第114話 ■千織、海に沈む その1
■千織、海に沈む その1
ザザァーー トップン サァァー
浜辺に波が静かによせる音が聞こえる。
雲の間からは光の束が何本も、海面までつながってる。
その光の束を見つめているうちに千織は、そこを伝わって天国までいけそうな気がしてきた。
でも千織は、この後に地獄を見ることになる。
陽の光が波に反射して眩しいほどに、きらきら輝いている。
見上げれば空には、海鳥が何羽もふわりと舞っている。
そう、千織は生まれて初めて海を見ていた。
「うわぁ。 これ全部水なんだ。 あー いい気持ち。 わたし、一度海で思いっきり泳いでみたかったんだ」
海から吹いてくる風に千織の髪が、ふわりとなびいた。
広い砂浜を歩いていくと、小さな子供と手をつないだ親子連れとすれ違う。
そんな光景を見ていると思わず微笑みが自然と浮かんでくるが、それも直ぐに寂しさに変わる。
砂浜は千織が思っていたのと違い、結構歩き辛い。
まだこの季節は、海で泳げるほどの気温には、ほど遠かったが体はロボット、中身は霊体なので気温も水温もあまり関係はない。
むしろ浜辺に人が居ないので、目立たなくて都合が良いくらいである。
千織は自分がやってみたかった事を着実に実現していた。
今日ここにいるのは、テレビのビールのCMで、女の子が水着姿で楽しそうに踊っているのを見て、そう言えば自分は海に憧れていたことを思い出したのだった。
そこで今、千織は西伊豆の、とある海岸に来ているのだった。
水着は持っていないが、服のままで泳げば問題はないだろう。
「海の中で大きな魚が泳いでいるのが見えるかな?」
千織は、早くも期待でわくわくしていた。
ロボットの制御SWソフトウエア、いわゆる人間で言う人格を司っている部分は、ロボットとして稼動していない場合(つまり千織が憑依している状態では)、その機能はかなり制限されている。
そうしないと、千織の意思とは異なった動作をして、上手く本体を動かせないのだ。
そう言う理由ワケで千織は、まだ自分が海に入った際のリスクを認識していないのだった。
何しろ、千織は3歳の時に死んでしまった。 その後はお屋敷の中を漂っていただけなので、世間知らずであり、生きていくために必要ないろいろな知識も無い。
ロボットの体は比重の関係で何もしなければ、水には浮かばない。
本体内部はメカ部分の抵抗や水分による錆びの影響などを減らすため、真空に近い状態なのだが、いわゆる人間の皮膚にあたる部分が残った空間のほとんどを埋めている。
全体的に最先端の軽量素材が、ふんだんに使われているが、それでも同じ体格の人間に比べれば、まだまだ遥かに重いのだ。
従って、海で泳ぐというよりは、海の中に入っていき、海底を歩くというイメージである。
未来ミクは、基本的に同じ構造であるが、SWが泳ぐ為の機能を制御し、四箇所に取り付けられているエアバッグに空気を取り入れて浮力を得る。
そのため、女性型ロボットは一時的に胸のサイズが大きくなるので、水着は伸縮性のあるものを選ぶ必要がある。
男性型は一時的に・・・アノ部分ではありません (-_-;) マッチョ(筋肉が盛り上がって見える)になるのである。
本来のロボット自律モードなら、人間のように泳げたのだが、その機能が稼動していない千織ロボットはザブザブと海に沈んでいった。
「あれぇ? 泳げないぞ? 何で?」
まあ、息をする必要は、もともと無いので、この時点では問題がなかったのだが・・・
それよりも、千織は目の前の魚の群れに目を奪われていた。
ここ、西伊豆の海は、場所にもよるが透明度が20mほどもあり、まるで竜宮城に来たようだった。
見たことも無い様な魚も、たくさん泳いでいる。
「うわぁ・・きれい・・」
千織は、目の前の魚たちを追いかけながら、どんどん進んでいく。
水深は徐々に深くなっていくが、ロボットの目は感度が良く、また補正機能も優れているため、実際の深度以上に深くまで来てしまっていることに千織は気が付かない。
海の中でたくさんの魚や珊瑚を夢中になって見ているうちに、すっかり時の経つのも忘れていたが、さすがに日が傾き、そろそろ海の中も薄暗くなり始めてきていた。
「ああ、楽しかった。 でも、そろそろ戻らないといけないわね」
千織がそう思って、浜辺に引き返そうとしたが、なんだか体が思ったように動かなくなっている。
「あれぇ? どうしたんだろう?」
実は、バッテリー切れのアラームが再三にわたり出されていたが、海底散策に夢中で千織は気がつかなかったのだ。
秀一が組み込んだメカの駆動振動により微弱発電する仕掛けや、ソーラーパネルによる緊急充電装置も海底では上手く機能しない。
バッテリー切れの警告音が虚しく断続的に鳴り響き、機能停止が近い事を伝えている。
千織に残された時間は、後30分弱であった。
「変な音もするし、どこか壊れたのかも知れない。 この体だけ残してわたしだけ、いったん帰って後はあの科学者のおじさんに直してもらおうっと」
千織はそう思って、緑色のスイッチをを押してみたが反応しない。
「あれれ。 どうしちゃったんだろう? これじゃ、この体の中から抜け出せないよ!」
このままロボットの体に閉じ込められたら、こんどは海底に沈む地縛霊になってしまう。
千織は、ことの重大性に今やっと気付いたのだった。
節電のため、体の細部から徐々に機能が停止していく。 まずは指の間接が動かなくなる。
必要最小限の動作に絞って、消費電力を節約するのである。
千織は、ゆっくりではあるが、それでも確実に浜辺へ向かって歩いていた。
ただし、余りにも沖に出過ぎていた。 どうやら浜辺までは、到達するのは困難であろう。
「いったいどうすればいいの?」
近くを巨大なクエがゆっくりと泳ぎ去る。
千織は服を着たまま、海に入ったため、その抵抗も馬鹿にできなかった。
おそらく水着を着るか、服を着ていなかったら、浜辺までは楽勝で帰り着くことができたであろう。
でも今更何を言っても仕方が無い。 After Festival(後の祭り)である。
千織は、もう泣きそうになっていた。 いったいどうして自分ばかりが、こんな目に遭うのだろう。
何にも悪い事なんかしていないのに。
そしてまだ、やっと自分のやりたかった事を実行し始めたばかりだと言うのに・・・
水深は、まだまだ10mはあるだろうか。 しばらくは、なだらか海底が続く。
水深は徐々に浅くなっているのだが、日もどんどん暮れていくため、海底もそれに連れてどんどん暗くなっていく。
「あぁっ、 誰か--- 助けてーーー!」
千織がそう思いっきり叫んだ頃であった。
東京に居る、霊媒師の陽子が体をピクリとさせる。
「んっ、 千織ちゃん?」
陽子は、弱いながらも千織の霊波を敏感に感じとっていた。
早速、霊視を始めるが遠くの海の底からの波動は微弱であり、姿や意識をほんのわずかに感じるのみであった。
ただ、ほかならぬ緊急事態が起きている事だけは伝わった。
残念ながら千織ロボットは、浜辺までおおよそ100mの地点で完全に動きが止まってしまっていた。
大きな鮫サメが千織の近くを旋回し始める。 しばらく様子を見ていたが、突然体当たりをしてくる。
ドガッ
「ああっ」
千織は弾き飛ばされ、そのままゆっくり海底に横向きに倒れていった。
次回、「千織、海に沈む その2」へ続く
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