(9)

 それは唐突にやってきた。

 扉がバン! と開き、突風がのんびりお茶の時間を楽しんでいたラウル達を直撃する。

「なんだあ?」

 慌てて菓子の乗った皿を防御しつつ立ち上がるラウルの目に入ってきたのは、足早に歩み寄ってくる一人の青年の姿。

「なぜお前が!」

 そう怒鳴りながら、あっという間に目の前にやってきた青年は、ラウルが口を開く間もなく、ぐい、とラウルの胸倉をつかんできた。

 ラウルの方が背が高いはずなのに、その青年は片腕で軽々とラウルを吊るし上げ、足が床を離れる。その細身の体からは想像できない強い力に息がつまりそうになり、ラウルは無我夢中でその腕を掴んだ。

「ぉ、おいっ……!」

「ち、ちょっと、なんですか! いきなり入ってきて!」

「ラウルさんが何したってんだよ!」

 カイトとエスタスも慌てて青年に詰め寄り、ラウルから手を離させようとするが、青年はびくともしない。

「再びこの地に舞い戻ってくるとは、よほど面の皮が厚いと見える!」

「な、何がだよ……!」

 ぐいぐいと締め上げてくる青年の手を、ラウルは必死に引き剥がそうとする。

「この恥知らず! 悪しき暗闇の使徒めが!」

 燃え立つような赤い髪に紅玉をはめ込んだかのような赤い瞳。そしてその端正な顔立ちは、まさに燃え盛る炎の如き激情に駆られ、それこそ口から火でも吹きそうな勢いだ。

 しかし、どうも何か勘違いをされている気がする。

(はぁ? なんだあ?)

 ともあれ、落ち着かせて手を離してもらうしかない。ラウルは苦しい息の中、必死に精神を集中させた。

 ユークが司るのは安らぎ。荒ぶる心を落ち着かせる術も、ユークのもたらすものだ。

『安らぎよ……!』

 聖句を唱えた瞬間、青年がおや? という顔をしてラウルをまじまじと見た。そして、ぱっと手を離す。

「お前は……『影の神殿』の者ではないのか」

 急に手を離されて床に尻餅をついたラウルは、喉を押さえて咳き込みながら、その青年を見上げて言った。

「俺はユーク本神殿から来たラウル=エバストだ。ユークの教義を歪め、人々の安らぎを妨害するような馬鹿どもと一緒にされるとは心外だぜ。お前、目が腐ってるんじゃねえか?」

 野郎相手なのでつい棘のある口調になるラウルだったが、青年の方は驚きと感心の入り混じった表情で、ラウルを見下ろしていたかと思うと、ふぅ、と大げさに肩をすくめてみせた。

