第3話 男、約束! 指切りげんまん①

 部活終わり、晴明と康作はコンビニの前に座りながら揚げたてのチキンにむしゃぶりついていた。部活で疲れた彼らの身体がカロリーを欲するのである。食べ終えた康作は紙袋を折りたたんでくずかごに放り捨てる。


「最近、中学に上がったいなほが反抗期になってのぉ。口も聞いてくれんようになってしもたんじゃ」

「あのいなほちゃんがぁ? この間会ったときは普通に挨拶してきてくれたぞ。あの子反抗期とは無縁だろ」

「兄弟のおらんお前には到底分からんじゃろ、ついこの間まではお兄ちゃんお兄ちゃんと慕ってくれとったあのいなほが急に冷たくなったんじゃ……」


 オヨヨ……と泣くようなそぶりを見せる康作を横目に指についた油をぺろりとなめ、紙袋をクシャッと丸めてくずかごに投げ捨てる。

 上手く入らなかったゴミはくずかごのへりにポンと当たって跳ね返り、下へ転がり落ちる。晴明はめんどくさそうな表情を見せながらも拾って捨てなおす。


「……純粋に思春期を迎えただけじゃねぇの?年頃の女の子なら男兄弟と険悪になるとかよく聞く話だろ」

「しかしめぐるちゃんとカケルはいつも仲良しじゃろ?」

「そりゃお前、あれだけ歳も離れればめぐるも弟のことが可愛くて仕方ないだろ。歳が近ければデリケートな問題になるんだって。聞いた話だけどよ」

「貴様、自分の事じゃないと思って真面目に考えとらんじゃろ!」


 激昂げきこうする康作に対して「バレたか」と言いながらおどけて舌を出す晴明。うごー! と全身で怒りをあらわにして逃げる晴明を康作が追いかけていると同じように部活帰りのめぐるとサキにばったりと遭遇する。


「何してんの、あんたら……」

「「……食後の運動」」


 見事なハモりにサキは「おぉ~」と感嘆の声を上げながら拍手する。



 ☆☆☆☆☆



「はぁ~、反抗期ねぇ。それを言ったらばんちょーだってあったでしょ、親に対してとか先生に対してとか」

「と言うよりもコイツの場合、この格好自体がそもそも世間に対する反抗みたいなもんだろ。今さら破帽に下駄て、時代錯誤もはなはだしいわ」

「妹さんはそれを嫌がってるんじゃ……」


 3人に責められてさすがの康作もしょげる。さらにめぐるはトドめを刺す。


「晴明の言う通りいなほちゃんいい子よ? ばんちょーがなんかやって怒らせたんじゃないの?」


 晴明も「だよなぁ」とうなずきつつ康作の方を見ると彼は目を泳がせながら「もしや、ヘルガイストの仕業かもしれん!!」などと言っているので3人は一層しらけた視線を彼に向ける。

 しかし康作は思いだしていた。彼の応援するアイドルがシングルを発売した日、彼はいなほと買い物に行く約束をしていたにもかかわらず、見事約束をすっかりすっぽかし、一人CDを買いに行ってしまった。

 そのすべての記憶が蘇り、滝のような汗を流す。


「ほら見ろ。やっぱり思いたたる節があるんだ、解散解散」

「ち、違うんじゃ! あのときはたまたま、たまたま約束を忘れてしまって!」

「約束忘れちゃったんですか……。一度でもすっぽかされたら誰だって怒りますよ……」

「ぐ、ぐおぉぉぉぉぉ!」


 サキに正論を浴びせられクリティカルに効いた康作は、雄たけびを上げながら急いで自転車にまたがりダッシュで自宅に向け、一心不乱に漕ぎ始める。その電光石火のごとく素早さは見習いたいものだな、と思いつつ晴明は康作の忘れて行ったバッグと自分のバッグを抱えて帰り支度を始める。

