3-4 二人の朝と異変

 身じろぐ気配で、シャイリーンは目が覚めた。


「エンシェン……」


 そうだ。

 自分と彼は、昨夜。


「おはよう、俺のシャイリーン」


 エンシェンラーゼンが覆いかぶさってきて、軽く口づけた。

 そのまま手指をシャイリーンの亜麻色の髪に絡ませ、じっと見つめる。

 今までで一番優しい目だった。


「……起きなくちゃ。朝から何かあるかも知れないし」


「ああ、そうだな」


 照れくさくて頬を染めるシャイリーンにもう一度口づけて、エンシェンラーゼンはようやく身を起こした。


 カーテンを開けると、薄い朝の光がささやかな寝室に差し込んだ。

 シンプルであっても、シャイリーンの部屋には、女帝の上級メイドとして身だしなみを整える家具一式はしっかり揃っている。


 男性の視線の先で朝の身支度なんて、久々で何だか恥ずかしい。

 そんな風に思いながらも、シャイリーンはてきぱきと身支度を整える。

 上級メイドの制服を纏い、化粧をし、隙のない女帝の近侍の顔を作っていく。


 ふと。


「見る?」


 エンシェンラーゼンがにやにやしながらこちらを見た。

 手に持っている、額の宝珠の昼間の色と合わせた緑の布。

 ターバンだと、メイダル文化に不慣れなシャイリーンでも分かる。


 シャイリーンは、思わず衣服を纏った彼が腰かけているベッドに腰をおろし、しげしげとそれを見た。


「多分、こっちの人には珍しいだろ? 見てろよ」


 エンシェンラーゼンは、布を持ち上げると、まるで魔法でも使っているようにするすると、黒髪の頭部に巻き付けていった。

 額の宝珠を隠さないように巧みに、ぐるりと捻ったり角度を付けたりして、芸術的なターバンが出来上がっていく。

 ものの数分で、垂れ布の付いた華麗なターバンが、エンシェンラーゼンの頭部を覆った。


「……魔法、使ってるの?」


「まさか」


 軽く、エンシェンラーゼンは笑い声を立てた。


「ターバン巻くのに普通魔法なんか使わねえよ。メイダル男の基本スキルってやつ」


 エンシェンラーゼンは、再度シャイリーンに口づけた。


「ああ、そうだ、渡すものがあった」


 やにわにエンシェンラーゼンは、空中の何かを指で掴み取るような仕草をした。

 次の瞬間、その男らしくも形の良い手の中に、気品ある色合いの包みが現れた。


「これ、シャイリーンが危なくないようにするためのものなんだ。良かったら、今日から身に着けてくれないか? 昨日は盛り上がって渡し損ねててさ……」


「これ……」


 もの問い顔をエンシェンラーゼンに向けてから、促された通りにシャイリーンはその包みを開けた。

 中から出てきたのは。


「……ブローチ?」


 それは、宝石のブローチだった。

 エンシェンラーゼンの額の宝珠と同じ惑月石わくげつせきで、今は朝の光の中で艶やかな緑色に輝いている。

 縁取りのエレクトラムはニュアンスのある蔓草模様を形作り、その装飾品にいかにもメイダル的なマジカルな神秘性を添えていた。


「……そのブローチには、俺の魔力を籠めたんだ」


 少しばかり照れ臭そうに、エンシェンラーゼンは説明した。


「シャイリーンにとって有害な魔法を、それがどんな強力な魔法であろうと無効化するっていう護りの魔力を籠めてある。シャイリーンは、職業柄危ない目にも遭うかも知れないだろ? 万が一のための用心」


