第九章 それぞれの戦い

(1)

「これ、だな……」

 机の上に積まれた資料の中からラウルがそれを見つけ出した時、小屋にはカイトとアイシャの二人がいて、共に机の上に広げた紙と格闘していた。

「え? 何がです、ラウルさん」

 丸まっていた紙を何とかしてまっすぐにしようと悪戦苦闘しながらのカイトに、ラウルは手にした雑記帳の内容を読み上げる。

「大いなる力、小さき命と影をもて、全き闇に捧げ祈らん。嘆きの声、三重の螺旋と五重の陣。大地を覆い、空を埋め、世界に完全なる静寂をもたらさん」

「……それ、呪文ですか」

「いや、儀式じゃないかと思う。奴らはしきりに、「儀式」と「巫女」を気にしていた。この文章が手がかりになりそうだ」

 それは、エルドナの分神殿からギルドが持ち出してきたもの。なんでもあの分神殿を任されていた司祭の部屋から見つかったものだというが、ゾーンの書と呼ばれる禍々しき死霊術を記した本の写しだった。

 写本と言っても粗悪なもので、どちらかというと覚え書きに近い。

「前半はほとんど禁呪についての記述だったが、最後の方にこの文章と図が載ってる。これは儀式に使う陣だろうな」

 その頁を開いてカイトに渡す。カイトはどれどれ、とその頁に顔を近づけると、途端にばっと顔を離した。

「うわっ……なんかすごく嫌な感じ」

 そこに描かれていたのは禍々しい陣。ラウルも数々の儀式で用いる陣を知っているが、こんなものは見たことがない。それはカイトも同じだったようで、一旦離した頁を恐る恐る眺めつつ、そこに刻まれた神聖文字を辿って、また顔をしかめている。

「うわぁ……死とか影とか嘆きとか、そんなことばっかり書いてある……」

 ずれた眼鏡を直しつつ、カイトは雑記帳をラウルに戻した。それを受け取って、ラウルはふと尋ねる。

「で、地図は書けたのか?」

「ええ、ばっちりですよ。ほら、これがクレヴァ川の跡、グレメドの遺跡、そしてルソールの街に旧街道。縮尺も距離も完璧に仕上げました!」

 ラウル達が推測した彼らの根城は、盗賊ギルドが潜入捜査の上、調べ出した場所とほぼ一致した。

 二つの国の間に広がる荒野、その中央部をかつて流れていた川の中流に位置するグレメドの遺跡。ルーンが滅びた後に興った都市国家の残骸である。

 荒野に点在する遺跡の中では新しい方で、それだけに風化もさほど進んでいない。特に王の居城であった石造りの建物は、今も尚都市の中心にほぼそのままの形で残っているという。

 この場所に、彼らはいる。そして今、儀式の準備に余念がない。

 しかしその儀式には、あの竜が必要だ。

「卵が今、ラウルさんに宿ってること、彼らは知ってるんですよね?」

 不安げなカイトの言葉に、ラウルは多分な、と嘯く。

「確証は持ってないかもしれないが、俺の口から言っちまったことだしな」

 最後の最後で、ラウルは竜の隠し場所について言及した。実際に自白剤を使われたわけではないから詳しくは言わなかったが、素直に受け取れば正解となる答えを告げたのだ。それを聞いていた『影の神殿』のサイハという男。男爵とともに部屋を出て行ったものの、いつの間にかその姿は消えていたという。恐らくは男爵を見限って逃走したのだろうから、その情報が彼らに伝わっていないわけはない。

「それにしては動きがないですよね」

「ああ、それがちょっと気になるよな。もっとも、今の厳戒態勢を警戒してるだけかもしれないが」

 そう。村は今、まさに臨戦状態を呈していた。

 卵を宿したラウルがここにいる以上、いつまた彼らが襲って来るかも分からない。というわけで、村人総出で事に当たっている。

 彼らは手分けをして、食料の備蓄や薪、油など燃料の確保、また決戦に備えて戦闘配置の検討や非戦闘員の避難経路の模索に余念がない。

 また、村を囲う粗末な木の柵は、ところどころ壊れたままになっていたこともあって、この機会に強化することになり、村の男が総出で柵を補修し、その外側に土嚢を積んで急ごしらえの防壁を築いている。南門は春まで利用することもないため、木の板で厳重に封鎖し、ラウルが作った対死霊用の呪符を貼った。