 康作が自転車を走らせた方向とは逆方向から一人の男が顔を青ざめさせながらフラフラとおぼつかない足取りで歩いてくる。

 彼はずっとブツブツと「なんで約束を破るんだ……」、「この僕をバカにしているのか……」とうつろ気な目をしながら呟き続ける。恐らく彼も何か大事な約束をすっぽかされたのだろう、晴明たちにとってはタイムリーな話題である。


「約束を守らないとああなっちまうってことだな、肝に銘じよう……」

「気の毒だけど、部外者が口出ししてもしょうがないし、そっとしておいた方がいいよね」

「そ、そうですよね」


 男ことが心配にもなるが三人はその場を後にし、家路につく。



 ☆☆☆☆☆



 晴明たちの前に現れた男、彼は恋人とのデートの約束を取り付けていた。にもかかわらず時間になっても彼女は現れないどころか、別の男と並んで歩いているところを目撃してしまったのだ。

 その光景を目の前にした男は一目散に待ち合わせ場所から逃げ出した。なんと彼はその日、彼女にプロポーズを申し込もうとしていたのである。緊張の中にあった彼にとってあまりに信じられないショッキングなものだった。

 なんと無情なことか。こうして自暴自棄になるのも無理ない……。

 それからどれほどの時間がたったのだろう、生気なくうつむいて歩く彼の目線の先に夕日により伸びる人影があった。顔を上げてみると不敵な笑みを浮かべる青年、榎戸水鏡がじっと立っていた。


「なんだお前は……」


 男は何か底知れない不安を感じた。だが精神状態の悪い彼はそれ以上思考が回らない。

 危険だということが分かってもそれ以上の行動をとることができない。

 榎戸は名乗ることはなく水晶を通して彼を


「恋人が別の男を作っていたのを見てしまって、つい逃げ出してしまったのか。それもプロポーズをしようと思っていた矢先に。しかしそんな状態で歩いていては危険ですよ、僕が力を貸してあげましょう――」


 ――ヤバい!


 やっと脳が正常に働き、直観的に感じ取ったときにはすでに遅かった。逃げ出そうにも足ががっしりと地面に固定されたかのように身体が動かず、榎戸から視線をそらすことすらできない。

 自分の心の内を読まれていたことなど気にすることもできないほどに動転している。

 目を瞑り手を合わせた榎戸は呪文を唱え始め、茜色に染まっていた空はいつの間にやら深い深い漆黒の雲に覆われている。

 その雲の合間から姿を現した化け物のようなものが男に襲いかかってくる。


「や、やめろ!来るな、来るなぁ!」


 その叫びむなしく、一瞬にして全身を覆われすべての瘴気が男の体の中へと入り込んでいく。

 しばらく気を失い、目が覚めた時にはすでに夕日が沈み、あたりは闇の中に包まれていた。ぼんやりとした記憶の中地面から起き上がった男は辺りを見回しなんでこんなところで倒れていたのだろうかと考える。しかしズキッとする痛みを頭に感じ、一刻も早く家に帰らねばと、またうつろ気な目で夜道をフラフラと歩いていく。



 ☆☆☆☆☆



「ほんとにすまんかった!」


 深々と頭を下げる康作の前にはおさげの女の子が腕を組みながらジトっとした目つきで立っている。女の子、つまり康作の妹であるいなほは「ハァ~」と大きくため息をつくとしゃがんで目線を康作と同じ高さにもっていく。


