第74話 父親の苦悩
フランシスカとルイーダから解放されたアークは、ダイロットを連れて、報告をしにギルドへ向かった。
ギルドの入口近くでは、フルートとデートの約束を取り付けたレッドが、何時もよりもニコニコな営業スマイルでサンドイッチを売っていた。
そして、パイロット達がレッドから買ったサンドイッチを食べながら、大声で今日の成果や自慢話をして、彼等の声で部屋の中は喧騒に包まれていた。
「アークさん、ダイロットさん!」
アークとダイロットがギルドに入ると、いち早くに気付いたレッドが2人に声を掛ける。
「よう!」
「頑張ってるな」
レッドの呼び声に、アークは気さくに声を掛け、ダイロットも働く少年を微笑ましく思い応援する。
すると、騒がしかった談話ルームが静かになって、全パイロット達がアーク達の方向を向いたまま石像の様に固まっていた。
「えっ!? な、何?」
豹変したパイロット達の様子に、全く状況が分からないレッドが驚いていると、彼の肩にアークが手を乗せた。
「なーに、大した事はない。男ってヤツはいくつになっても一目惚れをするんだよ。それが例え男でもな」
「……はぁ」
アークが笑い掛けるが、まだ若いレッドは、アークの言っている事が理解出来なかった。
「それにしても。さすがは人類を救った英雄様だな。ここに居る全員が仲良くなりたくて、アンタのケツを狙ってるぞ」
「私にその気の趣味はない。それに今まで私に近づく男も女も、全てルイーダが撃退してた」
ダイロットはアークの冗談に素っ気なく答えると、カウンターに向かって歩き始める。
「あんたのカミサン、独占欲が強すぎねえか? レッド、サンドイッチとコーヒーを2つキープしといてくれ」
「あ、はい」
アークは肩を竦めると、ダイロットの後を追ってカウンターへと向かった。
「アーク、久しぶりだにゃ。フルートにゃんは、どうしたのかにゃ?」
カウンターの前に立つと、トパーズが2人を出迎えた。
ここしばらくの間、アークはギルドの対応をフルートに任せて、フランシスカと一緒にワイルドスワンの整備をしていたので、彼女と会うのも久しぶりだった。
「ん? ああ、生理中」
「……不思議だにゃ。男からそれを聞かされると、それを言った男が変態に見えるにゃ」
トパーズの言い返しに、左右の受付嬢がウンウンと頷く。
「じゃあ何て言えばいいんだよ。後、思い浮かぶのは膣……」
「そこまでにゃ!!」
アークの話を遮って、トパーズが大声を出す。
「……何?」
「それ以上は公然わいせつな気がするから、言わなくていいにゃ。というか、言ったら衛兵を呼ぶにゃ!」
「まあ、別にいいけどよ」
トパーズの抗議にアークが顔を顰めて、頭をボリボリ掻いた。
「ダイロットも五月蠅いアークの子守は大変だったにゃろ?」
「別に大したことはない」
「だったら、1度耳鼻科に行くべきにゃ。それじゃ、仕事をするから2人共、ギルドカードをさっさと出すにゃ」
手を出して催促するトパーズに、2人はギルドカードを提出した。
事務処理を終えてトパーズからギルドカードを受け取った2人は、談話ルームの方へと移動した。
アークがレッドからサンドイッチを狩っている間に、ダイロットが空いている席に座って彼を待つ。
談話ルームのパイロット達は、ダイロットを見てるだけで声を掛けず、彼等の様子を黙って伺っていた。
「ほら、おっさん。復帰祝いだ」
「ああ、すまないな」
そんな彼等を余所に、アークはダイロットの反対側の椅子に座ると、レッドから買ったサンドイッチとコーヒーを渡す。
「しかし、お前は……」
ダイロットが話を途中で止めて、自虐的に笑う。
「何?」
「いや、何でもない」
「そう言われると気になるじゃねえか。もしかして愛の告白か? 悪いが俺はベッドの上じゃ自由主義だけど、おっさんにケツを捧げるほど献身的じゃねえぞ」
サンドイッチの包みを剥きながら、アークが顔を顰める。
