1-6 女神の救済

「ケイエスさん。おいでをお待ちしておりました」


 大神殿の告解室、ガラス細工越の光が満ちる密室で、オルストゥーラ女神の大司祭、ミスラトネルシェラは、ケイエスとマルリミヤーナに向き合った。

 まるで職人が紋様を手描きしたのではないかと思わせるような、華麗な木目の机が、両者の間に静かに横たわっている。


「弟君には、我が娘がお世話になりました。あなたにも、我が娘はお目通りいたしましたね?」


 その言葉を聞いて、いつもの帽子を取って控えていたケイエスは、がっくり肩を落とした。


「大司祭様。なら、俺がどれだけの下劣漢だか、姫君からお聞き及びでしょう。……何をされても、仕方ないと思っております」


 うつむいて次の言葉を待つケイエスの肌に、マルリミヤーナがはっとしたように緊張する気配、そして、ミスラトネルシェラが穏やかに微笑む気配が、同時に伝わってきた。


「いえ。そのことですが、結論から申しますと、あなたが今心の底から悔いているそのことも、神々の計画の上では、必要なことだったのですよ」


 はたと、ケイエスは顔を上げた。


「今となっては、あなたにとって、不本意極まりない役目であったでしょう。そして、今まさにあなたを苦しめているのは、既に存じております。しかし、神々、ことに遊戯神ピリエミニエの計画シナリオに、それは欠かせないことでした」


 どきどきと、ケイエスの胸が高鳴る。

 こんなことが欠かせなかったのか。

 本当にそうなのだろうか?

 自分が裏切りさえしなければ、弟とその仲間はもっとスムーズに目的に到達できたとしか思えないが。


「人の目には、最も合理的に見えるものが、神々の計画の上、つまり世にある最善について、最も沿ったものではない、ということは多いものです。ありふれているとすら言えるでしょう」


 神々の世界を常に見通していると言われる、生きる伝説のような大司祭は、穏やかに言葉を連ねた。


「人の身としては納得いかないかも知れませんが、例えどんなに最悪に見えることでも、それは必要なことでした。この大司祭ミスラトネルシェラが、我が女神の名にかけて、保証いたします」


「でも……でも……」


 ケイエスは、まるで駄々っ子のように否定をこぼした。

 納得いかない。

 全く、納得いかない。


「あなたは、赦しを求めてきたのですね? しかし、それは必要ありません。何故なら、あなたは既に神々に赦されているからです。それどころか、我が女神始め神々は、あなたを非常に気にかけておられますよ?」


 ケイエスは首を振った。


「……どの神に赦されても、あいつに赦してもらえなければ、意味がない。それに、俺は自分が赦せないんです」


 机の上に置かれた、ケイエスの拳が真っ白に染まった。


「……俺が、十三歳の夏でした。弟は、ジーニックは九歳で。俺はもう体が並の大人よりでかかったけど、弟は小さな痩せた子供で」


 唐突に始まった告白を、ミスラトネルシェラも、マルリミヤーナも、止めようとはしなかった。


「……ちょうど、俺は粋がってる年ごろで。近所の悪ガキどもと、トラブルになってたんです。弟を連れて遊びに行った帰り、大人数で待ち伏せされて」


 思い出す。

 あの時の、ぞっとする恐怖。

 自分一人なら良かった。

 しかし、側には決して体力があるとは言えない弟がいた。


「……弟を、逃がして自分一人で立ち回ろうとしたんですが。弟は拒否しました。それどころか、俺を小突き回している連中に掴みかかって、『兄ちゃんをいじめるな!!』って。あんな小さな体で……勝てるはずもないのに……!! 俺を守ろうと……!!」


 ケイエスの言葉には嗚咽が混じり始めた。


「俺はあいつに言ったんだ。殺されるから逃げろって。実際、近所の子供を殺したことがあるって、不穏な噂のある悪ガキで……。でも、あいつは……そのことを知ってるはずなのに、あいつは……ッ!!」


 ケイエスは顔を覆った。


「『自分が死ぬより、兄ちゃんがひどい目に遭う方が嫌だ』ってあいつは……ッ!! あいつらに立ち向かって行って……血まみれになって……!! 通りかかった巡視隊に引き離されるまであいつは……俺を守るために……ッ!!」


 ミスラトネルシェラが、静かにうなずく気配がした。


「あの時、誓ったはずなのに……自分がどんな目に遭っても、こいつの幸せだけは守ろうって……!! 何で、いつの間にあいつが嫌いになってたんだろう……一度だって本当に悪いことなんてしたことのないあいつを、俺は……ッ!!」


 血を吐く叫びが迸った。

 繰り返し思い出す。

 あの時の、血まみれで、目に涙をいっぱいにためたジーニック。


「些細な行き違いで、悪が生じてしまうことがあるものです。あなたと弟君のことは、我が女神のお告げによって、大体は理解しております。あなたは気にしておいでのようですが、弟君は、とっくの昔にあなたを赦しておられますよ?」


 大司祭の言葉に、ケイエスははたと顔を上げた。

 女神の名代と呼ばれるそのひとの表情は、あくまで静かで穏やかだった。


「むしろ、弟君は、あなたのお国の中での立場を気にしておられるようです。後ろ盾の方が、失脚しましたね? そうなると、あなたの立場は極端に悪くなる、大丈夫だろうか、本当に心配だ、と……」


 ケイエスは声を上げて泣いた。

 ジーニックの名前が口を衝いた。

 激しい後悔は、滝のように彼を押しつぶそうとする。


「大司祭様……ッ!! 俺は……俺は、どうすれば……!!」


「……答えは、既にあなたの心の中にあるはずです。弟君のところへ行きなさい。そして、誠心誠意謝罪するのです。そして、あなたの心の中にある、最も強い思いを伝えるのです……弟君を、愛している、と」


 大司祭の言葉に、ケイエスは声もなくうなずいた。

 そうだ。

 ずっと、そうしたかったのだ、自分は。


「……それと、ケイエスさん。我が女神は、この度の計画に大きな役割を果たしたあなたに、褒美を下し置かれたい、と」


 ケイエスは、頭上から差し込む光に目を上げた。

 輝く何かが、ゆっくりと、彼の方に降りてこようとしていた。

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