第10話

「第78階層は、ブラックジャイアントホーネットがウゼぇな」


 天空城へ滞在しはじめて、もう十日間ほども経っただろうか。

 最初に今後の方針を会議した資料室のすぐ隣ち、初日に夕餐を食べた大食堂よりも広いホールに私達は冒険時の装備に身を包んで集合していた。


「じゃ~あ、蜂さんが威嚇するトコロからお願いしまぁ~す」


 リエンヌがひらひらと手を振って、壁際の操作盤前にいる宰相のお嬢さん……ユスティーナさんに合図を出すと、私達の目の前、地上2メートルの辺りにジャイアントホーネットの姿が現れた。

 脚部に生えた細かく短い毛や、オレンジの皮のようにブツブツした頭部の質感まで緻密に見て取れるその様を見て、誰がこれを魔道具による立体映像だなんて思うだろう。

 触ろうとしてもすり抜けるだけでこれに実体がないなんて、何度見てもまだ信じられないくらいだ。


 静止画として投影されていたブラックジャイアントホーネットが命を吹き込まれたようにブ・ブ・ブ・と翅を動かし、威嚇と警戒の行動を取りながら激しく上下左右へと動きだす。


「各個、配置位置に散開。───メイ、頼む」

 

 投射機は治療水槽キュアポットなんかと同じく古代文明の遺物なんだとユスティーナさんが教えてくれたけど、古代文明スゴ過ぎ。どう考えても前世の地球より発展してる。

 本当にコレ、どうみても本物だよ。虫キライ……気持ち悪い。

 私は内心ビビりながらも心を整え、手にした杖を上へ向けて風の渦巻く傘を思い描きながら『魔力門』から出力を絞りつつ魔力を呪文と共に解放する。


風の守壁ウインドドーム!」


 不可視の風の渦でも発動できるこの魔法だけど、見えなければ皆には守られている範囲が分からなくなる。だから薄い緑の光を発動中の魔法効果へと纏わせて……。


「おいコレ、足元までねェのかよ。維持はどんだけ行けんだ?」


 発言した魔法のバリアを見上げながらアーセルが言った。


「いまの出力とサイズなら、小一時間は。地面までくっつけると風の流れが乱れるからリエンヌがの矢が使えなくなるよ。これ以上サイズ大きくするなら、1割ごとにマイナス10分」

「維持しながら、攻撃は?」


 聞かれて私は首を振る。


「……魔法も物理も無理。小一時間持つだけすごいって褒めて」


 ゲームならコマンド選択で発動したり、設定されたボタンで発動したりするけど、現実の魔法は呪文さえ唱えれば勝手に発動するモノじゃない。

 精神の集中を保ち魔力門から発動の媒介になる杖への魔力供給を想像力イマジネーションを途切れさせることなく保ち続けなければ、魔法現象は途絶する。

 属性を複合した魔法を一つ発動と言うなら想像力イマジネーションの力技で可能だけど、別魔法を二つと言うのは左手でラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲(名前しか知らない)を弾きながら、右手でカリグラフィーを綴る……みたいな、いわゆる無理ゲーだ。


「メイ、すっごぉい!」


 リエンヌが気の抜けるような褒め言葉をくれながら、攻撃動作へ移ったブラックジャイアントホーネットが上空を傘のように覆ったバリアの下をくぐって内部へ入り込んだのを見、矢を番えていない弓を構え本番さながらの鋭さで弓弦を鳴らした。

 彼女の腕ならこの程度の速さの的を決して外さない。恐らくこのブラックジャイアントホーネットが本物なら、今の一射で首と胴のつなぎ目を射抜かれ地面に落ちているはずだ。


「アタシもすごぉい!」


 ついでに自分も褒める彼女につい口許が緩んでしまったけど、一匹だけでも耳障りだった飛翔音が複数に増えて聞こえ始めたことで、私は気を引き締めて風の守壁ウインドドームの維持に集中を戻した。


「やっぱさー、こいつらだけなら軽くやっつけられるんだよねー」


 5匹、10匹と増えたブラックジャイアントホーネットに向かい、ドギーは両手に構えたショートソードを振るいながら身軽に駆け寄り、アーセルも足さばきも巧みに両手剣の風切り音を鳴らす。

