第二章 紅の皇子と碧の巫女姫

2-1 不吉な始まり

「……かような訳で」


 ニレッティアの皇太子、輝く紅の髪のラーファシュルズが、大司祭ミスラトネルシェラを前に、そう要請した。


「どうか、私めをかくまっていただきたいのです。故郷に暗殺者の影があり、メイダルにいる私の身も安全ではないかも知れないと、母より通達がありました……」


 鮮やかな大気が色を失う。

 地上で最も繁栄した帝国の皇太子の言葉は、死の青灰色を帯びていた。


「ご迷惑をおかけして申し訳ございません。ですが、暗殺者を送り込んだのは……間違いなく、メイダルの方であろうというのが、地上に派遣されたメイダル出身の官僚方の見立てなのです……」



 ◇ ◆ ◇


 昼時の陽が、ステンドグラスの窓越しに差し込んでいる。

 反対側の壁に、守護の魔法陣を展開する仕組みとなっているその日差しは、今は特にそんなものを必要とするとは思えないほどにのどかで穏やかだ。


 メイダルの聖地アジェクルジット島、大司祭家の私邸の応接間に、ニレッティア皇太子ラーファシュルズはいた。

 そして同じテーブルに、アジュクルジット家の女性たちが向かい合わせで着座している。


 ラーファシュルズの、本来なら端正で甘いマスクは緊張している。

 信じられないくらいに座り心地の良い椅子の快適さを味わう余裕も、今の彼にはない。

 華麗な波紋石の天板の上で手を組み、形の良い眉をぎゅっと寄せている。

 最上質の絹で織られた、艶やかな色味の黒灰色のフロックコートの上に、穏やかなメイダルの陽が微妙な陰影を添えていた。


 普段なら、見ごたえのある一幅の絵のよう。

 だが、今はそれを味わえる者は、この大司祭の私邸の中で、誰もいなかった。


「ホントなの!? ホントに悪夢ナイトメア型魔法生物が、あんたのお母さんを襲ったの……!?」


 信じられないという表情を、その高貴にして人形のように愛らしい顔に浮かべたのは、このアジェクルジット家の末娘、ドニアリラータだ。

 吸い込まれるような、異世界を思わせる青い青陽石を額に戴き、同じ色のストレートの髪を長くしている。


「はい。母に新しく付いた護衛の霊宝族男性が確認したそうで……間違いなく、本来なら製造が禁止されている悪夢ナイトメア型と呼ばれる魔法生物……ごく平凡な、従僕型魔法生物サーヴァントに偽装してあったそうですが……」


 悪夢は、いきなりニレッティア女帝アンネリーゼを襲った。

 見慣れぬ従僕型魔法生物サーヴァントが、女帝の執務室に姿を見せたと思ったら、いきなり女帝始め、室内の大部分が悪夢に囚われた。

 無事だったのは、全ての魔法を無効化する魔力を持った霊宝族の護衛官だけだったという。

 彼のお陰で事なきを得た――その時、は。


 ラーファシュルズのその言葉を聞いて、アジェクルジット家の面々から溜息が漏れた。

 今、一家の父親のナルセジャスルールと、息子のカーリアラーンは、自宅にはいない。

 まず間違いなく、メイダルの者が関わっているであろうニレッティア女帝暗殺未遂事件の捜査のために、王宮に詰めている。


 メイダルの宗教の総本山、このアジェクルジット島大神殿には、現在大司祭家の女たちのみ。

 すなわち、大司祭ミスラトネルシェラ、そして世継ぎの巫女姫”魔力の深源”アニミアラジャート、そして末の巫女姫”幾万の世界の門”ドニアリラータだ。

 宗教的権威の中心部が、ほぼ揃っているといって良い。


「……新しく付かれた霊宝族の護衛……すると、エンシェンラーゼンさんですわね……」


 アニミアラジャートが、物静かな中にも、珍しく厳しい表情を見せた。

 艶やかな紫色に彩られた彼女は、平均してメイダル人よりも大分鈍いであろう地上の人間族である者たちにもその根源を揺さぶられる感覚が分かるほど、強大な魔力を放射している。


「……あの方がそう断言なさるなら、間違いないでしょう……。あの方は元魔導技師。殊に生体魔導機構の研究に功のあった方。製造が禁止されている種類の魔法生物かどうかぐらい、一目で見分けることができるはずですわ……」