 シャイリーンは思わずまじまじとエンシェンラーゼンを見詰めた。


「……いいの? もしかして、凄く高価なものなんじゃないの?」


「いや、何とか宮廷で体裁を整えるくらいの品質の他は、もっぱら俺の気持ちだ。受け取ってもらえると、有難いんだが……」


 いつになく飾り気ない言葉にシャイリーンの胸がじんわり熱くなった。


「ありがとう。早速着けてみるわ」


 鏡の前に行き、胸のタイを留めていたブローチを外して、代わりにその魔力の籠ったブローチを飾る。

 鏡の中で、そのブローチは、まさにシャイリーンの魅力を引き立てる絶妙なデザインだと分かった。

 不思議だ。

 着飾るのは、シャイリーンにとって、どちらかといえば「義務」だった。

 仕事の上、そして社会的に求められているから、辻褄を合わせるためのもの。

 それが、今日はどうだ。

 まるで初めて化粧をした小娘の時代に戻ったみたいに、やたらとうきうきする。

 装いの喜びなどといううわついたものが押し寄せてきて、シャイリーンは思わずブローチを手で押さえた。


「素敵。ありがとう。大事に……大事にするわ……」


 今日から、どうしてもという時以外は、このブローチを身に着けるようにしよう、と、シャイリーンは決意した。


 ……護りになるし。

 それに。

 エンシェンラーゼンを、感じられるから。


 彼が、立ち上がって、ぎゅっと、シャイリーンを抱きしめた。 



 ◇ ◆ ◇


「おはようございます、陛下。昨日に引き続き、メイダルから教師を招いた魔法学校設立の件ですが……」


 決裁を待つばかりだった案件を、自分の秘書机から女帝の魔導式演算機器に転送する。

 ここ最近、女帝の執務室は変わった。

 メイダルからの最新技術の導入により、全面的にとはいかないまでも、かなりペーパーレスが進んだ。

 重厚なドミニア樫の執務机には古代風とも未来的とも言える魔導式演算機器の端末が設置され、空中に処理すべき案件を投射する。


 そして女帝の執務机を少し離れたところには、そこそこ豪華な椅子と、収まっている護衛のエンシェンラーゼン。常に万が一に備えて目を光らせている。

 彼の手足に装着された、防具一体式の魔導銃が、和らげられた朝の光を跳ね返す。

 威嚇効果はこれだけで十分だろう。

 事実上、エンシェンラーゼンは魔法に対して無敵。

 女帝に向けられる魔法テロを警戒しての人選であったが、単なる「魔法戦向け」以上に、彼の存在感は大きい。

 シャイリーンも、無意識のうちに、かなり彼に頼っていた。 


 執務室の片側は、床までの大きな窓に、レースの薄手のカーテン。

 柔らかな模様が降り注ぐこの部屋は帝国の中枢であり、戦場だ。

 特に今は、慎重に当たるべきメイダルとの国交開始黎明期。

 国内に対しても国外に対しても、手抜かりがあっては後年の憂いとなろう。

 手を抜く訳にはいかない。

 その責任は、女帝アンネリーゼのみならず、彼女の上級メイド、シャイリーンにものしかかってくる。


 ……の、はずだったが。


「のう、シャイリーン。エンシェンラーゼン。そなたら、わらわに何か隠していないかや?」


 いつもと同じように政務に取り掛かる段となって、唐突にアンネリーゼはそう言いだした。

 ニンマリと、シャイリーン、そしてエンシェンラーゼンを見回す。


「は、隠しているとは、どういった……」


 心臓が跳ね上がったが、シャイリーンは殊更平静を装って応じた。

 ちらりと、エンシェンラーゼンの視線がこちらに向くのが分かったが、「とにかく平静に」と目顔で返す。


「シャイリーン。タイを留めているブローチのう、見たことがないのう?」


 まるで獲物がかかった、とでも言うように、アンネリーゼは笑みを深くした。


「……エンシェンラーゼンの額の宝珠と、同じ種類の宝石ではないかえ? この辺では滅多に手に入らぬものじゃのう? そして、ブローチの様式はメイダル式。……露骨よのう? のう?」


 ころころと、アンネリーゼは笑い声を上げ始めた。

 何か言い訳しようとしたシャイリーンに先んじて。


「まあ、朝の忙しい時にご報告ってものでもないかと思いまして。昨日から付き合い始めましたんで、そこは一つ、応援などよろしくお願いしたいのですが」


 しれっとした顔で、エンシェンラーゼンが暴露する。

 一瞬、シャイリーンが言葉を失った。


「おお、やはりか!! エンシェンラーゼンは最初から狙っておったしのう? いやぁ、めでたいではないかえ!! 仕事人間のシャイリーンに、春とはのう!!」


 アンネリーゼが、大喜びで手を叩いた。

 シャイリーンは流石に頬を染める。

 多分ばれるのは時間の問題だし、それとなく伝える機会も出てくるだろうと思ったが、昨日の今日で、ばれるとは思わなかった。

 女帝アンネリーゼは、政治手腕だけでなく、勘の鋭さも一流だ。


 ふと。

 エンシェンラーゼンが不意に雰囲気を変えた。

 アンネリーゼにからかわれながら弛緩しきったそれから、いきなり戦士のそれへ。

 肌にびりびり伝わる殺気。


「誰だ!?」


 エンシェンラーゼンの放った誰何の声に応えたのは、硬い上等な革靴の音。

 それも、女物の革靴の音だ。


 普通に考えれば、茶でも持ってきたメイドの一人。

 だが、それにしてはエンシェンラーゼンの反応はおかしかった。


 何が、とシャイリーンが訊こうとした矢先。


 いきなり開けられた扉の軋みと同時に、アンネリーゼが悲鳴を上げた。

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