Chapter.004 ヴォイニッチ手稿

「ヴォイニッチ手稿。1912年のイタリアで発見された謎の古文書ですよ」

「ヴォイ……なんだって?」

 部屋の隅からパイプ椅子を持ち出してきた雨衣は、そのまま七之助のとなりに座った。机のうえにあるノートパソコンを操作すると、某万能ネット辞典のページを閲覧しはじめる。七之助との距離は肩がぶつからんばかりであるが、いい匂いがしたのであえて無視を決め込んだ。

 ヴォイニッチ手稿――1912年にイタリアで発見された古文書である。緻密でありながらその品種の一切が発見されていない植物や、天体の運行を思わせる挿絵が描かれ、現代に至っても解読不可能とされている特殊な言語(または記号)が記されている。

 発見者はポーランド系アメリカ人で古書収集家のウィルフリッド・ヴォイニッチ。

 放射性炭素年代測定法により手稿に使用されている羊皮紙が十五世紀のものであることは判明しているが、執筆時期については定かではない。

 また執筆された経緯や作者に関しても憶測の域を出ず、二十一世紀を迎えたいまなお研究者たちを悩ませ続けている。2017年の現代において、ロシアのアカデミーがヴォイニッチ手稿の一部解読に成功したというニュースが世界中の話題となった。

 しかしその真偽のほどは、いまだ藪のなかといった印象が拭い去れない。

「愉快犯による偽造説やでっち上げの可能性が高いとされていますが、世の中にはこれを真剣に研究している人たちもいます。なかには異世界から持ち込まれた――なんて意見もあったりして」

「異世界? いまさら流行らないだろうに」

「これなんか面白いですよ」

 雨衣はマウスをカシャカシャと動かしてページを移動する。

 ノートパソコンのモニターには、至る所にケバケバしいバナー広告が踊っていた。いわゆるまとめサイトというヤツである。そこにはヴォイニッチ手稿の挿絵と「ふたつの記憶を持った男」というタイトルのスレッドが立っていた。

「かいつまんで説明するとこのスレ主さんには、ある時期異世界で暮らしていた記憶と現実世界で暮らしていた記憶とがあって、どうもその異世界っていうのがヴォイニッチ手稿の挿絵に酷似しているそうなんです。しかも解読不可能とされているあの謎の言語がある程度、理解出来るんですって」

「ふーん」

 七之助は雨衣の説明を馬鹿にするでもなく、画面を凝視している。冷めた湯呑みに手を伸ばしたが、結局口をつけることなくそのまま握りしめていた。

 雨衣が不思議なものでも見るかのように七之助の顔を覗き込む。それに気づいた七之助は「なんだよ」と訝った。

「いや。いつもなら『くだらねえ!』とか叫んでるのになぁって」

「うーん……何と言っていいものやら」

 珍しく七之助が言いよどむ。

 今度は雨衣が「なによ」と聞き返すと、意を決したように彼は重い口を動かした。

「俺も見たことあるかもしれない――」

「へ?」

「ガキの頃からさ。ちょいちょい見る夢があんだよ。それにちょっと似てるかなって」

 そして七之助はモニター越しに手稿の文字列をなぞると、

「これも何か知ってる気がすんだよなぁ」

 と困惑を隠せないままに首を捻った。

「ちょっとすごいじゃない! 世界中の学者さんが血眼になって読もうとしてるのよ」

「だから読めないって。ただ知ってる気がするだけだってば」

 ワイシャツの袖を「すごいすごい」と引っ張る雨衣に、悪い気はしないがどう対応していいものやらと困ってしまう。「知っている」のと「識っている」のでは理解にかなりの差があることを、彼は少年漫画で学んでいた。

「それよりもちょいちょい見る夢ってなに? ホラー?」

「なんでホラー限定なんだよ。違うよ。なんかこう……もやっとしてんだよ」

「もや?」

 雨衣が小首をかしげている。

「そうそう。でな? 『ドーン!』って感じなんだわ」

 まるでなにかが下から吹き出るように『ドーン!』と両手を天井へと突き上げた。

「まあとにかく巨大なんだわ。見えてないけど」

「それのどこがこれと似てるのよ」

「緑なんだよ」

「はぁ?」

「全体がなんかこういい感じに緑色なんだよ。それがちょうどこんな感じに」

 極めて真剣な眼差しでもって、七之助はモニターを睨みつけていた。

 かたや一気に好奇心の失せてしまった雨衣は、冷めた湯呑みをお盆に載せると七之助の肩に手を置いて「七之助クン……あなた疲れているのよ」とどこかで聞いたようなセリフを残して資料室をあとにした。

 ひとりになった七之助はいまだヴォイニッチ手稿に引っかかっていた。

 それにまとめサイトにはまだまだ沢山のオカルトネタが落ちている。

 日本人ユダヤ起源説、シュメール人宇宙人説、惑星ニビル、フラットアース再考論にシミュレート仮説と枚挙に暇がない。

 名無しは言っていた――オカルトはただの嘘っぱちではないと。

 かつて真実ではあったが、時代に合わなくなっただけだと。

 気持ちは分かるが、やっぱりそれは都合のいい詭弁ではないかと七之助は思う。

 たとえば事実が同一のものでも、ひとによって真実が変わってくるという考え方には共感できる部分も多い。だが嘘は嘘だ。誤りは正される必要がある。

 人生には間違いがつきものだ。だからといってそれをひとつひとつ咎めていっては人間腐ってしまう。ときには許してやることも大切だと思う。

 しかしそれが人類全体の問題だとしたらどうだろう。よっぽどのお人好しでもない限りとても容認できるものではない。

 寛容さはひとの美徳であるという。とはいえ誰が好きこのんで騙されたいと思うのか。

 たしかにときとしてひとを幸せにする嘘というものは存在する。マジックしかり、夢の国を称するテーマパークしかりだ。わざわざしたり顔でネタばらしをするようなものでもない。それは映画を愛する七之助にも相通ずるところがある。

 お世辞を上手に言えるひとは敵を作らない。これは営業時代に知り得たことだ。本当のことを言うことが、必ずしも利益に結びつくわけではないのだ。だからといって詐欺を称賛するつもりはない。芸術的とも思える騙しの手口は、ため息が出るほど素晴らしい。しかしあくまで犯罪であることを忘れてはいけない。どれだけ華麗にひとを騙そうとも、他人を陥れようとする輩に同情の余地などないのだ。

 それは正論にも同じことが言える。

 正論を言うひとの多くは、自分が他人を傷つけていることを知らない。なぜなら相手が悪いことをしているから。

 正論で諌められるようなことをしている人間には容赦は必要ないと感じてしまう。これは怖いことである。正しいことをしているはずなのに、いつの間にか他人を害しているのだ。

 正論で他人を追い詰めることは決して正義ではない。

 そして正義が正解であるとは限らない。

 これが学生時代に海外で学んだ七之助の経験則である――。

 珍しくモニターを凝視したものだから目元が疲れている。七之助は軽くコメカミを揉み込むと、ノートパソコンの電源を落とした。

 ヴォイニッチ手稿のファイルを閉じて、一息つく。

 しばらくするとドアの向こうから、淹れ直した熱いお茶を持って雨衣が現れた。

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