<第五章:レヴナント> 【06】


【06】


 落ちる。

 落ちる。

 どこまでも落ちる。

 タマの竦む浮遊感だが、あまりにも落下時間が長すぎて慣れてしまった。何よりも一つ、落ちる事に体が慣れている。

 風がうるさい。

 帽子がどこかに消えた。

 下には、どこまでも闇が続いている。太陽ですら照らし明かせない深淵が口を開けていた。

「いや、流石におかしいだろ」

 どれだけ深いのだ? もう街一個分は落下しているぞ。

 フッ、と右手の太陽が消える。

 効果時間切れなのか、別の理由なのか、俺には分からないが、丁度良いタイミングで別の明かりが飛んできた。

『やっと接近できたであります』

 ライトを点灯した雪風だ。

 機体上部にプロペラを展開させ、速度を合わせて俺と並ぶ。

 雪風を掴んだ。これで少しは落下速度が、

『これで浮遊できたら、メリーポピンズになれますな』

 全く変わらなかった。

「おい、このままだと俺死ぬよな?」

『この下が硬度の高い物質ならペシャンコであります。液体でも、ここまで速度が出たら結果は同じでしょうが』

「何か便利な道具は?」

『成人男性を浮遊させる道具はありません。諦めてください。もしくは、ご自分のタフネスに賭けてみては?』

「煎餅になっても生きている自信はない」

 急に、風の流れと空気の質が変わった。

 清涼な空気と涼やかな大気。滝のような、いや滝そのものの水の流れと音。

 雪風は明かりを強くして周囲を照らす。

 俺が落ちて来た穴の他に、壁には巨大な穴と滝がある。大量の水の流れは下に溜まり、湖となっていた。

 そして、この構造。

 ニセナが捉えられていた牢獄に、形こそ似ているが規模が全く違う。

『街が三つは入る大空洞でありますな。このような物が地下にあるとは。はれ? 規則性があります。何か大きな物が落下して激突、その後形成されたような破壊の痕が」

「今はそれよりなッ!」

 落下地点が見えた。

 暗い湖の水面。

 水の上だが、この速度ではコンクリに着地するのと変わらない。

 死ぬ。

 流石に死ぬ。

 こんな状況を覆せる力を俺は持っていない。

 てか、また水かよ! 俺には水難の気でもあるのか!

 虚空を蹴り上げ、頭を上、足を下に。無駄と思いつつも体は防御態勢を取る。

 着水まで数瞬。

 骨が砕け、手足が捻じ曲がる幻視に冷や汗が噴き出た。即死でなくとも、そんな状態で沈めば溺死だ。前に溺れかけた記憶が蘇る。

 あれは辛い。どうせなら別の死に方にしてくれ。

 お願いだ。

「神様ッ!」

 駄目元の祈り。

 刹那、強力な映像が脳裏に走る。長い闇、落ちる自分と、奥底に潜む巨大な影。

 意味が解らない。記憶にない。しかし、体が恐怖を覚えていた。

 ぞくりと。

 同じ気配を今、すぐ傍に感じた。

 俺の体を横殴りの衝撃が襲う。一瞬、意識が飛んだ。次の瞬間には、水の上を跳ねて転がり意識が戻る。

 何回も視界が回る。首がもげたように視界が回る。全身がバラバラになる痛みと速度。骨という骨が鈍い音を立てた。

 明日は筋肉痛ではすまないな。と言う現実逃避をして、壁が間近に。

 激突して、トマトのように俺は潰れて赤い液体に――――――――

「?」

 なってなかった。

 

「こんな所で、何をしているのだ?」


 声の主より自分の体を確認。

 首はある。固まった左腕も、それを触る右手も。両足も揃っている。だが、左足に痛み。腰も背骨も痛い。死ぬほど痛いが、まだ生きている。

 痛い程度で済んだのは、俺の体を何かが受け止めたからだ。それはフワフワと浮いた無色の塊。液体のように見えて、触れると上質な絹のような手触り。濡れないが崩せない。不思議な物体だ。

 後、水面から誰かが顔を出している。

「確か、ゲト」

 時雨の所にいた魚人だ。

「ここで何を………いや、“呼ばれた”のか?」

「呼ばれたと言うか、探知したと言うか」

 何か知っているのか?

