第11話 美術館にて1
「美術館でいいんだっけ?」
「ああ」
俺とゆめりは今、免許取り立ての姉貴の車の後部座席に並んで座っている。
俺には大学に通う姉が一人いて、実は二人
さっきは母さんじゃなくて本当に命拾いした。
次からはきちんと廊下で着替えよ。
激しく間違ってる悟りだが、何も言わんでくれ……。
猟師に成敗される狼よろしく母さんからヘッドロックでも食らうかと本気で思ったが幸運にも助かった。
だが待てよ? 元はと言えばほとんど家におらず学校と彼氏とバイトな日々を送る自由人過ぎる姉貴のせいで、母さんは俺への風当たりが厳しいんじゃなかろうか?
あと、俺の菓子シェルターは設置から一月と経たず使用不能に陥った。
そして現在、ゆめりの手には奇跡的に御無事だった御当地限定
この度もジャイアン様に全て献上致しましたので、ワタクシめの分は期待も出来ませぬ。
お願い佐藤、また頼む。
「どっかコンビニとか寄る所ある?」
「いやない。向こうにも喫茶店とか自販機あるし」
「あそ? じゃ美術館直行ね」
姉貴は雨だからと出掛ける俺たちを送ってくれている。
単に新車を乗り回す正当な理由がほしかっただけだろうが、俺たちとしては有難い。……死と隣り合わせな運転の荒さを除けば。
つい今し方は雪道でもないのに街路樹に激突しそうになった。
よく合格できたなおい!
ああ交通手段、間違った。
それにだ。おい緑川さん家のお嬢さん、ちみはこのカーチェイス並の揺れの中、何で車酔いもせず美味そうにポキポキ菓子食えるんだよ!? 三半規管強えな!
俺は限界が近い……うっぷ。
「一本食べる?」
奴はわざとなのか俺に安納芋味の細いチョコ菓子を差し出してきた。
「いらねえ……」
俺は若干蒼い顔で小さく首を振る。
うお、この動きだけでも気分が悪化する。
結局一本も味わえなかった俺は、車酔いという生理現象と生命の危機に直面すると言う精神ダメージのダブルパンチで、美術館に着くなり館内で休む羽目になった。
この美術館には本館と別館があるが、その前にどちらにも通じる広い休憩スペースが設けられていて、そこには喫茶店が営業していたり絵入りのポストカードなんかを扱う雑貨屋が入っている。
店とは関係のない壁際の長椅子で俺は横になっていた。
因みに、これから彼氏とデートらしい元凶同然の姉貴はマイペースに「じゃね~」と帰って行った。
「ちょっと本当に平気なの? 水買って来る?」
「ああいや、少し休めば落ち着くよ」
弱っていたのを見ていられなかったのかゆめりが情けをかけてくれた。
何か奴の方が余程姉みたいだな。実の姉よりもさ。
こんな姿、情けねえ……。
いやまあ普段の方が色々もっと男としてどうかとは思うけどねッ。
「悪いなゆめり、こっちから誘ったのに。先に一人で見て来ていいぞ。俺も後から行くからさ」
気を利かせてそう言うと、奴はしばし何も言わずに俺を見下ろして、何も言わずに背を向けた。
一瞬ちょっと蹴りでも入れられるかと身構えちゃったよ。すまん、いくら奴でも病人にそこまで非道な真似しないよな。おいは気の小せえ男ですホント。
照明が眩しくて目元を腕で隠す。
しばらくそうしていると傍で人の気配がした。
戻ってきたのか?
「もしかして
ん? ゆめりじゃない。
だがこの声は知っているぞ。何故彼女がこんな所に?
「久保田さん……」
「あ、やっぱり松三朗くんだ~! なんか見たことあるフォルムだなーって思ってさ。名画展見に来たんだ? さすがは美術部」
クラスメイトの久保田さんの登場に、俺は気分の悪さを少しだけ忘れた。
ゆっくりと身を起こして疲れたリーマンのように長椅子に腰かける。
――はああ、今日のサラめし梅昆布おにぎり一つか……。
ってあれ? 今浮かんだのは父さんですか?