「お兄ちゃん、この間のことほんとに反省してるの?」

「もちろんじゃ! さっき思いだしての、ものすごい反省しとる!」

「とかいって、どうせ晴明さんやめぐるさんに言われてやっと思い出しただけなんでしょ」

「ギクゥッ……!」

「やっぱり……」


 露骨に目を泳がせる康作の様子を見てすべてを悟ったいなほはまた大きくため息をつき、やれやれといった優しい表情になると、手を差し出す。

 康作はそのいなほの手を掴むと巨漢には似合わぬウルウルとした涙目を向ける。


「まぁいいや、あの2人に免じて今回は許したげる」

「おぉ、いなほぉ……! さすがはワシの妹じゃあ、話が分かるのォ!」

「その代わり、明日はこの間の穴埋めをするために私の買い物に付き合うこと! 来週とかにしちゃうとお兄ちゃんまたすっぽかしちゃいそうだし」

「もちろんじゃ、きちんと買い物に付き合おう! 男に二言はない!」


 情けない涙目から一転、シャキッとした顔を向けて胸を張る康作。

 その様子を見届けたいなほは兄の覚悟として受け止め、「よしっ」というと彼の手を引っ張り立ち上がらせると、二人で明日の予定を立てながら食卓へ向かう。



 ☆☆☆☆☆



 ヘルガイストに取りつかれた男は行く当てもないままに街灯の少ない暗い夜道をフラフラとさまよい続けていた。自暴自棄ゆえにほとんど自分の意思は持っておらず自分が今どこで何をしているのかもはっきりとわかっていない、まるで悪夢の中を歩いているような状態の中にいた。

 いつの間にか、さらに人通りの少ない路地に入り込んでおり、男の目の前には三人のチンピラが立ちふさがる。


「よう兄ちゃん、こんな夜更けに一人で何してんだよ」

「……」


 ニット帽を深く被った男がガムを噛みながら訊ねるがそれに答えることはない。三人のうちのリーダー格の男はしかとをされたことにカチンときたようで、ヘルガイストの男にすごみながら詰め寄って胸倉をつかみ、ガンを飛ばす。彼はそこではじめて男たちの存在を認識したかのように三人を生気のない目で一べつする。


「おいおいおい、せっかく心配になってこっちが聞いてンだよ。何か答えようぜ兄ちゃんよォ!」

「ギャハハハ、やめてやれって! それじゃあビビって余計にも言えなくなるって!」


 下卑た笑いをする男達。だがヘルガイストの男は再び何も反応を示さなくなる。黙りこくる様子を見て金髪をオールバックにしたサングラスの男は彼が恐怖していると勘違いし、さらにまくし立てるように煽る。対してリーダー格はあまりの反応の薄さに「フンッ」とつまらなさそうにつかんだ胸倉を放す。解放された男にニット帽が近づき、右手の親指と人差し指を合わせて丸を作り、ヘルガイストの男の肩を組んで見せつける。


「あんまりこの辺でそんな態度をとってっとよぉ、怖~いお兄さんたちに絡まれるんだぜぇ~。優しい俺たちがわざわざ教えてあげてんだ。その授業料、払っても損はないと思うんだがなぁ~。ヘッヘッヘッヘ!」


 だが依然として無視するようにヘルガイストの男は肩に回された腕からするりと抜けると、またフラフラと歩き始める。三人のチンピラはその男の舐めた態度についに腹を立てて一斉に殴り掛かる。

 だが、誰一人として拳は届かなかった。

 男の身体から発せられるが三人は弾き飛ばしたのだ。一瞬何が起こったのかわからなかった。リーダー格の男は再び立ち上がり、改めて拳を振りかざすが、男の体の中から出て来た黒い影の拳により顔面を殴られる。

 ドシャァ、という鈍い音と共にリーダー格は地面に倒れ込んで、身体をピクピクとけいれんさせる。残りの二人はリーダー格のありさまを目の当たりにして絶叫しながらその場から逃げ出す。

 逃げ去ろうとする連中をじっと視界に入れながら男はゆっくり左腕をかざす。すると指先から巨大化したヘルガイストの全身が勢いよく飛び出し、逃げる二人の首根っこを掴むと高く持ち上げる。


「「た、助けてくれぇ!!」」


 恐怖に顔をゆがませながらジタバタと暴れる男たちに、ヘルガイストは口角が引き裂けるようなニヤけ面を向け、いきなり両手をパッと離す。


「いでぇっ!」

「ぐぇっ!」


 二人は落とされた衝撃で足にけがを負い、立ち上がることもままならなくなる。ヘルガイストの気をまとった男が一歩、また一歩と近づいてくるたびに顔をこわばらせていく。男はハッと気が付くとヘルガイストは男の体の中へと吸い込まれるように戻っていく。正気に戻った男は目の前の惨状をみて言葉を失う。路上に倒れる三人のチンピラたち。