「丁度良い。オレもそろそろ限界だ。こうも暴れるとは思わなかった」

「“暴れる”ってどういう」

「ほれ、アレだ」

 魚人の背後がせり上がる。二頭のクジラが跳躍した。

 いや違う。

 それは巨大な、二本の“触手”だった。

 デカい何てもんじゃない。闇の中でも分かる圧倒的な存在感。幅4メートル、長さは60メートル近く。これが生物の一部なら、本体の大きさはとんでもない事になる。

「いや、ちょ待て待て!」

 触手が降って来た。攻撃性を持って俺達に襲いかかって来た。

 反射的に刀を抜く。

「止めろ。刺激すると更に暴れるぞ」

 不思議物体が俺の腕に絡んで抜刀を止めた。

「一旦、距離を取る」

 魚人が矛を振るうと、俺にまとわり付いている物体が飛ぶ。魚人も水に潜り。寸での所で触手を回避した。

 地底湖に津波が発生した。

 触手が荒れ狂い。俺は、頭から水を浴びて全身ずぶ濡れになる。

 魚人が再び顔を出した。

「あーゲト。色々聞きたいが、先に一つ。あれは何で怒っている? 縄張り意識的なあれか?」

「違う。実に簡単で面倒な原因だ」

「それは?」

「ここの水は真水だ。アレの基は海水の生き物でな。真水を吸って苦しんでいる。もう少し成長すれば、オレのように調整できるようになるが」

 海水魚が真水に入ると、浸透圧の関係で水分を吸ってしまうとか。

 何故に海水の生き物がここに。

「手はあるのか?」

「ここの湖を海水と同じにするか、暴れるアレを海まで運ぶか」

「両方無理だ」

 あのサイズ、持ち運びは無理だ。そも、ここから出せるのか? 塩も仮に街中から集めたとして――――――

「雪風、お前こういう計算は得意だろ。足りるか? 人見知りは後にしろ」

『金銭的、人材的、物資的、様々な要因から不可能と言っておきます』

 当たり前か。

 魚人が懐かしそうな顔を浮かべた。

「久々に声を聞いたな。小さいの」

『知らない仲でもありませんから』

 知り合いのようだ。

 偶然にも、ひらひらと帽子が落ちてきて拾い被る。

「ともあれゲト。アレは一体何なのだ?」

「昔、我が神の“片はし”をある男に渡した。その男が消えた後、回り回ってある女が保管していた。………………はずだったが、今そこで暴れている」

「はた迷惑な」

「本当だ。馬鹿者が」

 どうしてか俺を責める口調である。

 触手は暴れる。湖から上がろうと天に伸びるが、天井は高すぎて流石に届かない。

 しかし、不味いな。

「ゲト、殺す方法は?」

 ここで暴れているだけなら問題ない。ないが、万が一という事もある。

 例の炎の柱。

 あれは、ただ大きくなるだけではなく。一定サイズになると爆発するそうだ。

 街が吹っ飛べば、この天井が崩落する危険性がある。生き埋め程度でこの化け物が死ねば良いが、瓦礫を退かし、それを足場に地上に這い出て来る可能性も高い。

 そうなれば、泣きっ面に蜂の大惨事に。

 復興が不可能になる。

「神の一部だ。人間の御業程度で殺せるわけがない。殺せてなるものか」

「また厄介な」

 さっきの太陽をもう一度生み出して―――――何て考えては見たが、無意味か。中途半端な破壊では挑発になるだけだ。

「だから、オレも困っている。前は話の分かる相手だったが、やはり体が変わると精神が追い付かないな。所詮は地上の生き物だ」

「ん、“前”とは?」

 俺の疑問を雪風が答える。

『アッシュ臨時隊員。マキナの信号ですが、目の前から発信されています』

「冗談は止めてくれ」

 暴れる触手の中とかか? あれの中に行けと?

『雪風、冗談は言いません。“触手そのもの”から信号が発信されています』

「嘘だろ………」

 暴れる巨大な触手と、ドラム缶のこいつらに何の接点が。

『推論でありますが、我々のコアである水溶脳は、異世界から到来した“生き物”が由来であります。何かしらの原因で、マキナの水溶脳と神様の欠片が結びついて“アレ”なったかと』

「………………なるほどな」

 面倒なのは分かった。

「雪風、説得しろ」

『専用の量子チャンネルで呼びかけていますが、応答なしです。雪風を認識できていないようであります』

「つまり?」

『お手上げですな。アッシュ臨時隊員、何とかしてください』

 雪風が諦めた。

 続いてゲト、

「やれアッシュ。お前にしかできん」

 丸投げされた。

「嘘だろ、おい」

 うねる触手を前に呆然とした。これ以上、悩み事は沢山だ。

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