2-4 幻影と戦い

 それは、ラーファシュルズにとって、見覚えのある光景だった。


 いや、ときっぱり言える。


 我が家であるルフィーニルの王宮に違いない。

 母と自分の髪のように、鮮やかな真紅の絨毯、優雅な窓から差し込む、整えられた庭の影、さりげなく陳列された美術品の数々。


 が、それは、今やかつてのわずかな面影を残しながら荒れ果てている。

 爆弾で吹っ飛ばされでもしたように絨毯は焦げ、窓は破砕され、美術品は粉々だ。

 いや。

 確かにそれは「爆破」の痕跡だった。

 記憶が蘇る。

 あの日のことは忘れたことがない。

 平穏な一日の始まりのはずだった、なのに。


『ははうえ、ちちうえ!!』


 喉から迸り出たのは、幼い子供の細い声だった。

 視界が傾いでいるということは、床に転倒しているのだろう。

 焦げ臭い不吉な匂いが鼻を突く。

 あちこちに人形のように倒れる使用人たち。

 奥に倒れた母の真紅のドレスが、血のようで。

 その隣の父は、ぴくとも動かない。

 こんな時にじっとしている人ではないと、幼いラーファシュルズも理解しているような人なのに。


 幼い――いや、幼くなってしまったラーファシュルズは、力の限りに父を母を、弟妹たちを、そして付きのメイドを呼んだ。

 炎と嵐の魔神が荒れ狂ったような室内で、その必死の呼びかけに応える者はなく――


 誰か、立っている。


 ふと、ラーファシュルズは気付いた。

 見覚えのある子供用の礼服。

 小さな背中に垂れた、プラチナブロンドの髪。


『マーディン!!』


 ラーファシュルズは叫んだ。

 


 ラーファシュルズが正気だったなら気付いたであろう。

 今は「あの事件」から二十年近い歳月が流れているのだということを。

「あの事件」と同じようなことは、あれから二度と起きていない。


 そして何より。

 

 テロ事件のあったあの日、宮廷の一室にいるはずがないのだ。


 だが、ラーファシュルズの悪夢に抱き込まれた頭脳は、それを認識できず――


 くるりと、幼いマーディンが振り向いた。


 ラーファシュルズの悲鳴は、喉で固まった。

 爆風で、幼い顔の半ばが吹き飛んでいた。

 衣装の前面はどうにかぶら下がっているボロで、調度品の破片で傷ついた肉体からとめどなく血が流れている。


 ラーファシュルズがあまりのことに硬直している間に、もう一人が立ち上がった。


 幼い頃、よく知っていた人だ。

 母女帝の上級メイドだった人。

 確か、あの時は緊急のメッセージを携えて部屋に……


 ずたぼろの上級メイドの制服は、すでに元の色が分からない。

 彼女が何かを受け止めるように腕を突き出すと、その中に、肩の上から転げ落ちた、彼女自身の頭が落下した。


 絶叫が、ラーファシュルズの喉から迸った。



 ◇ ◆ ◇


「ちょっと!! ラーファシュルズ、しっかりなさい!!」


 ぱちんと目の前で指を鳴らされて、ラーファシュルズははたと目を見開いた。

 いや、目は開けていたのだろうが、見えていなかったのだ。


 そこにあるのは、故郷の王宮ではない。

 確かにさっきと同じ、メイダルはアニスジャーラ島のとある大通り。


 そこは大混乱に陥っていた。

 そこここにうずくまるメイダル人がいる。


 ふらふらと、立ち上がるマーディンが視界の端に見えた。

 誰かに向かって二丁拳銃の銃口を突き付ける。

 その先にいるのは――


 そうだ、思い出した。

 マリウーラが警告したではないか、害意性存在の接近を。


 は、一見してどこにでもいるような光景に見えたのだ。

 このメイダルではどこででも普通に見かける従僕型魔法生物サーヴァントが、同じくどこにでもあるような飛空船に乗って近づいてきた。

 船に乗っているのは、それが五名。


 メイダルに慣れていれば慣れているほど、注意を引かないであろう。

 どこかの大きな屋敷からのお使いか、それとも、従僕型魔法生物サーヴァントたち自身が、生産拠点から彼らを「購入」した人物のところへ自らを「配達」しているのか。


 薄緑、薄赤、紫、金色、青、チャコールグレー。

 そんな魔法生物だということを明白に示す肌色の従僕型魔法生物たちは、しかし、通常とは異なる戦い方をした。

 彼らが低空飛行してきた飛空船から飛び降り、ラーファシュルズたち一行の前に立つと、瞬時に彼らのみならず、周囲の通行人に至るまで全員が、奇怪な悪夢に囚われて、地に倒れ伏した。


