3-8 噂が招いた災厄と真実

 ――ねえ、聞いた? シャイリーン様とエンシェンラーゼン様のこと?

 ――ああ、聞いたどころか見たわよ!! 廊下でキスしてるの!!

 ――私は、宮殿の中庭で抱き合ってるのを……。

 ――夜のお部屋の前を通りかかると、その、声が……。

 ――全く、この大事な時に、上級メイドと女帝付き護衛士が、何をやってるんだ?

 ――ほんとよねえ。呆けすぎよ。

 ――エンシェンラーゼンって人はまだしも、まさかシャイリーン様が……。

 ――あの人も女だったってことなんだろう。あれだけの美男には逆らえねえのさ。


 ルフィーニル宮殿に、そんな噂が流れているのを、シャイリーンはわずかに忸怩たる気持ちと、それに数倍するしてやったりの気分で聞いていた。


 これでいい。

 これでいいのだ。


 それは分かっている、のだが。


「よう!! シャイリーン!!」


 唐突に廊下で声をかけられて、ついでに腰の後ろというか尻というか……を、ぽんと叩かれた。

 よっぽど鈍い人でも、見ればその両者がどういう関係か気付きそうな、人前でやるには「親しすぎる」仕草。


「どうしたんだ? さっさと昼飯、食べに行こうぜ!!」


 エンシェンラーゼンが邪気のない顔で覗き込んでいる。


「なんだよ……浮かねえ顔だな? どうした?」


「……あなたは楽しそうね……」


 シャイリーンは、からりとしていられるエンシェンラーゼンが、いっそ羨ましくなった。

 もしかして、メイダル人は、こういうことに対する基準が違うのかも知れない。

 メイダルの図書館に収蔵された情報や、ネットに公開されている新聞雑誌、個人のちょっとした日記のようなもの――SNSとかいうそうだが――などの情報には、友好国であるニレッティアからでもアクセスできる。

 だが、色恋絡みのあれこれなら、目の前の生身の元メイダル人であるエンシェンラーゼンに尋ねるのがいいだろう。

 ……何だか小っ恥ずかしいが、どんな些細な穴でも塞いで、ミスを潰さねば、作戦が台無しになる可能性だってあるのだ。

 流石のシャイリーンも、今回ばかりは馬鹿馬鹿しい、とは考えられない。


「もしかして……俺とのあれこれ考えてる?」


 不意に、エンシェンラーゼンが真剣な顔になった。


「いやあ、こっちの人って、種族のこととか年齢的なこととか、難しく考えすぎだと思うんだよ。魂が求める相手っていうのはさ、そんなのに関係ないんだよな」


 いきなり羞恥の核心を突かれて、シャイリーンは照れ隠しに今や「恋人」と周囲にみなされている霊宝族男性の腕を叩いた。

 確かにこういうことでは、いささか感覚が違うことを実感せずにはいられない。

 メイダルでは主流はやはり霊宝族であるものの、かつて取り込んだ他種族との交際にタブー意識は全くないようだ。

 それに、人前での愛情表現もかなり大っぴららしい。

 彼らの女神は、自らの信者同士が愛情で結ばれるのを非常に喜ぶというが、つい最近までメイダルなど意識もしてこなかった自分のような者をどう思うのだろうか。


「いきなり何言ってるの。行くわよ」


「まあ、焦りすぎも良くないよな。でも、ちょっと考えといてくれると……おっと」


 もう、黙っていろという気持ちと、こういうことをしなければならない、自分の恥ずかしさなんか関係ないという理性の狭間で、シャイリーンはついエンシェンラーゼンの腕を引っ張った。

