(10)

「おじいちゃま!」

 部屋に飛び込んできた孫娘の顔を見て、ゲルクは目を見開いた。

「エリナ、なぜここに……」

「守備隊の人が、おじいちゃまが探し物があるってどうしても家から出てこないっていうから、心配して来たんじゃない!」

 危ないから一人で行ってはいけないという守備隊の制止を振り切って家まで戻ってみれば、ゲルクは書斎の片隅でごそごそと何かを引っ張り出している。

「何やってるのよ、早く広場に避難しましょう」

「おお、分かっておる。これを探しておったんじゃよ」

 そう言って孫娘に見せたのは、飾り気のない壷。蓋は厳重にしめられているが、中からは液体の揺れる音がしている。

「なぁに、これ?」

「清めの油じゃ。村を襲っているのは死人なのだろう? ああいう類にはこれが効く」

 高いんじゃぞ、と言っているゲルクにエリナは頭を振って、その腕を掴んだ。

「いいから早く避難しましょう! 広場に行くの!!」

 有無を言わさぬ迫力で、そのまま走り出すエリナ。ゲルクもすぐに壷を小脇に抱えると、手を引かれるままに走り出す。

「エリナ、そう急かすでない」

「頑張って! もう広場まで来て――!」

 急に押し黙る孫娘に、ゲルクが訝しげに顔を上げる。そして、そのまま凍りついた。

「いやぁぁぁ!」

 目の前に、それはいた。皮膚は腐り落ち、目は溶けている。衣服や髪がかろうじて張りついた体で、ゆっくりと二人へと迫ってくるのは、紛れもなく死人だった。

「エリナ!」

 可愛らしい顔を恐怖に歪ませて叫ぶ孫娘を、咄嗟に後ろに庇うゲルク。苦々しく迫り来る死人を睨みつけるが、武器もなく、またあったとしてもそれを揮う力すら、彼にはもうない。

「くっ……!!」

 歯軋りをするゲルク。――と。

「ゲルク様、下がって!!」

 唐突に怒声が響いた。そして次の瞬間、ゲルクの目の前に人影が立ちはだかる。

「む?」

 誰だったか、と考える間にも、死人の首が吹き飛び、残った体が地面へと倒れた。

「大丈夫か、ゲルク様」

 振り返って尋ねてきたのは、ゲルクもよく知る村の男。その手には抜き身の剣が握られていた。たった今、死人の首を一撃で刎ね飛ばした剣は、ぎらり、と濡れたような輝きを見せている。

 とてもではないが、田舎の村人が持つには相応しくない代物だ。しかし手馴れた様子で男は剣を払ってみせる。

「トニーさん!? なんで?」

 そっと顔を覗かせたエリナが目を丸くしているのを見て、トニーは照れたように答えた。

「エリナは知らなかったのか、俺も昔は遺跡に潜ってお宝を探す冒険者だったんだよ。エスタス達みたいにな」

「ええぇ?」

「そうじゃったのぉ。いやはや、懐かしい」

 それはエリナが生まれる大分前のことだ。ゲルクはおぼろげながら、彼とその仲間が村にやってきた時のことや、いつしか剣を手放し村で生活するようになったことを思い出していた。今となってはそれも昔の話だ。

「まだそんなものを持っておったとはな」

 抜き身の剣を目で示すと、トニーは照れたように笑った。

「ああ、廃業した時に処分しようとしたんだけど、やっぱり手放せなくって、ずっと物置にしまい込んでたんだ。まさか使う日が来るとは思わなかったけどもよ」

 その割には手入れが行き届いている。恐らくは、時折若かりし日に思いを馳せては、手入れを続けてきたのだろう。使うためではなく、思い出を残すために。

「リンドやマーティン達も戦ってる。南門に向かった神官さん達もすぐに戻ってくるだろうから、ゲルク様とエリナは早く結界の中に入ってくれ」

 普段は温厚な田舎の農夫という印象でしかない彼が、今はまるで昔に戻ったかのように精悍な顔つきで剣を握り締めていた。そして彼の言葉通り、広場では守備隊に混じって何人かの村人が、それぞれ武器を手に死人と戦いを繰り広げている。

「ああ、そうじゃな。エリナ、行くぞ」

「え、あ、うん! トニーさん、がんばってね!」

「ああ!」

 二人が結界に向かうのを見届けて、トニーは再び剣を構えると、広場に押し寄せる死人に向かって駆けていった。


* * * * *


「こっちも、ですか」


 広場まで戻ってきた村長とラウルは、そこで繰り広げられている凄惨な戦いに顔をしかめた。

「おい、手を貸してくれ!!」

 やってきた二人を見て、守備隊の一人が声を上げる。その間も、死者との戦いは続いていた。

 彼らは声を上げない。息すらしていない。ただ無言で襲い掛かってくる。ほとんどのものは素手でただ向かって来るだけだが、中には武器を手に緩慢な攻撃を仕掛けてくるものもあった。

 相手は死したる者。痛みも感じず、例え体を真っ二つに分断されても、まだ動き続ける。対する守備隊は息を切らし、顔を蒼白にして戦っていた。普段は街の治安維持に当たっている人間達だ、怪物相手の戦いは慣れていないのだろう。その顔にはありありと、恐怖と嫌悪の表情が浮かんでいる。

