(10)

 事態が急展開をみせたのは、その夜のことだった。

「……最後に聞く。隠し場所はどこだ」

 小さな陶器の小瓶を手にして、仮面の男はすでに聞き飽きた台詞を繰り返した。

「知らねぇよ」

 即座に言い返すラウル。 何度も繰り返されたやりとり。しかし、それもこれで終わりだと言わんばかりに、男は肩をすくめて後ろを振り返る。

「よろしいですね」

 振り返る男の視線の先には、不機嫌そうな男爵と、何か釈然としない顔をしているサイハ。男爵は余裕を見せつけるかのように鷹揚に頷いて、男を促す。

「では……」

 相変わらず天井から吊るされた格好のラウルに近寄り、その顎をぐいと引く。空いた手に握られた小瓶からは、どうにも甘ったるい匂いが漂っていた。

「薬なんか使ったところで、無駄っ……ぅぐっ……」

 最後まで減らず口を叩くラウルの口に、男は前置きなしに小瓶を押しつける。とろり、とした乳白色の液体が口の端から溢れ、ラウルの体をゆっくりと伝った。

(くそっ……)

 口の中に溢れる甘ったるい液体は、抵抗むなしくするり、と喉の奥へ滑っていく。気管の方に多少入ってしまったのか、激しく咳き込むラウル。しかし大半の液体はすでに、口の中にくどい後味を残して、急速にラウルの全身へと効力を広げていった。

「効き目はどのくらいで現れる?」

 男爵の問いかけに、まもなくです、と答える仮面の男。そして、ラウルがぐったりと押し黙ったのを見て、試しにと問いかけてくる。

「お前の名は」

「……ラウル。ラウル=エバスト」

 意思を感じさせない、抑揚のない口調。

 その後、二、三の質問をして効果のほどを確かめると、仮面の男は男爵に向かって頷いてみせた。

「……よし、では答えよ。竜の卵はいま、どこにある」

「……れ……かだ」

 掠れた言葉は、肝心な部分が聞き取れなかった。

「何だと?」

「もう一度聞く。竜の卵は今、どこにある」

 繰り返される質問に、今度ははっきりと答えるラウル。

「……俺の中だ」

「何を言っているんだ、この男は」

「薬が効いていないのではないのか?」

「いえ、そんなはずは……」

「お前の中とはどういう意味だ? はっきりと説明しろ」

「……竜は精霊、その器は有にして無。今はただ我が内にてその時を待ちわびる……」

 意味が分からず顔を歪める男爵。そして、その言葉にふと考え込むサイハ。仮面の男はただ無言で、ラウルのどこか詩めいた言葉を聞いている。

「ええい、分かるように――」

 ドォン……ッ!

 男爵の怒声は、上からの爆発音にかき消された。

「何事だ!?」

 慌てる男爵の耳に、慌しい足音が響いてきた。次の瞬間、荒々しく部屋の扉が開かれて、屋敷の警備に当たっていた人間達が部屋になだれ込んでくる。

「何があった!?」

「それが、ならず者が屋敷に押しかけてきまして……」

「さっさと追い返せ!」

「それが、かなりの手練れで、すでに正面を突破されました……!」

 不甲斐ない部下の言葉に憤りを顕わにし、男爵は踵を返す。

「一体何をやっておる! もうよい、私が行く。サイハ、お前も来るのだ」

「はっ……」

 慌てた様子で廊下に消える男爵とサイハ。そして地下牢には、仮面の男とラウルだけが残された。

 突然のことに、しかし男は動じる様子もなく、ただ彼らが去って行った扉を眺めていたが、すぐにラウルへと向き直る。

「……間に合った、か」

 そう呟いて男は薬の入った小瓶を床に投げ捨てると、てきぱきとラウルの戒めを解き始めた。

「ほらラウルさん、しっかりして下さい」

 それまでとがらりと変わった声で、彼はラウルをそっと揺する。

「……あんた……だったのか」

 弱々しい答えが返ってきた。声に力こそないが、それは完全に意思のある言葉。薬に操られた者の虚ろな呟きではなかった。

 その様子に男は安堵した様子で、足元のおぼつかないラウルの体をしっかりと支える。

「エスタス君達が助けに来てくれています。早く上に行きましょう。あ、私は後で適当に合流しますから、ここは自力で牢を抜けたことにしといて下さいよ?」

 そう言いながらラウルの腕を自分の肩に回し、ゆっくりと歩き出す。仮面こそ被ったままだが、その声は、そして言葉は、間違いようがない。

「村長……」

「はいはい、後でちゃんと説明しますからね。今は黙ってて下さい」

 牢を抜け、廊下へと出る。上からは相変わらず、派手な爆発音やら剣戟の音、怒鳴り声やら悲鳴やらが響いてきている。

「随分派手にやってますねえ」

 呑気にそんな感想を呟きつつ、ラウルを支えて階段を登る。そして、一階の廊下の隅にラウルをそっと下ろし、ここで待っていて下さいとのたまった。

「すぐにシリンがここに来ます。それまでじっとしていて下さいね」

 すでに喧騒は階上へと移っている。一階はすでに静まり返り、時折エスタス達に倒されたのであろう手下か何かの呻き声が聞こえるくらいだ。

「それじゃ」

 そう言って足早に去っていく村長。そして、その姿が廊下の彼方に消えたのとほぼ同時に、近くの扉がばんっと乱暴に開き、見知った顔が飛び出してきた。

「いたいた! おい、大丈夫かよ?」

 ラウルの元に駆け寄り、その剥き出しになった上半身に走る傷を見て顔をしかめるシリン。

「ひどいな、こりゃ……動けるか?」

「……あ、ああ……」

 酷いも何も、お前のところのギルド長がやったんだろうが、と文句を言いたいラウルだったが、そんな元気はなかった。掠れた声で答えるラウルに、シリンは自分の上着を脱いで着せ掛け、肩を貸して立ち上がらせる。

「すぐにここを出よう。もうじき、ここは崩れる」

「崩れる?」

 訳が分からないラウルをよそにシリンは、空いた手で何かを握り締め、そしてラウルを支えながら玄関に向かう。

「さ、引き上げだっ!」

 そう怒鳴りながら後ろ手に放った何かが、次の瞬間、広間の真ん中で派手な音と光を立てて弾けた。

「行くぞっ!」

「あ、ああ……」

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