「本当に大したことじゃない……お前は他と違って、俺と話をしても1度も動じないなと思っただけだ」
ダイロットの話に、アークが肩を竦める。
「別にファンじゃないし」
「それは残念だ」
アークの返答に、ダイロットが珍しくふざけた。
「いや、今のは熱狂的なファンじゃないって意味だ」
「そうか。だけど、気さくに会話できるのは助かる。他の奴等は私が誰だか知ると緊張するらしく、偽名じゃないと仕事が出来なかった」
「なるほどね……まあ、俺はファンと言っても昔の話で、今は何とも思ってねえからな」
そう言ってアークが肩を竦めると、ダイロットもアークに合わせて肩を竦める。
「冗談の上手い奴だ」
ダイロットは軽く笑うと、貰ったサンドイッチを食べ始めた。
「それで、ナージャはどうだった?」
食事中にダイロットから質問されて、アークが真剣な表情を浮かべた。
「……女だからと調子こいて散々暴力を振るった挙句に、自殺に追い込む一歩手前の暴言と嫌がらせを執拗に繰り返すクソ女」
「……いや、性格ではなくガンナーとしてだ」
勘違いな回答にダイロットが顔を引き攣らせると、アークがキョトンとする。
「あ、そっち? うーん……そうだな。素面だと慎重過ぎる面があるかも。アンタをマネて確実に当てようと、後手後手に回っている。そんな気がするね」
「……確かにそうだな」
「だけど、酒が入ると俺が言ったクソ女の性格が良い方向に出て、笑いながら敵をぶっ殺してたぜ。ちなみに、今の「良い方向に出て」の部分はあくまでもガンナーとしてだからな。人間としては快楽殺人鬼に並ぶトップクラスの酷い人格だったぞ」
「…………」
「ただ、素面でヘボだからと酒を飲ませて飛べば良いかとなると、今度は重大な問題が1つ出てくる」
そう言って、アークが人差し指を立てる。
「……何となく予想できる」
「まあ、無線で教えたからな。アイツ、酒を一口飲んだだけで寝ちまった。もし操縦していたら居眠りで墜落死は確実だ」
「……ふむ。うちの娘は通常だと下手糞で、酒を飲ませたら一流の腕を発揮するけど時間制限があって、そのまま墜落するという事か……確かに酷い」
ダイロットが溜息を吐くと、アークが両肩を竦めて話を続ける。
「アイツが操縦して戦っているのを見た事がないから、俺からは何とも言えないな。ギルドからダヴェリールへの推薦状を貰えるぐらいなんだから、下手糞じゃねえと思うけど、ここで生き残れるかと尋ねられたら……今のままだと何時か死ぬぜ」
「私も概ね同じ考えだ。もし、お前がナージャを指導するとしたらどうする?」
ダイロットの相談に、アークが顔を顰める。
「面倒くせえから「真っ先に逃げる」が本音だけど、それだと答えにならねえから真面目に答えてやるよ。俺からのアドバイスは、「直感を信じろ」だな」
「ほう?」
予想外のアドバイスに、ダイロットがアークをジッと見る。
「説明し辛いし、他人に言っても信じねえし、これを言うと逆に病院へ行けって言われるんだけど、俺は自分に向けられた敵意ってヤツに敏感でね。相手が見えなくても敵意を感じると、体のどこかがムズ痒くなるんだ」
「……昔、お前の父親も同じことを言っていた。私を含めてただの冗談だと思っていたけど、確かにアイツの飛び方は、目と反射神経だけで出来る代物ではなかった。恐らくお前と同じで、事前感知の力が働いていたんだろう」
ダイロットが顎に手を添えて、シャガンの事を思い出す。
「それで正解だ。俺が親父から教わったのは、簡単な操縦方法とアクロバットで遊ぶ事、後は自分の勘を信じろって事ぐらいだからな。親父も俺と同じようなセンスを持っていたと思うぜ」
「センスか……」
「ああ、チョット格好良く言ってみたけど、何となく妄想癖に取りつかれたクソガキみたいな気分だ」
「それは、分からん」
アークの冗談に、ダイロットが首を左右に振る。
