Chapter.006 ショベルフック

「なんだよ。止めんなよ」

 すでに『そっちのスイッチ』が入ってしまっている親友を思いとどまらせるのは一苦労である。かつて狂剣の二つ名を知らない地元のチンピラが、一見すると優男に見えてしまう剣に喧嘩を売った。

 普段の彼ならやんわりとはぐらかしたあとにすきを突いて逃げるところだが、そのときばかりはチンピラも運が悪かった。剣はその日、つまらないことが原因でゆみと喧嘩をしていたのだ。そのあとのことは恐ろしすぎていまだに脳が思い出すことを拒んでしまう。

 ただ当時を知るものは、人知れずその事件をこう呼んでいる。

 狂剣・血染めの散歩道と――。

「やめとけ。おまえが出ると無駄に血が流れるんだよ。客がひくだろ」

「あ? 嫁さん絡まれてんのにシカトしろってのか?」

「ばーか。俺が行くって言ってんの」

 そう言うが早いか。七之助はカウンター席を立った。『キングスマン』には狭いながらもオーダーを運ぶ動線がある。平素はごった返したお客さんで遮られているが、幸いいまは出入り口までまっすぐに開けていた。

「なんだよ。おめえが責任者か?」

 七之助を見咎めたゴロツキたちが、睨みを利かせてくる。

 ゆみを掴んでいるほうをA、両手ポケットをBとするならいま喋ったのはAである。ニヤニヤと嫌らしい笑みをたたえて、ゆみをグイっと自分のほうへと引き寄せた。

「この店の『平和を守る』って意味での責任者なら、そういうことになる。間違って入ってきちゃったんなら許してあげるから、とっとと帰りなさい」

「ああ? フザけてんのかてめえ! おめえからやっちまうぞこら!」

 Bである。受け答えにすらオリジナリティを感じない。所詮はゴロツキBである。

「よおヒーローさんよ。やれるもんならやってみろよ。本当はビビって震えてんだろ? チビッちまうかこら?」

 七之助が黙ってそれを聞いていると、ゴロツキどもは下品な高笑いをした。

 彼にしてみれば今怖いのは前門の子犬たちではなく、後門のベンガルトラである。内心「頼むからもう言わないでぇ~」と不思議な懇願をしてたのだが。

 さらに七之助が様子を見ていると、ゴロツキAはよりアグレッシブになった。だが彼はその後、口は災いの元だということを胸に刻みつけることになる。

「はっきり言っとくが俺たちにかかればヤクザだって怖くねえ! 怪我したくねえなら引っ込んでろや! 大体こんなだっせえ店のために、くだらねえ意地張ってんじゃねえよ。いいからとっとと金持って――」

「なーにがだっせえ店だって……」

「え――」

「誰の店がだっせえかって聞いてんだ、よ!」

 ゆみが自由の利く掴まれていないほうの拳を「よ!」のタイミングでゴロツキAの腹にめり込ませた。ジャック・デンプシーばりの重いショベルフックである。

「あちゃ――」

 間に合わなかった失策に七之助がひとり目頭を押さえていると、完全に目のすわった状態となったゆみが痛みにうずくまったままのゴロツキAへとつばを吐いた。

「大人しくしてりゃいい気になりゃがってあほんだら。ウチの旦那が本気出したらおまえらなんぞミジンコ以下のカスども二秒で死なすぞあほんだらが。誰の店がダサいっちゅうんじゃあほんだらコラ。このハゲ頭かち割ったろかボケぇ」

 ひとしきり罵声を浴びせかけるとゆみは七之助のもとへと駆け寄ってきた。いかり肩を解除して、いつもの明朗な女性へと戻ると。

「ゆみ怖かった~ん」

 店内から一斉に「新喜劇か!」のツッコミが入ると、いきり立ったゴロツキBが七之助めがけて突進してきた。振りかぶった拳は右だ。

 七之助は一歩自分から前に進むと、飛んでくるパンチではなくBの右肩を制した。つぎに無力化した右拳をつかまえ親指の関節を極める。

 するとどうだろう。大の男が赤ん坊のように泣き叫んだのである。

「まあここじゃなんだから外出ようか。おまえさんも暴れたりんだろ?」

 七之助が相手の指関節を極めたまま歩き出すと、ゴロツキBはそれに抗うことが出来ずついていく。犬の散歩ではないが、七之助によって身体の自由を完全に奪われていた。

『キングスマン』の店外で解放されたゴロツキB、そしてほうほうの体で店から出てきたゴロツキAは、いまにも泣きそうな顔を浮かべて立ちすくんでいる。

「どうしたよ? なんだったらふたりがかりでもいいぞ」

 七之助の罵りにゴロツキたちが最後の根性を見せた。

 ふたりが巨体をゆらして走り込んでくる。

 Aはタックル。アメフトでもやっていたのか基本がしっかりとしている。低く鋭く。願わくばこの才能を、もっと違うことに使って欲しかったと思わずにはいられない。

 棒立ちの姿勢で構えていた七之助にゴロツキAのタックルが決まる。しかし七之助はそこで頑張ったりせず、右肘を軽くAの首元に添えながら力を抜いた。するとAは自分の力で勝手に崩れた。これが合気道の妙である。