「まあな。久保田さんこそ何でここに? 別に日本の絵画じゃないし興味ないだろ?」
「ふふふっ実は今日は別館の方で何と日本刀展をやってるの!」
彼女はやや興奮気味に両手を広げはしゃいでみせた。
おお、目が爛々としている。そういえば入口の案内板に日本刀展の文字が見えた気がするな。なるほど。さすがは歴女、歴史的展示物のチェックも抜かりなし。
まあ俺も侍は好きだし、日本刀はカッコイイと思う。
「ねえ顔色悪いけど、もしかして具合悪い?」
「ちょっと車酔いしてな。でも何か久保田さんいてビックリしたら結構良くなったな」
「あはは何それしゃっくり止めるんじゃないんだから。でも、なら声掛けた甲斐があったね」
俺の強がりに久保田さんはからりと笑った。
その明るさに俺の気分も釣られて上向く。彼女に友達が多いのがわかる。だって気安いもんな。
「ホント奇遇だね。佐藤君とルカ君にライン送っとこ、珍獣発見~て」
珍獣って……まあいいが。
久保田さんは俺だけじゃなく佐藤と岡田とまでラインしてんのか。相変わらず交友関係が広い。たぶんクラスの連絡用のとは別にしてるんだろう。
にしても、佐藤か……。
あいつの例のあの
日本刀を見に行くのか行ったのか、スマホ操作をする上機嫌な久保田さんを俺は黙って眺める。
そういや一人だが、連れはいないのか?
辺りをさらっと見回したが彼女の連れっぽい人物は見当たらない。
へえ、こういう改まった場所に一人で来たりするんだな。
いつも友人の輪の中にいるからちょっと新鮮な姿に思えた。
「ねえ松三朗くんは一人で来たの?」
「いや、幼馴染みと。クラス遠いから知んないかもだけど、八組の…」
「ああ、緑川さんでしょ? 彼女なら知ってるよ。――松三朗くんと仲良いから」
ふむふむ俺と仲が良いから……て!?
「は? 何で俺?」
「すごいエモくてキレイな絵描くからだよ。授業の度に美術室で見かける絵の中に君の作品もあるでしょう? 小さいサイズだけど。誰のだろって見たら君のだったから驚いて、クラスメイトのすっごく良い絵があったってツイートしちゃったよ」
そう言えば久保田さんのはフォローしてないな。
あんまり目立つのは好きじゃないんだが。
「あ、呟いただけで写真インスタには挙げてないから安心して。コンクールに出したりするんでしょ」
「いや、部室に飾ってあるのは出さないよ。出すやつはまた別個に描いてるから。サイズも大きいし」
「そうなんだ。じゃあ画像アップしてもいいの?」
「ああまあ、あれなら別に」
「やった!」
久保田さんは嬉しそうに手を叩いた。
何かこういうのこそばゆいな。
自分の絵を誰かに称賛されるのは、やっぱ素直に嬉しい。
「出すやつって緑川さんをモデルにしてるの?」
「いや、普通に風景画だけど?」
「なーんだてっきり……」
「何?」
久保田さんはどこか肩すかしをくらった人のようにアハハッと口を開けて笑った。
俺が怪訝な顔をすると今度はにこっと色付きリップか何かの付いた唇を綺麗に吊り上げる。
「私をモデルに描いても良いよ?」
微笑む小悪魔がそこにいた。
「は? …………いや、俺は」
「あ、何その顔私じゃ不服なのかな~? ひど~い傷付くよー?」
ショートボブに近いおかっぱの髪を揺らして、久保田さんがくるりとした二重の瞳を眇め俺の方に顔を突き出してくる。
睨めっこでもするような位置関係。近くで見るとより可愛いな。怒った顔も。
少々距離に照れた俺は僅かに身を引いた。
「ご、誤解だ。久保田さんがどうこうじゃなく、俺は人物画って描かない主義だから」
同じような事は岡田にも言った。
「えー、でも前にルカ君に猫耳の子描いてあげてたじゃない?」
「よく知ってるな。ああいうのは架空の人物だし、別にいいんだよ」
岡田のやつすげえ喜んでくれて、俺の方が嬉しくなったっけなあの時は。
「何か引っ掛かる言い方。じゃあ実在の人物は駄目ってこと? ――何で?」
鋭い……と言うか俺が墓穴を掘ったのか。
きっと本人にそのつもりはないだろうが、俺はその突き刺されるような問いにすぐには答えられなかった。
適当な嘘で誤魔化したってよかった。
「悪い。秘密だ」
だが俺は薄く苦笑を浮かべ、久保田さんに謝った。
あの話は、誰にも言いたくない。
知ってるのは、ゆめりだけだ。
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