「まあな。俺も良く知らねえけど、思春期の男は女にもてない奴ほど変な妄想を考えるっぽいぜ。昔、村に住んでいた頃、知り合いのミッキーって奴が「俺のガイアが疼く」とか変な事を突然言い出したりして、近所から変な目で見られてた」
「……私が子供の頃にも、似たような事を言う奴が居たな。そいつは突然、右目が疼くらしい」
「今も昔も疼く事が基本っぽいな。だけどソイツはまだ人体の一部だからマシだと思う、病院に行けば済む話だから。本当、ガイアって何だよ……病院に行ったって医者から手遅れと言われるだけだぞ……」
アークは子供だった頃のミッキーを思い出して溜息を吐いた。
「それで話を戻すが、シャガンの血を受け継ぐナージャにも、センスはあったか?」
アークがコーヒーで喉を潤してから頷き返す。
「確かに有った。実際に2回ほど、空獣が姿を現す前に感知してた。残念ながらアイツも確実に親父の血を受け継いでる。恐らくダヴェリール行きの推薦が貰えたのはそのおかげだろう」
「ふむ」
「だけど、親父の血を継いでるって事は、俺と同じで確実にクソの類の人種だから、アイツは一生結婚なんて出来ないと思う。もし結婚しようとしても、結婚式で神父に「誓います」と言ってから、3秒後には新郎をぶん殴って離婚するのは確実だ」
「そうか、参考になった」
「なったのか!?」
驚くアークを余所に、ダイロットは考え事をしていた。
狩りを終えたロイドがギルドの中に入ると、中の様子が何時もと違い、静まり返っている事に気付いて眉を顰める。
そして、その原因の2人を見つけると、空気を読まずに話し掛けて来た。
「よう!」
「おっ? ファンじゃないのが1人来たな」
「何の話だ?」
アークの言い返しに、ロイドが眉を顰める。
「何、大した話じゃない」
「どうせ何時もの冗談だろ。ダイロットさんもコイツと付き合って大変だな」
「いや、大丈夫だ」
「だったら、一度耳鼻科に行った方が良いぞ。んじゃ受付に行くから、また後でな」
ロイドはそう言うと、トパーズが待つ受付へと去って行った。
「……この町には、有名な耳鼻科があるのか?」
「シラネ。
ダイロットの質問にアークが肩を竦めた。
しばらくして、ロイドがアレックスを連れて戻ってくると、空いている席に座った。
アレックスはダイロットと交友を持ちたかったが、若い頃に憧れていた人物を前に、緊張で話し掛けるどころが、近寄る事すら出来なかった。
そこで、先ほどいともあっさり話をしていたロイドに頼んで、紹介してもらおうとしていた。
「ダイロットさん、紹介するぜ。ここのパイロットを取り仕切ってるアレックスの旦那だ。ケンカに巻き込まれたり、トラブルに巻き込まれたり、ついでにアークがうざくなったら、相談するといい」
「最後のは聞き捨てならねえな」
アークがロイドに向かって中指を突き立てて、「オッパイロット乙」と言ったのを皮切りに、2人が言い争いを始めた。
「ア、アレックスだ。よろしく」
左右で騒ぐ2人を無視して、アレックスが緊張した様子でダイロットに話し掛けると、アークはロイドとの言い争いを中断して、いらしい笑顔をアレックスに向けた。
「おいおい。初めて風俗に行った童貞みたいにガチガチじゃねえか。最初っから美人を狙わず、適当なブスで一発済ませてから来いよ」
「バ、バカヤロウ!」
慌ててアレックスが怒鳴り返す。
だけど、それで緊張が解けたのか通常の彼に戻っていた。
「すまねえ。見苦しいところを見せたな。アンタの事は若い頃から知っているしファンだった。同じ空獣を狩る者同士だ。困った事があったら何でも聞いてくれ」
「ありがとう。私は軍でしか空獣を狩った事がないんでね。頼りにさせてもらう」
ダイロットが手を差し出すと、アレックスが緊張した様子で握手を交わす。
それを切っ掛けに、遠巻きに見ていたパイロット達も遠慮がちにダイロットへ話し掛けてきた。
そして、意外と気さくに対応するダイロットに、彼等も心を許したのか、アーク達が座る席を中心に賑やかになっていた。