 残るはBだが、先ほどの関節技がよっぽどこたえたのだろう。おいそれと近づいてはこなかった。遠巻きにグルグルと七之助の周りをまわり、『キングスマン』のお客さんたちの冷やかしを一身に受けている。額には大量の脂汗をかいていた。

「よお。もういいぜあんちゃん。帰りなよ」

「えっ……」

 ゴロツキBは心底ホッとした表情になった。

 七之助はさっきからずっと倒れていた、ゴロツキAの背中から足をどけてやった。まるで金縛りでもとけたかのように慌てて這いずり回るゴロツキAは、相棒のゴロツキBと共に夜の闇へと消えていった。

『キングスマン』へと戻った七之助は喝采に迎えられた。来店客すべてと酒を酌み交わし、大いに楽しんだ。

 唯一、七之助の判断で矛を収めさせられた剣だけがちょっと不機嫌だ。しかし、

「分かってるってぇ。ケンちゃんが私を愛してるってことはぁ。だからぁ。ね?」

「でもゆみちゃんがちょっかい出されてんのに、ナナ公のヤツがさぁ……」

「もういいじゃない。許してあげなよぁ」

「う……ん」

「よしよし」

 もはや何杯目かも分からない中ジョッキをあおりながら、七之助はバカップルのまま結婚した幼なじみ夫婦の睦み合いにあてられていた。

 ゆみは甘えるとき剣のことタマキンではなく「ケンちゃん」と呼ぶ。七之助の知らない間に決まったふたりだけのルールである。

 別に羨ましいとは思わないが――。

「ケンちゃんがゴロツキどもに放ってた殺気……とってもセクシーだった……」

「ゆみちゃんの山をも突き崩すボディブロー最高だったよ……」

「あとでダガーにも聞かせてあげなきゃ」

 ダガーというのは玉木夫婦の間に生まれた一粒種『蛇我亜だがあ』くんのことである。おそらく遠からん将来で確実にグレること間違いないのだが、一番近くにいる身として彼のキラキラネームを阻止出来なかったことはいまだに悔やまれる。もし本人が成長して恨み言のひとつも言われようとも、七之助はすべて甘んじて受けようと心に決めていた。

「ヒーローさん」

「はへ?」

 不意に声をかけられ振り向くと、そこにはひとりの女性が立っていた。うろんな瞳で下から舐めるように見上げたその顔は、まるでハリウッド女優の美しさ。タイトなスカートスーツにハイヒール。そしてプラチナフレームと思われる高価な眼鏡。どこかのBL好きの事務員とはえらい違いだなと、七之助は密かに思った。

 彼女は肩口までのまっすぐなストレートボブをかき上げると「隣いいかしら」と尋ねてきた。無論、断る理由などない。七之助はろくに返事も出来なかったので、カクカクとロボットのように首肯するばかりだ。

「さっきはお疲れさま。かっこよかったわ」

 女性はカウンターに置いたままの七之助のジョッキに、自分のグラスをチンと当ててきた。いままで聞いたことないような澄み切った音色だと感じた。

 それにしてもなんという魅力的な女性だろう。

 似ているハリウッド女優をひとり挙げろといわれればナタリー・ポートマンだ。しかもレオンのときの彼女をそのまま妖艶な大人の女性へと変貌させた感じである。

「強いのね――」

 濡れた唇がそう言葉を漏らすと、心臓が止まりそうになった。

 七之助はしゃっくりと戦いながら、それでもキメ顔を作ろうと努力する。

「そりはお褒めぇにあずかりまひて、こーえーでう」

 もはや完全に出来上がっている彼に言うことはない。ただただ頑張れと応援するのが、世の中年男性の願いであろう。

「あんまり飲み過ぎちゃダメよ? それからこれ」

 彼女が手にしていたものは例のファイルだった。どうやら知らぬ間にカウンターから落っことしていたようである。

「大事なものなんでしょ? お仕事の資料?」

「う……ま、まあねえ」

「男は仕事で輝かないとダメよ」

 彼女の顔が酒臭い七之助の耳元へと接近する。ただでさえ動悸が激しいのにもうなにがなにやら。彼女はそっと耳元で「頑張って――」とささやいた。

 肩に置かれた手のひらの感触が艶めかしい。甘い香水のにおいとブラチラと。彼女について覚えているのはそこまでだった。

 七之助の意識はそこで途切れる。

 プッツリと糸の切れたマリオネットのように。

 こうして本日二度目となる、床でのごろ寝が始まった。

 

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