん」と一言唸りを上げると、意を決したように銃口を下げた。

「去ねい。することのあっとやろ?」

「え? いいの? マジで?」

「賄賂も貰ってしまったからな。フルギスタン人は義理堅ぇんだ」

 訛りの男はあの人懐っこい笑顔をチャプターゼロに向けた。

 今度こそ本当の別れだと、ふたりは握手を交わして別の方向へと歩き出した。

 遠ざかる訛りの男の背中は広く大きく見えた。名も知らぬ異国の戦士に、真の男らしさを見た気がする。

 彼はそのまま回廊を最南端へと突き進んだ。不思議なことに訛りの男と出会ったのを最後に、砦内で人っ子ひとり出会わなかったのである。

 いま彼の目の前には白石の塔がそびえ立っていた。

 煌々と照らされた松明の数は、簡単には数え切れないものがある。それこそニキロ先からでも確認の出来るそれは、電気の明るさと何ら変わることが無い。一体、月の照明代にどれだけの金額が消えているだろう。

 護衛すらひとりも見えない塔の入り口だが、さすがに鍵だけは掛かっていた。チャプターゼロは周囲を隈なく確認すると、ここでようやく短機関銃の引き金に指を掛ける。タタタンっと軽快な連射音を響かせて、銃口が火を噴いた。

 鍵とヒンジを破壊したチャプターゼロは、ドアを蹴り倒して塔内へと侵入する。

 待ち伏せに備えて右を見ながら左に銃口を向け、上を見ながら下に銃口を向ける。やはり攻撃はない。ばかりかあれほど執拗だった追撃の様子もなかった。

 訛りの男はミゲルのことを「気が激しい」と評した。すると周囲から疎まれているか、もしくは自らひとを寄せ付けていないと考えられる。

 いずれにせよそれならそれで好都合だ。あとは事実のほどは何にせよ、ミゲルの身柄を連れ出せばミッションクリアである。チャプターゼロは晴れてコードネーム持ちとなる。

 しばらくして二階へと続く階段から、白い煙が漂ってきた。

 塔の入り口が破壊されたせいで、上階の空気が吸い出されているらしい。

 チャプターゼロは短機関銃から武器をハンドガンへと持ち替えた。さきほど訛りの男に対して使うのを躊躇していたものだ。ずっと腰裏に挿して隠し持っていたのだが、砦の城門で訛りの男に出会わなければボディチェックで奪われていたかもしれない。それもあって小銭を握らせていたのだが、予想外の効果があった。

 階段をあがると白煙はもっと濃度を増していた。

 それは部屋の至る所に置いてある香炉から吹き出していた。壁にはいくつものキャンドルが掲げられ、それこそ都会のオフィスに負けないくらいに明るい。一体どれほどのろうそくが使われているのか想像もつかなかった。

 目が慣れてくると白煙の間に人影が見える。それもひとりやふたりではなかった。床に広がる夥しい数の人間が確認できた。それも皆、裸の女だらけだった。眠っているだけなのだろうか。時折、身動ぎをする者もあった。

「ずいぶんやかましいな。どこのどいつだい?」

 白煙の中から緊張感の無い声が飛んできた。

 聞こえた方向に脚を向けると、そこには上半身を晒したミゲル・ベネッティオの姿が確認できた。彼の両脇にはこれまた衣服を着ていない美女がふたり。呆けた表情で、ミゲルにしなだれ掛かっている。テーブルも床も、食い散らかされた酒や食べ物で散乱としている。

 チャプターゼロは銃口を下げると、深いため息を吐いた。

「ミゲル・ベネッティオだな。俺は『WTO』のエージェントだ。あんたを迎えに来た」

 するとミゲルはそれを一笑に付すと、ワインを一口煽った。

「『WTO』? 俺を迎えに来た? 一体誰が? 何のために? 俺は好きでここにいるんだぜ。どっかの誰かに連れて行かれる謂れはねえ!」

「フルギスタン政府から奪還要請が出ている。このままじゃあんたの親父さんとこの国が、戦争になるんでな」

「いいじゃねえか戦争。上等だよ。俺はそのためにここに来たんだ。タリタリと組んで、親父をぶっ潰す。元々そういうビジネスなんだよ、これは!」

「なに?」

「いいか、俺はな。いつまでも親父の陰に隠れてクソみたいに怯えて暮らすのは嫌なんだよ。息子のために全財産の三分の一も払えないような外道なんざ、こっちから願い下げた! 奴の金は全部、俺のもんだ。ああ、いつか手に入れてやるよ。だがまずはこの国の王になってやる。この国には金のなる木が植わってんのさ」

 ミゲルはくんくんと鼻を鳴らした。右を嗅ぎ、そして左を嗅いだ。

 さらに美女たちの顔面をベロリと舐めると、狂ったように笑い始めた。

「分かんねえか? 大麻だよ! 唸るほどの大麻だ! ここの女どもを見ろよ。どいつも大麻にメロメロだ。こいつがあればどんな女だってケツ振ってきやがる。売りさばきゃ金だってあっという間さ。タリタリにはミサイルを買ってやると約束してやったよ」

