Ⅲ-1 機上の一夜
彼らは機上の人となっていた。消灯時間となった機内は薄暗い照明のみが点灯し、鉄の塊が空を飛んでいる事を証明するかのように低いエンジン音が響き続けていた。そんな機内で並んで座る二人の男の片方は腕を組んだままの姿で瞼を下ろし、もう一人は半分程開いた窓の外を眺めていた。窓の向こうに広がる漆黒の闇を見つめながら、メガネのレンズ越しにその碧い瞳を細め闇を睨みつける男――ジルヴェスター・ハイデルベルクは数日前に交わした隣で眠る男の養父との会話を思い起こす。簡単な査察では終わりそうもないこれからの数日間に思いを馳せ、そして隣で規則的な呼吸音を漏らしつつ目を瞑っている男を横目で見つめる。彼はどこまでを知り、どこまでを信じているのだろうか。中途半端に情報を与えられたジルヴェスターは人知れず嘆息する。隣で眠る男――ルイが鍵を握っている事は違いない。しかし、それを彼はどこまで正確に把握しているのだろう。少しだけ眉根を寄せながらも寝息を立てている男からは悲壮感も決意も感じられなかった。そんな彼の姿にきっと何も考えてない。と、ジルヴェスターは結論を出す。彼は自分の重要度に気付いてなどいないのだ。ネストの家系であると発覚した後も、多少は動揺していたものの、彼は概ね普段通りに振舞っていたくらいだ。と思い返したジルヴェスターは隣で眠る彼へと「もう少し危機感持った方がいいのに」と呟く。その溜息混じりの小さな声に返事はなかった。地平線を明るく染める朝日の気配に彼は静かに窓をプラスチック製のサンシェードで覆い隠す。そして彼はこの先の事をぼんやりと考えながら、やっとその瞼を下ろしたのだ。
次にジルヴェスターがその瞼を上げたのは、着陸の数時間前であった。機内の照明は普段通りの明るいものに戻され、乗客達は下ろしていたサンシェードを上げていた。ジルヴェスターもそれに倣いサンシェードを上げれば、眠りにつく前に見つめていた闇夜とは打って変わって爽やかな青空が広がる。地上に目を向ければ独特の形状をした海岸が目に入り、彼は到着地までの距離が近い事を知る。「朝か、」寝ぼけた声で渋々というようにその瞼を上げるルイに「おはよ」と声を投げたジルヴェスターは、ルイと共にその後にやってきたアテンダントから乗客に配られる軽食を受け取るのだ。
「そういえばルイって、日本に戻ってくるの始めてなんだっけ?」
受け取ったフレンチトーストを口に運びつつも思い出したようにジルヴェスターはルイへと声を投げる。ルイはオムレツにプラスチック製のナイフを入れつつ「そうだな」と一言だけで答える。
「アメリカで過ごしてた時間の方が長いから、戻ると言われても不思議な気分だ」
重ねられたルイの言葉に「ふぅん」と声を返したジルヴェスターは「確か今日は着いてから夜まで時間あったよね。どこか行きたいとことかあるの?」と疑問を重ねるのだ。ジルヴェスターの問いかけに少しだけ悩むように眼鏡のブリッジを触ったルイは「昔住んでた家は行っておきたいな」と呟くような小さな声で彼へと告げた。それは、ルイが生まれ育ち、実の両親と悲劇的な別れを経験した場所であった。「家自体はもう無いだろうけど、もう一度見ておきたいんだ」と重ねられた言葉にジルヴェスターはゆっくりと慈しむような笑みを浮かべる。
「一緒に行っていい?」
ジルヴェスターの問いかけに、ルイは「ただの住宅地だぞ? 観光したいなら別行動でもいいんじゃないか?」と言葉を返す。そんなルイの答えに「俺が一緒に行きたいんだよ」とジルヴェスターが重ねれば、「お前がそれで良いなら、俺は別に構わない」とルイも静かに笑みを零す。
機内アナウンスは到着地までの予定時間を告げていた。
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