 この世界に生まれ変わってから外見はアレだけど高スペックな身体になった私の目には、彼らの武器が正確にブラックジャイアントホーネットの急所へヒットした場面を拾っていた。

 自分の事ながら私の動体視力はすごいけど、ドギーとアーセルもたいがいにすごい。


「……ジャイアントホーネット系統は、軽い」


 呟きながらウォレスは軽く大盾を打ち上げる動作をした。私がすっぽり隠れられるくらいにすごく大きな盾なのに、ブンっととんでもない音が聞こえた。

 うん……そうだよね。走竜の頭をかち上げる膂力だもん、中型犬なみの大きさがある昆虫でも軽く弾き落とせるよね。


「んー……相手が蜂だけなら、私に護衛ウォレスがついてくれるのも有りだろうけど」


 上空を含む全方位から空中に機動力を持つ大量のブラックジャイアントホーネットに狙われたら、パーティーメンバーがいくら優秀でも被弾の可能性が出る。だから私が『風の守壁ウインドドーム』を発動し、魔法の範囲に侵入したこいつらを強力な乱気流で揉んで地面へと叩き落とす。

 落ちずに回避して守壁内に入り込んだ敵は、中距離でまず射手リエンヌが撃墜。手数が多くて機動力に優れたドギーの遊撃でさらに喰い散らし、アーセルが手堅く近距離圏を片付け、万が一の討ち漏らしからウォレスが私を護ってくれる───と言うのがこの場合の王道だろう。

 とりあえずこのパターンならブラックジャイアントホーネットの有用部位である針や毒腺、眼球をほぼ損なわずに済む。


「蜂さんだけなら良いのにねえぇ?」


 弓を下ろしたリエンヌが可愛らしく小首を傾げた。

 周囲にはまだ巨大な蜂がブンブンと飛び交っているけど、しょせんこれはただの映像に過ぎないと彼女には割り切れているようだ。

 私はいまだビクビクものなのに、見た目は繊細可憐な美人なのに肝が据わっている。


 ……そう、相手がブラックジャイアントホーネットだけならば、第78階層の攻略になんの問題もないのだ。

 たかがAランクなりたてのペーペーが調子づいていると言われるかもしれないけど、本当に天空城の設備と資料を使っての検証ではさしたる問題は無かった……の、だけど。


「さすがに岩鎧虫との戦闘中、こいつらブラックジャイアントホーネットの集団に横殴りされっとツレェな」


 ぼやくアーセルの言葉どおり、この階層の主要な標的ターゲットである岩鎧虫との戦闘中にこの蜂の襲撃を受けたら危険度が上がる。

 悪い事にブラックジャイアントホーネットの生息域は第79階層全域に点在している上、彼らの縄張りは広範囲に及ぶ。さらに悪条件は重なるもので、もし一匹のブラックジャイアントホーネットに危険な敵と認定されてしまえば、同じ巣の仲間どころか警戒音を聞きつけた別の巣の個体までもが参戦して危険な相手を排除に協力すると言うやっかいな性質を彼らは持っていたりする。

 どういうコトかと言えば、運が悪いと十や二十じゃきかないとんでもない大集団に襲われる可能性もある……と言うお話だ。


「岩鎧虫出してくれ!」


 アーセルがユスティーナさんへ向けてぶんぶんと手を振った。

 彼の乱暴な口調か大きな声かに若干表情をこわばらせつつ彼女が操作盤の上に指を踊らせると、大きな岩の塊をくっつけたダンゴムシみたいな岩鎧虫が私のすぐ横に現れる。


 前世の記憶に照らし合わせるならば、この岩鎧虫は小型軽自動車くらいの大きさと言えば分かり易いだろうか。なかなかサイズ感がある生物だ。

 岩塊のような外殻パーツで全身を鎧い、重量のせいか動きは早くないんだけど、音には敏感。これは彼らの天敵がブンブン音をたてて飛び回る肉食のブラックジャイアントホーネットだからだろう。


