第209話 ■千織の転生(タイ編 その12)

■千織の転生(タイ編 その12)


スティーブは千織にバタ足の練習をさせながら、辺りに人が居ない事を確認すると、右手の麻酔針を千織の環椎と軸椎の間にプスリと突き刺した。

「あっ!」

千織の体の構造は外観も人とそっくりに造られているが金属の骨格も限りなく人に近い。

むろん、その構造故に、人と同じように動く事ができるのだ。

千織の内部センサーは、首の人工皮膚を突き破って針が刺さった事を検知する。

その針に付着している毒の成分までは、さすがに分析することはできないが、刺さった箇所から、もし人であったなら神経系統にダメージを受けたことまでは分かった。

瞬時にAIが、先ほどの警告内容と情報を結びつけ、活動を停止した方が良いと判断した。


もちろん、刺された衝撃を受けた次の瞬間、体をビクッとさせるのも自動で対応している。

千織の体が弛緩したのを確認して、スティーブは、その体をビート板からそろりとプールの水の中に落とした。

千織の体はプールの中にうつ伏せに浮かび、水流に乗ってゆっくりと東側に向かって流され始める。

「気の毒だけど、オレ達の仕事の邪魔をしたのがいけなかったのさ。 せいぜい天国で後悔するんだなっ!」

スティーブは、プールから這い上がるとホテルの建物の裏手から姿を消した。


『スティーブ! いったいなんで? どうして? あたしが、いつお仕事の邪魔をしたの?』

千織は悲しかった。

あんなに優しくて素適だった彼スティーブが豹変したことの理由がいくら考えてもわからない。

体は今はAIの制御化にあるため、まだ動かす事が出来ない。

うつ伏せに浮かんだ体は、ゆっくりとプールに遊びに来ている人達が多く居るエリアに流れて行く。

千織の体がホテルの建物の裏(西側)からプールの海に面したエリアに流れて来たと同時に、数人から悲鳴があがる。

「キャーー! 人が溺れてるーーーーーっ!!」

その悲鳴を聞くや否や、すぐさま近くに居た青年がプールに飛び込み千織の体を抱えて、プールサイドに引き上げた。

その青年は間髪いれずに人工呼吸を施し始める。


胸に耳を当て、心臓の鼓動を確認しながら、マウス・トゥ・マウスで息を吹き込んでいく。

千織の体は良く出来ている。

機能停止状態であれば、モーターの駆動音もしないし、心臓の音や血流音などは疑似的に内部スピーカーから流れている。

AIは人工呼吸の手当を自分が受けている事を察知している。

丁度良いタイミングで、内蔵タンクから水を噴出させて、意識を千織に引き渡す。

「うっ、 ゲホッ ゲホッ ・・」

残りの水を吐き出しながら、千織は両手をついて上体を起こす。

「あっ、気が付いた!」

青年は、千織の体をビーチタオルで包むと抱きかかえて、ロビーまで運んでいった。

「プールで溺れた人がいるんだ。 救急車を呼んでくれないか!」

ロビーカウンターで支配人に救急車の手配を頼むが。

「あのっ、もう本当に大丈夫ですから。 すみません、ご迷惑をおかけしてしまって・・」

千織は、もし病院に連れていかれて、レントゲンでも撮られたら大変な事になるくらいは、理解している。

「でも念のため、お医者さんに診てもらった方がいいと思うよ。 研修医の僕が言うのだから間違いないしね」

そう言われて千織は、初めて青年の顔をマジマジとみた。


その千織の顔がみるみる赤く染まっていく。

そう、その青年は、超イケメンだっのだ。

「あのっ。 もう本当に大丈夫ですからおろして下さい」

人が沢山いるロビーで、水着姿のままイケメン青年に抱きかかえられているのは、さすがに恥ずかしい。

「それじゃ、君の部屋で少し休むといい。 部屋まで連れて行ってあげよう。 何号室なの?」

「あの、あたしは宿泊はしてなくて、プールを利用しに・・」

「ああ、そうだったの。 それじゃ、僕の部屋で休んでいくといいよ」

「えっ。 あ、あの。 困ります。 これ以上ご迷惑をおかけするなんて・・・」

「そんなことは気にしなくってもいいんだよ」

青年は爽やかな顔で千織を見つめる。

ドキドキドキ

また千織の新しい恋のメトロノームが動き出した。

ただ、次の日の夕刊でホテルの近くの砂浜に、スティーブと思われる遺体が打ち上げられた事が報じられたのを千織は知る由もなかった。

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