 傍から見れば腕を組んでいるよう。


 すれ違ったメイド二人組が、通り過ぎて会釈してから、早速ひそひそと噂話を始めたのが耳に入る。

 また「女帝を守るべき上級メイドと護衛士が、お互いに呆けてしまって職務怠慢である」という噂話が広がるのだろう。

 これでいいのだ。

 ……これで、いいのだ。

 ……。



 ◇ ◆ ◇


「おめえが、御用達商人との交渉に当たっている間さあ」


 いつものように、シャイリーンの私室で運ばれてきた昼食を摂りながら、エンシェンラーゼンは切り出した。

 ちなみに、本日の彼のメニューは、ケケク鳥のシチューと、フォーリューン産ドライフルーツ入りパンとサラダ。


「女帝陛下が、シャイリーンをどう思ってるんだって訊いてきてさあ」


「……どう答えたの?」


 わざとらしいくらいにじっと見詰めるエンシェンラーゼンの視線を感じながら、シャイリーンは、自分の主も何をやっているのかという気分になる。

 老獪この上ないくせに、変なところで少女のようなのだ、あの人は。


「もちろん。好きだ、できれば結婚してえって答えたぞ」


 あまりにもあっけらかんとした答え。

 意味ありげな沈黙が、エンシェンラーゼンとシャイリーンの間に流れた。


「……で、おめえは、どうだよ?」


 いつの間にか親し気になった口調で、エンシェンラーゼンは尋ねる。


「……種族が違うし」


「それが何だってーの!! メイダルじゃ、親の組み合わせのよっちゃ、実の兄弟姉妹でも種族が違うなんてこと当たり前だって!!」


 そんなの、ガキの頃に習う神聖種族同士の、基本法則だろうが!!

 こっちの人らだって、経験則的に分かってんだろ!?


 エンシェンラーゼンは息巻くが、実際のところ、つい最近まで、地上には異種族同士の婚姻もしくは交配などという概念が乏しかった。

 それはとんでもなく非倫理的かつ非常識なことと捉えられ、まともな人類だったら考えにも上らせないようなことだった。


 だが、今は。

 今は、どうなのだろう。


 はどう思っているのだろう。

 メイダル社会という成功例を目の当たりにした、今は。


「……あなた、モテるでしょ?」


 ぽいと投げられた言葉に、エンシェンラーゼンは怪訝な顔をした。


「何だよ急に」


「私より、若くてしっかりしたお嬢さんの方がいいわよ。あなたなら文字通りによりどりみどりだわ」


 特に結婚を意識したことなんかない。

 そんなこと、急に言われても困る。

 女帝と共に歩み、彼女の退位と共にひっそり忘れられ。

 その後は、誰にも邪魔されず、静かな時を過ごし朽ちていくのが夢なのだ。


 母の死骸を見たあの時から、本当に安らいだことなど、ないから。


 ……自分も、ああいう風にならなければ、御の字なのだ。


「おめえ、失礼過ぎやしねえか?」


 明らかに不機嫌になっているエンシェンラーゼンに、今度はシャイリーンは怪訝な顔を向けた。


「……エンシェン?」


「俺は、。そういう偏見がどっから来るのかよく知らねえが、下らねえ話のはぐらかし方するなよな」


 緑に底光る金色の目に見据えられ、シャイリーンは頭が痺れるように感じられた。

 ああ、なるほど。

 メイダルの人は、こういうことで怒るのか。


「俺を馬鹿にしてねえなら、ちゃんと答えろ。


 人生最大のピンチ、という言葉が思い浮かんだ。

 困惑と。

 嬉しさのブレンドで。

 シャイリーンは混乱の極みにあった。



 ◇ ◆ ◇


 今日はいい日だ。


 人気ひとけのなくなった執務室で、アンネリーゼは思った。

 仕事が溜まろうと、それを本来補佐すべきシャイリーンが、エンシェンラーゼンと共にさっさと私室に引き上げようとどうでもいい――どころか、そうでなくては。


 シャイリーンが、誰もが憧れる美女でありながら、誰とも一定以上親しくしようとしない理由。


 彼女の母の死だ。


 シャイリーンの母ザリーナは、酷い有様で死んでいった。

 アンネリーゼ自身もショックだったが、まだ多感な十代だったシャイリーンに、それがどのような影を落としたのか、察するに余りある。


 


 いつだったか、シャイリーンがふと漏らした一言こそ、本音の中の本音であろう。


 誰かの心の中に、自分が受けたような傷を残すのが怖くていたたまれなくて、シャイリーンは誰とも親しくならない。

 恋をしたことがあるのは、アンネリーゼも知っている。

 だが、更に発展して家族になろうとは思わないのだ。


 それも、もしかしたら今回までなのかも知れない。


 かつ、と足音が響いた。


 アンネリーゼは顔を上げ、微笑んだ。

 こんな時間に、誰も来るはずがないのだが。


 魔法灯の明かりが、夢に誘うように、ビロードのカーテンに柔らかな影を落としている。


「いい夜じゃ。そなたも、そう思うであろう?」


 不意に執務室に姿を見せた、その影に、アンネリーゼは挑発的に微笑んだ。


 ……護る者が、誰もいないまま。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!