 正門は流石に封鎖するわけにもいかないので、常に見張りを二人以上配置して、警備に当たっている。

 エルドナの一件で、街の警備隊がこちらに人数を裂いてくれたのもありがたかった。エルドナからやってきた警備隊は十人ほどだったが、皆一所懸命に村の警備に当たってくれている。

 王都の守備隊も本格的に『影の神殿』の調査に乗り出しているというが、彼らに任せて静観を決め込むことなど出来るはずもない。

 そして。エストがかつて冒険者で賑わう村だったことが、今回は彼らの大きな強みだった。

 小さいながらも、宿屋や鍛冶屋、雑貨屋や、神殿に鐘つき堂といった設備が揃っているし、村人の中でかつて冒険者だったという者は、調べてみると総勢二十名ほどに及んでいた。そのうち半分はすでに現役を退いて久しい四十代以上の人間達だ。そんな彼らに無理はさせられない。警備隊と協力して、村と村人を守ることをお願いした。

 実際に実戦投入が可能な者は十人ほど。いかに盗賊ギルドの手が借りられるとはいえ、およそ五十人ほどもいるという『影の神殿』と真っ向から対決出来るわけがない。まして彼らは、死者を蘇らせ手駒として操ることが出来る。そうなれば戦力差は更に開き、到底立ち向かえるものではない。

 となると、取れる手段は限られてくる。

「奇襲をかけるにしても、もうちょっと詳細な情報がほしい所だよな」

 彼らが本拠地もしくはどこかに結集しているところに突撃をかけて一気に叩く。これが、ラウルの導き出した答えだった。至極捻りのない、そしてかなり無謀な作戦に見えるが、戦力差を考えれば、そのくらいの無茶をしないことには勝機が見えない。

「このまま、卵が孵るのを待つっていうのは……駄目ですよね、やっぱり」

 上目遣いで尋ねてくるカイトに、ラウルは首を横に振る。

「それも考えるには考えたが、その間にも奴らが動きを激化させていく可能性がある。これ以上被害が出ないうちに叩かないとな。それに、冬が本格化してくると、奴らのところまで行くのにも一苦労だ。辿りつく前に荒野で凍死しましたじゃ笑いもんだぜ」

 窓の外には白い雪。丘は一面うっすらと雪化粧が施されている。気温もぐんと落ち、朝晩の冷え込みと来たら、中央大陸育ちのラウルには耐え難いほどのものだ。

 と、そんな銀世界の中、小屋に向かってくる人影が見えた。

「誰だ?」

 この時期になってくると、皆着膨れてしまうために遠くからでは判別がつかない。

「昼飯だ」

 アイシャの言葉に首を傾げる間もなく、玄関が開く音がした。

「差し入れですよ~」

 居間の扉が開き、両手にお盆を持った村長が現れる。その頭や肩にも雪がうっすら積もっていた。暖炉の熱気で急速に色を失い、水滴となって外套を伝う雪。

「村長、どうもすいません」

 そのお盆を受け取って言うカイトに、村長はいえいえ、と首を振る。

「食べながら、作戦の詳細を詰めましょう」

 外套を脱ぎ、村長は椅子に腰掛ける。その顔にはいつもの笑みはなかった。

「何かあったのか」

 いぶかしむラウルに、村長は小さく頷く。

「これですよ」

 そう言って村長が懐から取り出したのは、一本の書簡だった。その封蝋には見たこともない印が押されている。

「なんです、それ」

「今朝、封鎖した南門の前に置かれていたそうです」

 開けてみて下さい、とラウルにそれを手渡す。ラウルは愛用の小刀で封蝋を切ると、ごわごわとしたその紙を広げていった。

『光を影が飲み込む時

 全き闇 訪れん

 血を 涙を 嘆きを捧げ

 絶望を希望と変えて 儚き世を滅さん』

 羊皮紙に文字が躍っている。

 まるで血でしたためられたかのように、その文章は禍々しい赤黒い墨で綴られていた。

「これって……」

「儀式の、予告状だろうな」

 文章を何度も読み返しながら、ラウルは呟くように答える。そして、にやりと不敵な笑いを浮かべてみせた。

「なに笑ってんですか?」

 気味悪がるカイトに、ラウルは続ける。

「これは挑戦状だ。俺がいなけりゃ儀式は成り立たない。だからなんとしても、俺を儀式の場に呼び寄せたいのさ」

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