 岩鎧虫の立体映像が敵対生物と戦う際の動作の再生を始めた。

 地衣類を食べるのに適したザラザラした平たい顎が大きく開き、透明な液体の塊がそこからいくつか連射で吐き出される。

 身体の動きは鈍くてもその噴射の速度はなかなかのもの。

 まあ、ある程度早くなくちゃブラックジャイアントホーネットには当たらないんだし、それも当然かもしれない。


「遅い遅い、当ったらなーい」


 岩鎧虫のすぐ前まで来たドギーが、連射される液体を素軽くかわした。

 資料によれば、吐き出された液体の塊は粘性を帯びて麻痺毒を含むそうだ。

 もしこれがブラックジャイアントホーネットの翅に当たれば落下するだろうし、体に当たっても麻痺毒で動きが鈍る。そこにすかさず追撃を食らわせ、ブラックジャイアントホーネットの腹の横に並ぶ呼吸器官を粘性の液体で塞いで死に至らしめると言うのが岩鎧虫の戦い方なんだとか。


 ドギーの動きを見ればまだ彼には余裕がある。

 本番なら道具を使った『音』による誘導で岩鎧虫のヘイトを集めドギーに回避盾の役を割り振って、その隙にアーセルが岩鎧虫の外殻パーツの隙間を縫った攻撃で仕留めるって言うのが岩鎧虫相手で最有力の作戦なんだけど、蜂がいつどのタイミングでどれくらい現れるか読みきれないのが不安要素になっている。

 ───しかも、だ。


「……蜂にしろ岩鎧虫にしろ、足元がしっかりしてんなら何とかなりそうなんだけどねー。……ユスティーナさーん、環境投影お願いしまーす!」


 白い繊手が操作盤上を軽やかに踊り、また新たな映像がホール内へと投射された。

 砂礫と岩で構成された斜面に葉先鋭い剣状葉の多肉植物がいくつものコロニーをつくり、岩陰や葉陰のくぼ地に乾いた茶色の苔が層を作る。

 ……どう考えても足場が良いとは言い難い。と言うか、接近戦を演じる人間にとってのコンディションは最悪に近い。今現在投射されているのは乾季の映像で、これが雨季になればくぼ地の苔が水を吸ってこれ以上に滑りやすいと思われる。


「戦う前に周り全部のブラックジャイアントホーネットの巣、全部始末したいよね」


 岩鎧虫も一匹ではなく複数で活動する場合もあるから、それと当たる前に蜂をなんとかしてしまいたい。


「じゃ~あ……殺虫剤、とかぁ……」

「毒物の使用は環境の破壊につながりますので、絶対におやめください」


 リエンヌの言葉に被せるようにユスティーナさんがばっさりと切って来た。

 ……あーうん、ダヨネー。


 それにしても、天空城の持つ設備と資料はすごい。

 原寸大の立体映像は実物の動きもトレースしてくれるから、現物に出会って想定よりもぐるっと後ろまで首が届いてビックリ……とか、そういう不測の事態を可能性から潰してくれる。

 今シミュレーションしてた第78階層にしても、砂礫や苔なんかの実物サンプルに触れる事も出来たしね。これが軽石くだいたみたいな砂礫で、足元が本気でマズイからこうして悩んでいる訳なんだけど。


「この岩鎧虫にしても蜂にしてもさー、映像どうやって撮影したんだろーね」


 攻撃動作をリピートさせ続ける岩鎧虫の前、粘性麻痺毒の連射映像を躱し続けながらドギーが何となくの様子で疑問を口にした。

 

「だね、動植物のサンプルもたくさんあるし」

「……地図も」


 ウォレスもぼそっと言ったけど、各階層ごとに本当に詳細な地図まであって、最初私が思っていたような安全地帯セーフティエリア内からの観測とかじゃこのレベルの資料は無理だと思うんだよね。

 首を傾げる私達を見て、ユスティーナさんが微妙に小鼻を膨らませたドヤ顔で


「それは、王のお力ですわ」


 と言った。

 いや……うん。それは資料はこの天空城にあるんだし、その一番偉い人は確かに王様だって分かってるよ?