 彼らは自分の顔をみるやいなや、まるで化け物を目の前にし、恐怖に支配されたかのような怯えきった視線を向けるのだ。

 いや今の彼は実際化け物には違いない。うっすらと自分の中に宿る何かが目の前の彼らを傷つけていく様子が記憶に刻まれていた。断片的ながらそれらの出来事を思いだした瞬間、何もかもが怖くなり、その場を後にした。



 ☆☆☆☆☆



『――昨日、けがをした男性三人組が路上で倒れているのを発見され……』

「うちの近所か、物騒だなぁ……」


 翌朝、部活動も休みの晴明はテレビをぼーっと眺めながら朝食を食べていると、外から「おじゃましまーすっ!」という聞き覚えのある元気な声が聞こえてくる。

 窓から顔を覗かせると野球道具一式を持つカケルの姿があった。週末に野球の練習を約束していたため、晴明を迎えに来たのだ。


「おー、カケル早かったな。待ってろすぐ準備する」

「えっへっへ、楽しみだったから早く来ちゃった!」


 準備を終えた晴明はカケルが見つけたという練習にもってこいの空地へ向かうべく並んで歩く。

 彼の友人もそこにいるらしく、あの上村謙介もその仲間に入っていた。この間は散々な目に合わされたが、今では仲良くしているらしい。


「今日はばんちょーはいないんだね。なんか兄ちゃんとばんちょーっていつも一緒にいるイメージだったんだけど」

「あー、アイツなぁ。なんでもこの間妹との約束をすっぽかしたらしくてさ。その反省もかねて荷物持ちとして今日は二人でお出かけなんだと」

「ばんちょーに妹がいたんだ……。なんか想像できないなぁ」

「そうだぞ、しかも奴に似ても似つかない美人な妹だ。てか、いなほちゃんはいま中一だから、カケルも一度くらい面識はありそうなんだがな」


 晴明は快晴の空を見上げながら考えているとカケルの足がピタッと止まる。

 さっきまで横にいたカケルが急にいなくなったので不思議に思い、振り向くと顔面を真っ青にさせながらがくがくと震える彼の姿があった。


「い、いなほってあの夕柳第一小の女番長スケバンとうたわれた田端いなほ……? それがばんちょーの妹だったなんて……」

「な、なんだそりゃ……。あのいなほちゃんが女番長スケバン!?」


 思いがけない返答に驚く晴明。いなほのイメージと女番長と言う言葉とが全くかけ離れ過ぎているせいで、頭の中の処理速度がどんどんと低下していくのが分かる。

 カケルはゴクンと喉を鳴らしてから神妙な面持ちで話し始める。


「兄ちゃん知らないの? うちの小学校の不良グループを壊滅させるだけでなく更生までさせ、全学年の全男子生徒から恐れられた伝説の女子がいるって話……」

「確かに一時期小学生の間でそんな話が持ち上がってるってのは聞いたことあったけど、まあよくある噂話だろ程度にしか思ってなかったな」

「俺もあの話がどこまで事実か知らないけど……、でも実際に見ちゃったんだ! 学校じゃ不良ワルって言われてるような奴らが女番長に道を譲って通り過ぎるまで頭を下げて挨拶しているのを!」

「マジかよ、人の意外な一面を知ってしまったな……」

「こ、この話をしたこと、絶対に女番長には言わないでね! こ、殺されちゃう!」


 カケルは涙目になりながら晴明の服の裾をグイグイと引っ張りながら懇願こんがんする。「わかった、わかった」とカケルの頭をポンポンと叩く晴明。彼はあの似つかない二人になんだかんだ共通点があると知り、つい笑ってしまった。


(あの康作が妹に頭が上がらない理由ワケもそういうことなんだろうな)


 カケルの見つけた空き地に着くとすでに彼の友人たち数人がキャッチボールをしていた。二人とも軽くストレッチをし、グローブをはめると、小走りでその輪の中に入っていく。

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