 もはや正体を無くしたミゲル・ベネッティオは、チャプターゼロの姿が見えているかも怪しい状態だった。吸い続けた大麻の魔性が、彼と彼の周りにいるものを蝕んでいる。

「つまり誘拐事件は自作自演か」

「どうだったかな……先に俺が誘拐されてから契約を……あれ? もう分かんねえや……」

「身代金が支払われようと、そうであるまいと将軍は戦争を仕掛ける計画か」

「将軍さまは人殺しが大っ好きだからなぁ! 政府の和平政策には吐き気がすると言っていたような言ってないような――」

 その言葉を最後にミゲル・ベネッティオは気を失った。

 チャプターゼロは「やれやれ」と一言悪態を吐くと、彼の身柄を拘束するため脚を一歩前に出した。しかし恐ろしく身体が重くなっていることを実感する。どうやら大麻を吸い過ぎたようである。慌ててシュマグを顔に巻きつけようとしたが、焼け石に水と言ったところか。

 そんなときだった。

「その男を返す訳にはいかんな」

 白煙の中から聞き覚えのないしわがれた声がした。

 チャプターゼロが身動ぎをすると、揺らいでいる煙の隙間から人影が浮かんで来るのを目の当たりにした。しかもそれはひとりではなく、複数の兵士のもの。

 それぞれにライフルを構え、扇状に展開している。その中央から白煙の幕間を縫って朱のベレー帽を被った髑髏のような初老の男が登場した。

「タリタリ将軍か――」

 その問いに男は首肯する。

「貴様が何者かは知らんが、ミゲル君は我が軍の貴重な人的資源だ。そう安々と引き渡すことは出来ない。政府の手のものか? こんなスパイまがいのことまでして私を倒したいか」

「政府は戦争を回避したいだけだ。ミゲルさえ大人しく返せば、ガフロ・ベネッティオも手を引くと明言している」

「馬鹿な。奴は身代金を出し渋ってごねているだけに過ぎない。本気で戦争を仕掛けてくるならとっくにやっている」

「じゃあ、あんた何が望みなんだ? やり方が回りくど過ぎて話が見えてこないぜ」

 チャプターゼロは大麻で震える手をしきりに頭上へと掲げてみせた。

 まるでどこかに合図を送っているように――。

「ミサイルだよ。圧倒的破壊力を持った弾道ミサイルだ! 私はこの手にあの神々しいまでの殺戮兵器が欲しいのだ。確かに最初は身代金が目当てだったが、ミゲル君がビジネスを成功させ私にミサイルを買ってくれると約束してくれたのでね」

「イカれてやがるぜ……」

「勿論、最初のターゲットはミゲル君の父親だ。彼が持つ最大のコンプレックスを地上から消し去ってくれる。だから君には少々、いやかなり頭に来ているんだ」

 タリタリはやおらその筋張った右腕を天高々に掲げると、気味の悪い笑顔を作った。髑髏のおもちゃがケタケタとあざ笑うかのように、見るものを震撼とさせる。

「いずれ名のあるエージェントになったかも知れないがここで最後だ。やれ――」

 初老の将軍は掲げた右腕を振り下ろした。

 鳴り響く甲高い破裂音が白煙の中に飛び散った。大麻の煙をスクリーンにして火花がダンスを踊っている。狂乱のミュージカルがその演奏を終えたとき、扇状に展開していた将軍配下の兵士たちがその姿を消していた。

 ライフルを抱えたまま、あらぬ方向に銃口を向け、煙の中へと倒れ込んだのだ。

「な! これは何としたことだ!」

「いずれ名のあるエージェントになるつもりなんでね。こんなとこじゃ消えられないのさ」

「き、貴様!」

「あんた『ニーズヘッグ』に確定だ。『世界樹』のために死んでもらう」

 チャプターゼロは膝から崩れながらもハンドガンをタリタリへと向けた。

 乾いた音がふたつして、将軍の脳天と胸に風穴を開ける。

 崩れ去った初老の戦闘狂は、白煙の中へと没していった。それとチャプターゼロが床に突っ伏したのがほぼ同時であった。

 どこかで固いものが崩れていく音がした。それと同時に室内の空気が大麻の煙と共に、外へと吸い出されていく。空気の流れの正体は、いつの間にか石壁に出来ていた大きな穴である。そこから砂漠の夜の冷たさが急に這い上がってきた。大麻のせいでもう動けそうにない。

「情けないなチャプターゼロ。僕に手伝いまでさせておいてこの結果か?」

 白煙の中から新たな人影が現れた。白いスーツを身にまとった長躯の男だ。二尺三寸の業物を手に、ボルサリーノを目深にかぶっている。

「局長……」

 白煙の中から白魚のようにしなやかな五本の指が差し出される。彼は何とかしてそれを掴もうとした。局長と呼ばれた男はそれを待ち受けるかのように微動だにしない。しかし彼の震える指先が触れるか触れないかというところで「待ってました」と言わんばかりにきつく握り返してきた。

「痛いっす局長」

「黙りたまえ“セッテ”。そんなんじゃこの先思いやられる」

「“セッテ”……合格っすか?」

「ま、当分見習いだがね」

 すると“セッテ”はまるで子供みたいな笑顔を見せて、ニヤニヤと自分のコードネームを繰り返し呟いていた。

「さてと。この娘たちも何とかしなければならないね。“ジョン・ドゥ”から本部へ。ミッション終了だ。諸々回収頼む。“セッテ”は相変わらずお眠のようだ」

 任務達成の心地よい疲労感と大麻による酩酊感が“セッテ”を夢の中へと誘った。

 かつて見たあの『夢』は現実となり、もはや見ることもない。

 一度はすべてを捨てた彼だったが、いまここに「生きている実感」を得ている。

 ほんの半年前まではこんなことが現実になるとは、それこそ夢にも思わなかった。

 消え行く意識の片隅で、彼はあの日のことを思い出していた――。

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