第12話 美術館にて2

「へえ~え秘密か~。エロ臭いな~? 裸婦でも描いて緑川さんにバレたからもう描かないとか?」


 直近の俺の発言を受けた久保田さんは、どこか試すような眼差しと共ににこりとした。


「ら、裸婦ううう!? ……って何でそうなるんだよ。裸婦画は芸術だよ芸術」


 俺は動揺を誤魔化すように溜息をついた。

 裸婦画は芸術だ!とか何とかカッコ良くぬかしたが、実際ちょーおドッキドキする響きだよね、ラ・フってさ!

 中学ん時なんか美術の時間先生が「まずはあたりを付けてラフ画から描いて下さいねー」とか指示したら……もう想像できるだろ?


 クラスの一人が紙という平面媒体上にラフと書いて女神と読む奇跡を創造した。


 ラフはラフでも違うラフ――裸婦ってなあハハハッ!


 首の付け根とかデッサンが恐ろしくおかしかったが、出る所はババーンと出て締まるところはキュキュ~ッと円錐の頂点ばりに極限に細かったあの裸婦体は、俺たちの桃源郷そのものだった。

 今でも密かに同中男子の間に語り継がれてる伝説の名画だ。


 確か佐藤の作だったっけ。

 無名の画伯の偉大なる絵画は今……押し入れとかに入ってそう。


「あはっ芸術とか言って~、頬赤くなってるよ~?」


 久保田さんは時々悪ノリしてこういうからかいを入れてくるんだよな。

 本人に悪気はないだろうが。


「こほん、とにかく俺は描かない、それだけだよ」

「目の前に絶世の美女な裸婦モデルがいても?」


 くっ……! それは絵を描く以前に色々ヤバいだろ。俺が。

 何て狡猾な陽動なんだ。ごくりと生唾を呑み込む。


「もしも今私がマッパでここに立ってたら描かずに居られる~?」


 んまッなな何てとんでもない事言うのかしらこの子はッ!?

 ないのかしら、きわどい事言ってるって自覚が!!


「く、久保田さん、冗談でも男の前で自分をそういう風な引き合いに出すのはやめた方が良いザマスよ!」

「ザマス……」


 俺は冷静に……見えていたかは知らんが、俺的には頑張って平静を装って言ってやった。

 だってそうだろ、クラスメイトなんだしこのくらい注意しないと。

 ワタクシこの子の家庭教師としてこの先が心配ザマスと、心の三角眼鏡をくいっと上げる俺の窘めをどう受け取ったかは知らないが、久保田さんは目をまん丸くして俺の鼻に穴が開くほど程凝視する。ってああ元々開いてたっけ。

 そしてふっと吐息を零すと、ウフフフフ~と笑い出しそうな顔でこっちの顔を覗き込んできた。


「ふーん、んふふー、ふーん?」

「え、何」

「松三朗くんは名前だけじゃなく気質も昔の人みたいだね。近所のおじいちゃんみたい」

「……どうせ俺は名前からして渋いですよ。しわしわネームですよ」

「あはは何で拗ねるの、そこがいいんじゃない。良くないなって思ったことはちゃんと口にしてくれる頼れる男の子だよ?」

「えっ……」


 イケ面に覗き込まれてドギマギする女子の気持ちってこんな感じだろうか。


 ……昔昔ドギと言う名の魔法使いマギがおりました。

 略して、ドギマギ!

 なんつー俺のカオスな内心なんぞ知る由もない久保田さんは、小首を傾げてまだ俺を覗き込んでいる。

 まあまだって言っても、俺の体感時間では脳内で引き延ばされて三〇〇〇秒程だったが。

 学校だとそうでもないのに、ゆめり以外でこんな距離感近い女子も珍しいな。

 ってか俺のパーソナルスペースを考えてくれ。何かお宅良い匂いするし、鼻の穴ふがふがさせそうになるだろ!

 俺は何と返していいのやら迷って、最終的には「ど、どうも」しか出て来なかった。

 ツボッたのか、久保田さんはあははと可愛らしいが快活に笑った。


「久保田さんは刀見に行かなくていいのか? ああそれとももう見て来た後?」

「んーんこれからだよ。そうだ、君も一緒に見る? 曇りのない日本刀って本当に綺麗なんだよ~! うっとり何時間でも見てられるしさ。……一度でいいから切れ味を試してみたいよね」

「……」


 一体何で試すおつもりでしょうか?

 きゅうり? 巻きわら? それともにんげ――……?


「ん、んじゃーこっちも時間が余ったら見てみるな。思う存分じっくり見て来いよ」

「ちぇーえ、やっぱりそっちが優先かあ」

「そりゃそうだろ。元々の目的は名画なんだから。俺には巨匠たちの絵画にお目に掛かるという崇高なる一大事があるんだよ」

「……そういうそっちじゃないけど」

「え?」

「ううん、まあ先約なら仕方がないか、巨・匠・た・ち・と・の!」


 久保田さんはにこりとしてどこかおどけたようにくるりと目を回した。


「じゃ、楽しんでね松三朗くん!」

「ああ、久保田さんもな」

「ありがと。あ、そうだこれあげる。手、出して?」


 彼女は自らの小さなショルダーバッグから市販のタブレットの小さなケースを取り出すと、示すように軽く振ってみせた。シールの絵柄はミント味。

 カシャカシャッといい音がした。

 俺は有難く二粒もらって口に入れる。

 胃の中からスッキリするような味わいが口内に広がった。


「サンキューな。これでだいぶいいわ」

「そ? じゃ今度こそバイバイ。後学のためにもしっかり目に焼き付けてくるね~」


 後学のためにも……。

 彼女の後学って切れ味試す事じゃないだろうな。

 俺はそこはかとない不安を押し隠し、クラスメイトを見送った。


「さてと、だいぶ気分も良くなったし、行くか。ゆめりはどこら辺まで見進めたかな」



「――ここにいるわよ」



 声は、すぐ横からした。

 なっ……!

 こッこの俺が気配を掴めなかっただと!?

 奴は一体どんな隠遁いんとんの忍術を使った……!?

 ……つーか何かいつになく声低いんですけどー?(心の棒読み)

 不機嫌丸出しだよなこのトーンは。やっぱ一人で行けとか放り出したのがまずかった? チョコ菓子全部やったご機嫌ポイントは全て消費したようだ。ふうー、次からどうしよ。ってか今どうしよ。

 その時、俺の脳天に雷撃が走った

 一閃した衝撃に俺の手足が震え出す。


 この低音、まさか――――声変わり……か?


「ちょっと何よ黙り込んで」


 低い。めっちゃ低い。


「やはり、か」


 俺は焦り、しかしどこかで納得してもいた。

 奴の普段の凶暴さは女子たりえなかったからだと!


 ――奴は、緑川ゆめりは男だったと、全世界に私はそう宣言したい!!

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