「世界は骰子と遊戯盤」番外編

大久保珠恵

第一章 兄と弟と罪と虹

1-1 贈り物と罪悪感

「うおおお!! 見ろ、ミーナ!! ふさふさだぞお!!!」


 子供のように喜悦の声を上げている父親を、ケイエスはうっそりした顔で眺めていた。

 滅多に見ることのない姿――父親センジュールの、帽子を外して、歳も忘れてはしゃぐ姿が、何だか途轍もなく遠いもののように感じられる。


 実際には、いつものルフィーニルの自宅の居間、午後の陽の射すひと時。

 ケイエスの他に、両親と、すぐ下の弟ディルアドが同じテーブルに着いている。

 末弟であるジーニックは、ここにはいない。

 彼の拠点は、すでにこのニレッティア帝国にない。

 海の向こうの隣国、ルゼロスで、貴族、それも最高位の公爵という立場に取り立てられているのだ。


 六大神によって、彼は選ばれた。

 長年続いた、神聖六種族間の軋轢を払拭する、神聖な冒険のために。

「六英雄」。

 そう呼ばれた、神聖六種族から一人ずつ選ばれた英雄が、種族間の垣根を越えて運命共同体を結成し、世界を救う旅に挑んだ。


 結果は――大成功。


 勇敢で知恵溢れる巫女姫レルシェントのとりなしで、かつて地上を見限った霊宝族は、再び地上に目を向けた。彼らがかつて設置した遺跡の害は、地上から取り除かれたのだ。

 彼らの協力を得て、ルゼロスの冷や飯食い王族だったオディラギアスは、倒壊して他国にも被害を及ぼしかねなかった故国を奇跡のように立ち直らせた。


 彼らに随伴し、冒険の旅を共にした仲間の一人が、まさかの末弟ジーニックだ。


 その功績で、彼は新生ルゼロス王国において「マイラーサヴィール公爵」の位を与えられ、今はルゼロスの商業活動のとりまとめを任されている。

「商人貴族」と呼ばれる彼の富は、今や莫大だ。

 ケイエスは、彼の妨害をしたつもりでいたが、実際には、結果としての成功の後押しをしてしまった。


 そして――そんなジーニックが実家であるマイラー家に送ってきてくれた「メイダル土産」が、目の前に置かれた数本の魔法薬。

 メイダルの洒落た書体で印刷された「薄毛の予防及び治療薬」というラベルが、そっくりそのまま、その魔法薬の効能を表している。


 一本飲むだけで、加齢や病気に伴う薄毛・禿頭を永遠に治す、夢の薬。


「実際に飲んで納得してみてほしいでやす。納得したら、是非メイダルからの輸入・販売をお勧めするでやすよ!! 人間族主体のニレッティア帝国なら、途轍もない需要があるはずでやす!!」

 と、強い言葉で勧めるジーニックの手紙が、その薬には付いていた。


 かくして、マイラー家の面々は、夢の魔法薬のモニターも兼ねて、それを試してみることになったのだが。


「お……おお? 何か、ふっさりした!!」


 ケイエス同様、父親の栗色の髪を受け継いだ上の弟が、流行りの髪型に整えていた前髪辺りをしきりに触った。


「去年あたりから微妙にこう……って思ってたけど、子供の頃みたいにふっさりしたぜ、父さん母さん!!」


 テーブルの上に置かれた化粧鏡を覗き込みながら、ディルアドが喜悦の声を上げる。


 確かに、その薬の効果は抜群だった。

 微妙どころか、きれいに前頭部から頭頂まで禿げ上がってしまい、家のなかでも帽子を手放さなかった父親は、今や帽子を放り出している。

 数瞬前までが嘘のように、白髪交じりではあるが豊かに茂った茶色い頭髪を、目を輝かせながら手櫛ですいていた。椅子から立ち上がってくるくる踊るようなステップで喜びを表しながら、時々化粧鏡を覗き込んでいる。