 思い出した。

 無事だったのは。


「あんたたち、そんな情けない魔導力であたしをどうにかしようっていうの!? 思い上がったガラクタね!!」


 露骨にせせら笑う――そんな態度さえ愛らしいのだから、美というのは罪である――ドニアリラータが、手元に浮かび上がった魔法陣から、三つ目の青い獅子を呼び出した。

 白い魔力の炎を纏う爪と牙で、薄緑の肌を持つ従僕型魔法生物サーヴァント……いや、悪夢ナイトメア型魔法生物は、声もなく引き裂かれて生命活動を停止した。


「ありがと!!」


 うなずき、獅子、そして頭上に浮かんでいる巨体を見上げる。

 つられて上を見たラーファシュルズははっとする。

 そこにいたのは、巨大な虹色の龍蛇。

 小型の太陽のように鮮やかな光で周囲を包み込む龍蛇を見て、ラーファシュルズは、それが悪夢ナイトメア型魔法生物の魔力を退けた治癒及び防御の魔力だと、すぐ気付いた。


 不世出の召喚術師と言われるドニアリラータの秘奥義、普通なら呼べないような存在を多重に召喚する「星門召喚せいもんしょうかん」。


 だが、戦況は容赦もない。


 空を裂く音は、マーディンの二丁拳銃の射撃音だ。

 輝く弾丸はそれぞれ、紫の女性型魔法生物と、チャコールグレーの男性型魔法生物に吸い込まれた。

 衝撃で吹っ飛ぶ。

 紫の魔法生物は胸に大穴を開けて散らばったが、何故かチャコールグレーの方は無傷だ。体内を血液のように循環しているはずの魔導媒介液は流れない。

 その代わりに、まるでスイッチが切れたように、目を見開いたままぱたりと倒れて動かなくなる。

 恐らく、襲撃してきた魔法生物のサンプルとして、この個体を無傷で残しておくつもりなのだと、ラーファシュルズは踏んだ。


「目標補足。排除行動に移行します」


 淡々と宣言したマリウーラの両手の甲から、透き通った魔導エネルギー型刀剣が実体化した。

 薄赤の女性型魔法生物の背中に、翼のような光背が顕現し、周囲を弾丸のような何かが薙いだ。


 ラーファシュルズが咄嗟に抜き放ったレイピア型魔導武具「照覧しょうらん天体航路てんたいこうろ」が間に合わず、腕をかすめられた彼は、またもや悪夢に呑まれようとした。

 が、そこはドニアリラータの召喚魔神の防御魔法。

 一瞬くらりとしただけで、悪夢は雲散霧消した。


 ラーファシュルズはモザイクの華麗な地面を蹴って前に体を進めた。

 胸の奥に、静かに燃える怒りがある。


 子供の頃の、トラウマになっているあの悲惨な出来事を、無遠慮に引きずり出された非礼と非道に対する怒り。

 決して、あんなふうにもてあそんでいいものだとは思わない。

 マーディンはあの場にいなかった。

 あれ自体は、ラーファシュルズを怯えさせるため、直截的に言えば攻撃のために作り上げられた幻覚だ。

 だが、首が落ちたあの女性、母女帝の当時の上級メイドだった女性も含め、何人もの人間があの時死んでいるのは事実なのだ。

 母女帝をかばって死んでいった彼らを、あんな風に嫌がらせの玩具にするような真似を、ラーファシュルズはニレッティアの皇太子として、そして一人の人間として許せない。


 魔導武器を起動すると、全ては「見えていた」。


 悪夢の弾丸に魔力障壁で対抗していたマリウーラを周り、横っ飛び。

 最後の青い悪夢ナイトメア型に向かうと見せかけて急旋回し、突き出したレイピアに、冗談のように薄赤の魔法生物が突き刺さった。

 まるで自ら進んで貫かれに来たような……いや、ある意味そうだ。


 


 糸が切れたように、薄赤の悪夢ナイトメア型魔法生物は倒れて生命活動を停止した。

 魔導媒介液を振り払い、最後に残った青の悪夢ナイトメア型に向き直ると、それはいきなり糸で吊られたように、空中に浮かび上がった。


 上空に停船したままだった飛空船に飛び乗る。

 弾丸のように加速し、船はあれよという間に見えなくなった。

 正確に言えば、少し離れたところで空間転移機能を使ったのだ。


「……うん。これでいいわ。作戦通りね」


 振り向いたラーファシュルズに、ドニアリラータが笑いかけた。


「……あなたは、恐ろしい方ですね。そんなに愛らしい見た目でいらっしゃるのに」


「……ラーファシュルズ様……?」


 苦笑するラーファシュルズに、マーディンは怪訝な顔をし、マリウーラは全て弁えたように近付いてきた。

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