 剣戟の音だけが飛び交う、奇妙なまでに静かな、そして不気味な光景。

「遅いぞ、何をやっておった!」

 唐突に怒声が響いて、ラウルがはっと声の方を見る。そこには、結界の中で何か壷のようなものを振り回しているゲルクの姿があった。

「ゲルク様!!」

 驚く二人に、ゲルクはその壷を投げてよこす。慌ててそれを受け止める村長は、器の中でたぷん、と揺れる中身に首を傾げた。

「なんですか? これは」

「清めの油じゃ。足止めくらいにはなるじゃろう」

「分かりました。ありがたく使わせていただきます」

「高いんじゃから、大事に使え!」

「ゲルク様! 今はそんなこと言っている場合じゃないわよ。それより、ほら、もっと下がって!」

 レオーナに引っ張られて、結界の奥に連れ戻されていくゲルク。その様子に苦笑しつつ、村長は壷の栓に手をかけながらラウルに呼びかけた。

「これは私が。ラウルさんは術をお願いします!」

 頷き、すぐさま聖句の詠唱を始めるラウル。その視界の端に、ちらりと広場の中央、結界に守られた人々の様子が入る。 蒼白な顔のエリナをマリオが必死に抱きしめている姿が見えた。子供は恐怖に泣き叫び、それを宥める親達の顔も不安と恐怖でいっぱいになっている。それを思うと、一刻も早くこんな凄惨な場面を終わらせたかった。

『闇と死司る神の名において――』

 朗々と響き渡るラウルの声。それに気づいた守備隊が、ラウルを守るように位置を取った。

「頼む!」

「あいつら、斬っても斬っても倒れないんだ!」

 分かってる、というように頷いてみせるラウル。聖句を紡ぐラウルの横では、ようやく栓を抜いた村長が、

「下がって下さい!!」

 守備隊を押しのけ、一気に壷の中身を振りまいた。そしてどこから取り出したのか、炎のついた紙縒りのようなものを投げつける。

 一気に、火が彼らを包んだ。熱がどっと押し寄せ、慌てたように守備隊があとずさる。 炎の中で、彼らの動きは目に見えて鈍くなっていった。それでも全身を炎に包まれながら、じりじりと前進してくる彼ら。守備隊が再び武器を構えたその時、ラウルの聖句が完成した。

『死したる者よ 還れ!』

 闇が、彼らを包む。 還るべき場所へ、そして永久の眠りへと誘う闇。 彷徨える彼らを包み込んで、闇は薄れて行った。それを見届けて、ラウルはがっくりと膝をつく。

(さすがに、一日に何度もやると、辛いか……)

 神聖術は神に祈りを捧げ奇跡を呼ぶもの。その代償は術者の精神力だ。それをぎりぎりまで削り取られている。

「大丈夫ですか?」

 そんなラウルに手を差し伸べる村長。そしてそれまで呆気にとられていた守備隊の人間が、わっとラウルに駆け寄ってきた。

「あんた、本当にユークの神官さんだったんだな」

「あれだけの数の死者を一気に葬るとは、大した腕前だ」

 先ほどまでの態度はどこへやら。口々にラウルを褒め称える彼らに、ラウルは苦笑を漏らしながら村長の手を借りて立ち上がった。

「ユークに仕えるものとして、当然のことです」

 そう。闇と死の神ユークが諭すのは死の尊厳。それなのに、同じ神を崇める『影の神殿』はその神の教えを無視し、歪め、そして恐怖を撒き散らす。

(これだけの死者をどっから掘り起こした……! 許せねえ、絶対ぶっ潰してやる!!)

 無言で拳を握り締めるラウルに、ふと遠くを見つめていた村長が呟く。

「小屋の方は大丈夫でしょうか? 卵くんは……」

「心配ありませんよ」

 妙に自信たっぷりなラウルの言葉に、村長は細い目を更に細めてラウルを見つめていた。


* * * * *



「おいっ! 大丈夫かっ」

 まだうっすらと煙の立ち込める小屋に飛び込んだエスタス達の視界に最初に飛び込んできたのは、無残に壊れた机や椅子の残骸の中に倒れているシリンの姿だった。

「シリン君!」

 慌ててカイトが駆け寄る間にアイシャが小屋中の扉や窓を開けて煙を追い出しにかかり、エスタスが辺りを素早く見回す。この現状を引き起こしたであろう者はすでに去った後だったが、窓から慌しく出て行った跡がありありと残されていた。

「逃げたのか……」

 窓から外を見るが、それらしき人影のようなものはどこにも見えない。

「しかし、この煙……火事かと思ったんだが……」

「煙玉だ」

 シリンの声が答えた。カイトの手を借りて起き上がりながら、悔しそうな顔を彼らに向ける。

「いたたたた……」

「大丈夫ですか?」

「ああ。でも、しくじっちまった……」

 腕や顔に血が滲んではいたが、命に別状はなさそうだ。しかしその瞳は悔しさが溢れている。搾り出すように呟くシリンに、カイトは首を横に振った。

「そんなことより、怪我は?」

「なに、ちょっと掠ったくらいだ。でも、卵が……」

 卵の姿はどこにも見当たらなかった。その卵が乗っていた食卓は無残に打ち壊され、その上に乗っていた食器や水差しが砕けて床に散乱している。

「オレ、何としても守ろうとしたんだ、でも……」

 悔しげに呟くシリンに、しかしカイトは事もあろうに笑ってみせたのだ。

「いいんですよ。どうせ贋物ですから」

「へ? にせもの?」

 ぽかん、と口を大きく開けたシリンに、カイトはにやにやと笑いを浮かべている。

「ええ。まったく、いつまで騙されてくれるか、考えただけで笑いが止まりませんね」

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