「アァン? そりゃ王様が全部の階層踏破したってことか?」


 私とは違う風に彼女の言葉を受け取ったアーセルが、首を傾げていぶかし気にユスティーナさんを見た。

 いやー、アーセル……それはいくらなんでも無いでしょーよ。

 案の定、答えるユスティーナさんの顔の上には一瞬だけど、失笑の色が浮かんでいた。


「まさか。……ここにある映像や地質サンプル、地図情報の大半は所有する古代文明の魔道具アーティファクトを操り王みずからが収集したと言う話を、父や上の世代の方々に聞いた憶えがありましてよ」

「……王、勤勉」

「へー古代文明の魔どーぐ・・・すっごいねー!」


 確かに王様が意外と働いたらしくて感心した。それに前々から昇降機とかの遺構で古代文明はすごいと思ってたけど、目の前の映像を見たらその技術には言葉も出ない。


「ホント、どんな道具を使ったらこんな映像モノ撮影出来るんだろねぇ」


 砂礫の粒ひとつひとつまで鮮明な第78階層の環境映像を眺めながらため息混じりに呟く私の様子を満足そうに眺め、ユスティーナさんは父親や祖父らに聞いたと言う魔道具について語り始めた。


「ええ、本当に素晴らしい魔道具のようですわね。生物の姿や音声の保存はもちろん、ある程度の質・重量までならサンプル採取も出来るそうですし、それも水中や氷原、火口エリアなどの過酷な環境下でもと言うのですから。……ですが、そんな素晴らしい魔道具も王ご自身でなければ動かすことが出来ないそうですもの。やはり王のお力あってと言う事ですわね」

「へェ……有翼人アンタらじゃ動かせねェのか」

「……能力的に稼働させられないのではなく、恐らく稼働させる権限の問題でしてよ……」

「あ・あー……使用者登録型なんですね。そっか、貴重なアーティファクトなんだろうし、ですよねぇ~」


 綺麗な有翼人のお嬢さんに睨まれている剣士アーセルの微妙な失礼発言には、たぶん悪気はなかった筈だ。だいたい本人が睨まれている事に気づいていない。

 いつもの事なんです……彼も、ドギーやリエンヌに同じく一種の天然さんなんですごめんなさい。

 ……と、内心焦りながら私は日本人的なあなあ精神にのっとり、フォローの言葉を口にする。


「ええ……そういう事ですわね。話に聞くとまさしくこれは王に相応しいと言う物らしゅうございますのよ。銀色の球形のアーティファクトがこう……王の周囲に幾つも浮かんでいるさまは、まさしく彼の方を神人と呼ぶに相応しい優美さと威容を兼ね備えるお姿であるのだとか」


 話に聞いたと言うそのありさまを思い描いているのか、語りつつうっとりと瞼を閉じる彼女の言葉を耳にして、私は


「ん?」


 と、首を傾げた。

 

「……銀色の、球体?」

「ええ、大きなものでこのくらいの……鏡のように輝く美しい球体であるのだとか」


 抱えるような動作で大きさを示すユスティーナさんの言葉でとっさ思い浮かんだのは、私達が走竜を倒した夜、宿の外にぽっかりと浮かんでいた、あの銀色の丸い何か。

 ……それから、夢の中でノア君が空に飛ばしてしまった銀色の風船。


 あの夢の後も、私は何度か前世の事を夢に見ていた。夢の中にはなぜか、何度かあの銀色の丸い風船のような物が登場している。


 王様の持つ、銀色の球体型魔道具アーティファクト……いやまさか、それ・・がノア君の持ってたアレ・・なんて、そんなわけがないだろうけど……でも……。


「あら、いけませんわ……お喋りが過ぎましたわね。もう王がいらっしゃるお時間になりましてよ」


 混乱に見舞われている私の脳内事情など気づかずに、ユスティーナさんは慌てた様子で操作盤を動かしホール内に投射された映像を次々消した。

 他の面々も私の前世の記憶の事なんて知らないから当然いまの私の状態になんて気づくわけもなく、それぞれ自分の武器をしまいながらホールの入り口へと視線を向ける。


「……メイさん」


 操作盤の収納を終えたユスティーナさんが肩に手を添え私の意識を入り口へと誘えば、そこに現れたのは天空城の金色の王様。


「疲れだだろう、メイ。さあ、こい」


 整いすぎて人形じみた白皙の美貌にまばゆい笑みを刷き、まるでそれが当然のような態度で王が私へと手を差し伸べていた。


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