ギルドを出た後、明日も飛ぶ予定のダイロットはマイキーのドックへ行き、飛ぶ予定のないアークは自宅へ帰る事にした。
「ただいま」
「おかえり」
アークが自宅に戻ると、フルートが鼻歌を歌いながら、夕食で使うジャガイモの皮を剥いていた。
フルートが嬉しそうなのは、昼にレッドからデートの誘いを受けたからで、どうやら彼女は乙女の純情を、ホンの少しだけ取り戻したらしい。
「そう言えば、トパーズが昨日倒したオーガクイーンの金を振り込みたいから、ギルドに来てくれって言ってたぞ」
「あ、そういえば忘れてた。明日行く」
フルートは答えた後、再び鼻歌を歌いながらじゃがいもの皮をむき始める。
「……ずいぶん楽しそうだな。何か嫌な事でもあったのか?」
「……アークは嫌な事があると、楽しくなるの?」
「毎日、クソまみれなトイレに居る気分だけど、それが嫌な事だと今気づいたよ」
アークが冗談を言い返した後、手を洗ってからフルートの反対側に座り、皮むきを手伝い始めた。
「それでダイロットさんはどうだった?」
皮むきの途中でフルートから質問されたアークが、手を止めて上目で考えてから口を開く。
「そうだな……俺は時々、スッキリした後で自分が変人だと思う時があるけど、あのおっさんもどこかおかしいな」
「そうなの?」
スッキリの部分を無視してフルートが尋ねる。
「1Km先から1mの氷の塊を撃ち抜いてたぜ。空獣狩りなんてやらずに曲芸師になった方が儲かるんじゃねえかな」
それを聞いたフルートが、作業の手を止めて目を丸くしていた。
「な。変だろ」
アークがそう言うと、フルートが何度も頷いていた。
「今度、どうやったらそんな事が出来るか聞いてみる」
「多分無理だと思うぜ」
フルートの話に、アークが首を左右に振って否定する。
「そうなの?」
「あれは教わってどうこう出来るもんじゃねえ」
「……そう」
フルートの落ち込む様子に、アークが肩を竦める。
「そう落ち込む必要はないと思うけどな」
「ん?」
俯き加減だったフルートが顔を上げてアークを見る。
「今日一緒に戦って分かったけど、ダイロットの戦い方は、遠距離からの狙撃が基本らしい」
「うん。前に読んだ本にもそう書いてあった」
「だけど、お前の場合は俺の後ろに居るから、常に敵と接近している状態で撃っているだろ」
「確かに、遠距離で撃つ機会は滅多にない……」
「お前が遠距離射撃の腕を磨いたとしても、ぶっちゃけ意味なくね?」
そうアークから言われて、フルートが確かにその通りだと頷く。
「多分だけど、接近戦の射撃ならダイロットよりも、お前の方が腕が良いと思うぞ」
「そうなの?」
「ああ。俺がワイルドスワンでぶん回しても、最後まで眠らずに射撃を命中させるのは、ダイロットでも無理だろう」
「……眠る?」
会話の中で「眠る」という単語が出てきて、フルートが首を傾げる。
それでアークが今日のナージャの話をすると、フルートは溜息を吐いて頭を左右に振った。
「酷い……」
「ああ、最悪だった」
「酷いのは、アークもだから」
「安心しろよ。俺は既に自分が酷い人間だと自覚がある。最悪なのは自覚もなく酷い事を繰り返す人間だ」
そう言ってから、自分の分のじゃがいもの皮を剥き終えたアークが席を立った。
「確かにそうだけど。何か違う気がする……」
「まあ、そういう事で気落ちする事はないと思うぞ」
アークはジャガイモでべとついた手を洗った後、荷物を持って自分の部屋へ戻ろうとする。
「アーク!」
そのアークの後ろから、フルートが声を掛ける。
「何?」
「その……ありがとう」
フルートが何気に励ましてくれたアークに礼を言う。
それを聞いたアークは、口角の片方を尖らせてニヤリと笑うと、「どういたしまして」と言って、扉の向こうに姿を消した。
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