 隣では、母親がきっちりしたまとめ髪を、内側から押すようにボリュームアップさせる増量分に苦戦していた。


「いたたた……結っているところが引っ張られて痛いわ。本当に髪が増えるのね、この薬!!」


 ちょっとはしたないけど、薬効を確かめるためですものね、と誰にともなく言い訳しながら、母親がまとめ髪をほどく。

 こちらも白髪交じりではあるが、しっとりした綺麗な黒髪は、明らかに豊かになって彼女のドレスの肩を覆っていた。


「ん……どうしたんだよ、兄さん?」


 ふと。

 ディルアドが、未だ魔法薬に手を付けていないケイエスに気付いた。


「飲まないのか? ……っていうか、どうしてそんなに凄い形相をしてるんだ?」


 いつものように穏やかな表情のまま、優男の次男、ディルアドが顔を覗き込んでくる。


 分かっている。

 自分でも自覚がある。


 ケイエスは、今、凄い形相で、目の前の――異国で成功した末弟から送られてきた、夢みたいな魔法薬を睨みつけている。

 ちらと化粧鏡に走らせた目に映ったのは、まるで毒殺刑に処せられる人間が、これから自分に盛られる毒薬を睨み据えるような、凄惨な表情。


「……ケイエス? ねえ、どうしたの、あんた」


 母親も気付いたらしく、手早く髪をひとまとめに束ねると近づいてきた。


「気分が悪いの? お腹が痛いの? どうしたのよ?」


 ケイエスは暗鬱な目のまま、母親を睨む。

 彼女のことは、今までの生活の中で、心底嫌いだと思ったことが一度もない。

 朗らかで、優しくて、包容力がある、それにしっかりした女性だということも、大人になってから分かった。


 いい母親に恵まれたと思う。

 しかし、今ばかりは忌まわしい。


 彼女の黒髪、年齢より若く見える童顔、小柄なほっそりした体つき――全部が、末弟を、ジーニックを嫌でも思い起こさせるから。


「……この薬、毒が入っているかも知れねえ」


 ぎらぎらと目を輝かせながら言い放つケイエスに、一瞬母親はぎょっとしたようだった。彼女の表情が凍り付く。

 父も、弟も、まじまじと目を見開いて彼を凝視する。


「……あいつが、ジーニックが送ってきたんだろう。俺は、あいつに恨まれてるからな」


 端的な言葉を吐き捨てると、いきなり肩を掴まれた。

 見上げると、母親が見たこともない悲壮な表情で、ケイエスを見下ろしている。


「……ケイエス。あんた、本気で言ってるの!?」


 血のような言葉が浴びせられた。


「あんたって子は!! ジーニックに、あんなことをしたばかりか、そんな……そんな……ッ!!!」


 母親の目に涙が膨れ上がった時、ケイエスの胸に強烈な罪悪感が込み上げた。


「ケイエス。そう思ってしまう気持ちは分かる」


 顔を覆った母親を、そっと長男から引き離し、父親が静かに見据えた。

 その目に、憐みの光がある。


「だが、あの子はそんな子じゃない。?」


 咄嗟に、ケイエスは顔を背けた。

 自分の心を守るために。


「兄さん……兄さんは、疲れてるんだ。色々あったものな」


 悲し気な表情で、ディルアドがそう囁きかけた。


「世界が急激に変わってる……あの子たちが変えたんだ。ついていかなきゃいけない、俺たちは。新しい時代が来たんだ。前のことに囚われていちゃいけない。あの子に謝るなら、俺も付き合うから……」


「うるせえ!!!」


 かっとして、ケイエスは立ち上がった。

 足音荒く居間を出て、自室に向かう。

 鍵をかけて、引きこもった。



 ◇ ◆ ◇


 どのくらい、ぼんやりしていただろう。

 薄闇の落ち始めた部屋で、ケイエスは我に返った。

 ソファに寄りかかり、今まで寝ていたのか起きていたのかすら、よく分からない。


 ふらふらと、立ち上がって、書き物机に向かう。

 仕事の書類が文鎮でまとめられているのが目に付く。


 ――メイダルの技術が全面的に導入されれば、もはや紙の書類は儀礼的なもの以外はほとんど必要なくなると聞いたが、本当だろうか?


 ふと、机の奥、幾つかある写真立ての中の一枚が目に入った。

 何かの時に撮った、家族写真だ。


 右端で笑っている、当時まだ十代だったはずのジーニックの笑顔が、突き刺さるように目に飛び込んでくる。


 いたたまれなくて、ケイエスは、その写真立てを、天板に伏せて見えないようにした。

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