 大司祭ミスラトネルシェラが、娘の言葉にうなずきながら、重い溜息をついた。

 あけぼの色の宝珠と緩やかな髪が、優雅な仕草に応じて揺れる。


「メイダルの権力の一翼を担う者として、ラーファシュルズ様には心よりのお詫びを申し上げます」


 丁寧に、聖職者の謝罪の礼を取る。


「このメイダルに、魔導技術を悪用して誉むべきニレッティア帝国に害をなそうとする者がいることを。これは女神の民として、捨て置けない不始末です。わたくしが名誉にかけて、ラーファシュルズ様の安全には責任を持たせていただきますわ」


「……具体的には、どういったことをしていただけるのか、お教え願えますか?」


 氷のような薄青の目を眼鏡の奥で光らせて、そう切り出したのは、ラーファシュルズの隣に座ったプラチナブロンドの若者だった。

 およそ、ラーファシュルズと歳の頃は同じくらいだ。

 ニレッティアの貴族階級の男性の印である、銀灰色のフロックコートを身にまとい、鋭い目で怖じることなく大司祭を見据える。


「あんたね、母さんが、この国の聖職者の最高位に立つひとがそう言ってんのに、何よ、その態度!! 図に乗ってるんじゃないわ!!」


 ドニアリラータにびしりと怒鳴りつけられて、一瞬眼鏡の青年が鼻白む。


「やめなさい、ドニア」


 穏やかに、大司祭本人が割って入った。


「……失礼いたしました。ご説明がまだでしたね。このアジェクルジット島には、全島に、一種の結界が張られているのです。それを更に強化いたします」


 恐らく、メイダル人でない者にも理解できるように、話を簡略化しているのであろう。

 大司祭ミスラトネルシェラは、言葉を選んでいる様子だった。


「女神オルストゥーラや、その聖職者、信者や、その者らにかくまわれる者に悪意や害意を持つ者は、島にいられないという種類の結界なのです。もし暗殺者や暗殺用の魔法生物が放たれても、次の瞬間、全力で島から逃げ出さねばならなくなるでしょう」


「なるほど」


 気を取り直した眼鏡の青年が唸った。


「そういうことでしたか。何も知らず、誠にご無礼を……」


「全くだ。君は僕のことになると目の色が変わるんだから」


 はぁあ、と盛大な溜息をついたのはラーファシュルズ。


「考えてもみるんだ。この凄まじいメイダル文明の最も太い柱となった大司祭家の御当主様が、たかが僕ら程度の頭で考え付くレベルの手抜かりなんか、おありになる訳ないだろう。頭を冷やせ――マーディン」


 その名で呼ばれ、マーディンと呼ばれた青年は恥じ入る様子を見せ、改めて大司祭に非礼を詫びた。


 本来なら、このメイダルの王家を凌ぐ権力と由緒正しさを持っている大司祭家の私邸、それも私的な客のための応接室で、大司祭本人、及びその娘たちと同じテーブルに就くという栄誉を与えられているのに。


 自分は、主を案じるあまり、かなりまずいことを――


「……ラーファシュルズ様。忠実な上級執事様でいらっしゃいますね……? ニレッティアの上級執事という役職の方は、誰もがこんなに頼もしいものですかしら……?」


 くすくすと、気持ちを和ませるようにアニミアラジャートが微笑んだ。

 その静謐な優雅さに、マーディンはますます恥ずかしくなり、だがその主のラーファシュルズは、まるで子供のように胸を張る。


「彼は、僕の最も信頼する家臣なのです。僕のためだったら、自分の立場など、向こうにうっちゃっておくことぐらい、何でもない男なのですよ。ご無礼は、彼の責任ではなく、僕が至らないからです。どうぞ、お許しを」


 ふうん、と鼻を鳴らしたのは、ドニアリラータだった。


「でも、誰にでも彼にでも吠え付く犬は、安く見られるわよ? 少し教育し直した方がいいんじゃない?」


 おのれ、この生意気な小娘が。


 マーディンは殺意の籠った目を、どうにか伏せることに成功した。

 そんなことをしても、魔力を子細に読むことができるメイダルの霊宝族からすればバレバレであろうが、どういう態度かは大切な要素だ。

 ラーファシュルズは苦笑し。

 そして、彼女の母と姉は、口々に末娘をたしなめた。


「まあ、いいわ」


 さらりと、ドニアリラータは髪を掻き上げた。


「あたしとしてもやることがあるわ。それを邪魔しないなら、どうでもいいわよ。あんたたちはここで震えてなさい。できるもんなら、昼寝でもすることね」


 何か企み顔のドニアリラータに、ラーファシュルズとマーディンの主従は、思わず顔を見合わせ。

 どちらが口を開くべきか、一瞬迷ったのだった。

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