「なるほど。やれやれ、私としたことが、つい怒りに任せて己を見失ってしまったな」

「あなたはいったい何者なんです!?」

 不信感をあらわにしたカイトの誰何に、しかし青年はそれを無視して辺りをキョロキョロと見回しながら、

「この辺りから聞こえてきたと思ったのだがな。それらしい者は……ああ!」

 青年の赤い双眸が、部屋の隅までちゃっかり退避して食事を続けていたアイシャに止まった。

 視線に気づき、何? とばかりに顔を上げるアイシャに、青年はつかつかと近寄ると、すっとその手を取る。

「おお、紛れもなくレイサの血筋! こうしてまた会えるとは!」

「……誰?」

 目を潤ませる青年に、アイシャはいつも通りの無表情で尋ねる。と、青年はよくぞ聞いてくれましたとばかりにアイシャの前に膝を折ると、朗々と語り出した。

「なんとつれない言葉だ! いや、お前に流れる血がそうさせるのだな。そう、かつて我が相棒にして生涯の友と誓ったあの者を、あのと――」

「うるせえ」

 ごすっとその頭に拳を叩き込んで、ラウルは青年を睨みつける。

「いいからお前の素性と、俺を締め上げてくれた理由を吐きやがれ」

 頭を押さえて立ち上がり、ラウルをねめつける青年。よほど痛かったのか、目に涙が滲んでいる。

「この……! ……ふっ、いいさ、教えてやる。私は――」

「竜?」

 アイシャが無情に青年の言葉を遮った。そしてその、短いながらも衝撃の台詞に、ラウル達が目を見開く。

「りゅ、う?」

「竜って、あの?」

「こんなキザったらしい野郎が? 冗談だろう?」

「キザったらしい野郎で悪かったな……。いかにも、私は竜だ」

 敬ってへつらえ、と言わんばかりにふんぞり返ってのたまった青年。しかしアイシャを除いた三人は、しばし顔を見合わせた挙句、口を揃えた。

「嘘つき」

 そう決め付けられて、途端に激怒する青年。

「嘘を言ってどうする! 私は正真正銘の竜だ。竜笛の音色に導かれてやってきたのだ」

 そう言って、自分の言葉で本来の目的を思い出したらしい青年は、再びアイシャの前に跪く。

「さあ、我が相棒の血を引く者、我が魂の友の末裔よ。私に教えてくれ。お前が何を望むのか」

 まるで役者のようなその大仰な台詞回しに、アイシャは極めて的確に答えた。

「卵を孵して」


「……は?」


* * * * *


 でーんと置かれた卵を前に、青年はふーむ、と顎を捻った。

「確かに、これは我が同胞の卵だが……」

 その同胞を前にしても、卵には何の変化も見られない。そのせいで、三人の疑惑の目もより厳しくなったが、青年はどこ吹く風で卵を眺めている。

「約半年前にここに落ちてきて、それ以来お前達が面倒を見ていると言ったな」

「ああ、そうだ」

 答えたラウルをしげしげと眺めて、青年は深く溜め息をついた。

「よりによって、こんな人間のところに落ちなくても良かったものを」

「なにをぉ!?」

 思わず掴みかかろうとするラウルを、エスタスとカイトが必死で取り押さえる。

「ま、まあまあ……」

「卵について色々教えてもらうんですから、機嫌を損ねちゃ駄目ですよ!」

「ちっ……」

 渋々拳をしまうラウルに、青年はしらっとした顔で、

「竜はもともと同族、それも同属性の竜によって育てられるもの。人や獣といった他種族の住まう場所、雑多な気が集まる場所では、どうしても生育が遅れるのだ。この辺りには光の竜はいないからな、仕方なかったのだろうが」

「光の、竜?」

 思いがけずもたらされた情報に、目を丸くするラウル。

「ああ。なんだ、分からなかったのか? これは光の竜の卵だ」

「分かるわけないだろ、そんなの!」

「ああ、でも光ってましたもんね。だから光の竜なのか」

 妙に納得してみせるカイト。

「ちなみに私は炎の竜だ」

 誰も聞いていないのに付け足す青年には、エスタスが苦笑を漏らした。

「……分かりやすいっていうか、なんというか」

 赤い髪に赤い瞳で火の竜とはまた、捻りがない。

「仕方なかろう。我らはどのような姿をも取ることが出来るが、体色は変えられんのだ」

 自分でもそこらへんは不満に思っているらしく、憮然と言い返す青年。

「っていうか、本当に竜なのか? まずそこから疑わしいぜ」

 ラウルが蒸し返すと、青年はふたたびむっとした表情でラウルに食って掛かる。

「竜だと言っているだろうが! 疑い深い人間だな」

「つったってなあ、証拠がないだろ、証拠が」

「言うだけなら誰でも言えますもんねえ」

「もしかしたら、竜と偽って卵を盗みに来た新手の泥棒かもしれないし」

 言いたい放題の三人に、青年は肩を震わせていたが、ふと何か思いついたように、

「お前達……よし、分かった。ちょっと来い」

 と言うが早いか、スタスタと玄関に向かって歩き始めた。

「お、おい! どこにいくんだよ」

 慌てて追いかけようとして、はたと卵の存在を思い出し、置き去りにする訳にはいかない、と卵を抱き上げる。そうして、改めて青年の後を追うラウルに、三人組が続いた。

 青年は小屋の外に出ると、辺りをキョロキョロと見回してから、ラウル達に向き直る。そして――。

「いいな。よく見ていろ」

 言うが早いか、青年の姿がごぉ、と炎に包まれる。そしてラウル達が驚きの声を上げるより早く、その場所に今度は巨大な赤い壁が突如出現した。

「でぇ!?」

「どわっ」

 思わず奇声を上げるラウル達だったが、すぐにその壁に見えたものが、赤い鱗に覆われた胴体であることに気づいた。

 胴体であるから、その下には足がついている。鋭い鉤爪を備えた巨大な足だ。そして上を見上げると、噛まれたらひとたまりもないような鋭い牙が見えた。

「……竜、だな」

「……そうですよね」

 そう、それは紛れもなく竜だった。

 優美な羽は背中にたたまれ、叡智を秘めた瞳は遥か高みからラウル達を見下ろしている。そして、その人一人簡単に飲み込めそうな口が開いて、声が轟いた。

『これでもまだ、嘘と言うか?』

 その声は先ほどの青年のものとまったく同じもの。

「いや。疑って悪かった。あんたは紛れもなく、竜だ」

 ラウルの言葉に満足そうに頷いて、竜の姿は再び炎に包まれ、そして青年の姿がそこに現れた。

「分かればいい」

 そう言って、青年はラウルの持っていた卵に手を伸ばした。

「私もそう長くいられないからな。卵に話を戻そう。この卵は先ほどもいった通り、光の竜の卵だ。そして卵が孵化するためには、同じ属性の力を取り込む必要がある」

「光の竜だから、光が必要なんですね?」

「そういや、確かにあんまり光に当ててなかったしな」

 卵を背負って外出すると注目の的になるし、まして今は卵を狙う輩もいる。そう思って最近はあまり小屋から出していなかったのがいけなかったのか。

「となると、このままじゃ当分孵らないってことですか?」

「通常よりは遅れることになるだろうな」

 しかし、時間がかかるだけで育たない訳ではないから、気に病むことはない、と付け加える青年に、ラウルが尋ねる。

「それよりも、今の状態は大丈夫なのかよ? ここ一月ほど、ずーっと反応がない。黙りっぱなしなんだ」

「ああ、それも問題ない。次の段階に進んでいる証だ。しかし、そうだな。少し手を貸してやっても構わないか」

 そう言って、青年は卵をひょいと持ち上げると、額を殻に押し当てる。

「……炎は光と属性を同じくするもの。我に宿る力を、お前に……」

 そう呟いて額を離すと、青年は事もあろうに、その場でぱっと両手を離した。

(お、落ちる……!!)

 慌てて駆け寄ろうとしたラウルだったが、卵は地面には落下せず、そのまま空中に留まっている。

「焦るな。まあ、見ていろ」

 そう言って青年は瞳を閉じると、卵に両手をかざした。 暖かな光が、両手に集まる。

 それは日の光を凝縮したような、熱を帯びた光。命を育む力を持った、柔らかでどこか懐かしい光。

 太陽に手のひらをかざした時に見える、命をすかした赤。

 郷愁をそそる黄昏時の橙。

 真夏の空を照らす、閃光の白。

 それらが混じり合った強く優しい光が、卵を包み込む。

「うわぁ……」

 光に包まれた卵が、まるで光に呼応するように内側からぼんやりと光り始める。次第に光を取り込んで煌々と輝き出す卵。その溢れんばかりの光は、周りにいるラウル達だけでなく、丘全体をも包み込んだ。

「まぶしっ……」

 こうなると目を開けていられない。思わず目を閉じても、光は瞼を通り抜けて瞳を貫いてくる。

(目がいかれちまうぞ、これじゃっ!)

 思わず抗議しようと口を開きかけたその瞬間、ふっと光が途切れた。

「あれ?」

「終わったのか?」

 恐る恐る目を開けると、そこには再び青年の手に抱かれた卵が、嬉しそうに柔らかな光を明滅させている。

 そして。


――らうっ♪――


 思いがけない響きに、腰が砕けた。


「……なっ……」

「どうしたんです? ラウルさん」

 突然地面にへたり込んだラウルに、カイトが心配そうな顔をする。

 どうやら、聞こえたのはラウルと青年だけのようだった。

「なるほど、懐かれているな」

 にやにやと笑う青年の一言に、最早言い返す気力もなくうなだれるラウル。それを分かっているのか、卵は尚も、

――らうっ! らうらうっ♪――

 と繰り返している。

 まるで幼い子供のような声色は、今までの鳥のような鳴き声とは違い、明確な意思を持っているように感じられた。しかし――

「ねえ、何があったんですかぁ?」

「こんのっ……どうせならきちっと喋りやがれっ!!」

 物凄い剣幕で怒鳴りつけるラウルに、カイトとエスタスが目を白黒させている。

「はぁ?」

――らうらう! らうっ♪――

「だあぁっ!!」

 光ってからこっち、卵はその単語しか喋っていない。しかも、喋れたことが嬉しいのか、飽きもせずにずーっとその単語を繰り返している。

「なんて言ってるんですか?」

 尋ねるカイトに、青年はにやぁと笑って答えてやった。

「らう、としきりに言っている」

「うわぁ、良かったじゃないですかラウルさん! ラウルさんの名前をまず喋るだなんて、やっぱりラウルさんのことを保護者として認めてるんですよ!」

 無邪気に喜ぶカイトに、しかしラウルは頭を抱える。

「………これなら前の方がまだ良かった……」

 事もあろうに、人の名前を連呼しなくてもいいものを。しかも、中途半端に。

(どうしてこうなる!!)

 涙が出そうなラウルに、アイシャが肩をすくめた。

「厄日だな」

「うるせー……」

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