Ⅰ-1 突然の辞令

 それは、突然の命令であった。いつものように概念外生物管理局特別機動隊の詰める事務所に用意された自身のデスクで待機しつつも事務処理を行なっていた上級隊員であるルイ・シーグローヴはその事務所に現れた次の瞬間には彼の名を呼びつけた特別機動隊を統べる隊長であり、彼の養父でもあるウィリアム・シーグローヴからその言葉を受け取った。

「ルイ・シーグローヴ、日本支部へ査察に行ってくれ」

「了解しました……はい?」

 条件反射のようにその言葉を了承したルイは、ウィリアムの言葉に首を傾げる。そんなルイの疑問に「特別機動隊の仕事内容に査察があろうだろう。それだ」とウィリアムは苦々しげにその言葉を吐き出す。「お前は上級隊員だしな、査察の任務は今までもやっていただろう」彼の言葉にルイは「それはそうですが、今まで日本支部には行ったことが無かったので意外だっただけです」と普段の淡々とした調子に戻った声色で言葉を返す。「センパイはいつ振りなんですか? 日本戻るのは」と声を投げるのはルイとコンビを組む白雪永久である。少し驚いたような声色で投げられた白雪の言葉に「こっちに来て以来戻ってないからな、二十年以上は経つか」と返すルイに「それじゃ、色々変わってますよ。観光するなら案内しますよ」と白雪が笑えば、ウィリアムの声が二人へと投げられる。

「今回シラユキは留守番だ」

 ウィリアムの冷たさすら孕んだ言葉に白雪が「何でですか! 俺はセンパイと組んでるんですから一緒に行って然るべきでしょう!」と声を上げれば、ウィリアムが苦虫を噛み潰したような苦々しげな表情をそのままに言葉を返す。「日本支部からの注文だ。査察は二名の受け入れ、それ以上は認めないとな。こちらとしても満遍なく観ておきたいという事情もある」そう言い切った彼は、再び口を開く。「研究課からハイデルベルクを出す事で話は付いている。あいつなら解析も開発も見てこれるからな」長く大きな溜息を一つ吐き出した彼は「この話はここまでだ。ルイ、詳しい事は後で話す」と告げ、やっと自身のデスクの前へと腰を下ろした。ウィリアムの言葉に「了解しました」と一言だけ返したルイは元々手を付けていた事務仕事の続きを始める。そんなルイの隣で白雪が納得できかねると言いたくてたまらないような表情をそのままに「横暴ですよ」と小さく呟く。「今に始まった事じゃないだろう」と視線を動かすこともせずに言葉を返したルイに「それにしたって」と白雪が噛み付くように声を荒げる。「俺はまだ下級隊員ですけど、元々日本支部に居たんですしあそこの勝手は俺の方が分かってるんですよ」と続けられた白雪の言葉に「そういう所だろう」とルイは平坦な言葉を返した。小さな声で交わされる二人の会話を阻むように、ルイの端末には一件のメールが届く。差出人は同じ空間に居るウィリアムからであり、その内容は査察に関する日程についてであった。そのメールには一週間後の日付と三日間の日程が記載され、最後に今夜はハイデルベルクと家に来るようにという一文が付け加えられていた。そのメールに目を通したルイは端末をスリープ状態にし、席を立った。

「研究課に行ってくる」

 そう言って事務所を出たルイの後ろを軽く硬質な足音が駆け足で追う。「ルイさん!」彼の背中に投げられた年若い女性の声に彼は研究課へと進めていた足を止め、振り返る。彼を追っていたのは特別機動隊の紅一点である鷹司由梨たかつかさゆりであった。「どうしたんだ?」ヒールを鳴らしルイを追っていた彼女が足を止めるのを見てから、彼は彼女へと声を掛ける。「ひとつだけ、忠告を」意志の強い黒い瞳を彼へと向けて、彼女は凛とした声を上げる。

「日本支部は魑魅魍魎ちみもうりょうの住処です。管理局のやり方をよく思わない人間も多い場所ですから……どうか、十分にご注意下さい」

 真っ直ぐにそう言い切った彼女の言葉に「ありがとう」とルイは頷く。「私も日本支部の出身ですから、この言葉すら罠に思われても仕方ないですが」と自嘲するような笑みを浮かべた彼女に「そんな事はないんだろ?」とルイは小さく笑う。そんな彼の言葉に鷹司は少しだけ荒い語調で声を上げる。「そういう所ですよ! 付け入られないでくださいね!」そんな彼女の言葉に「忠告感謝する」とだけ返したルイは彼女に背を向けた。

 

「魑魅魍魎の住処ねぇ」

 研究課に所属するジルヴェスター・ハイデルベルクに与えられたラボで、ジルヴェスターは薄っすらと笑みを浮かべながらそんな事を口にする。「まぁ、日本支部って元々別組織だったのを大戦後に吸収したっていうのもあるし、有り得る話ではあるよね」続けられた彼の言葉にルイは「そうなのか?」とティーバッグにお湯を入れただけの紅茶を啜りながら声を投げる。ジルヴェスターはデスクの前で回転椅子に座り、ルイはその隣に置かれたパイプ椅子へと腰を下ろすいつもの並び方で言葉を交わす。ルイの疑問に「そもそも何でルイは二十年以上局に居てそんな事も知らないのかっていう疑問があるわけだけど」とジルヴェスターはデスクチェアに座りその椅子を揺らしながら呆れたように言葉を投げる。「ルイの事だからどうせ目の前の仕事を黙々とこなしてたんだろうけど、もうちょっと見聞を広めたほうがいいと思うよ」と続けられたジルヴェスターの言葉にルイは「そういうのはお前に任せる」と至極真面目に言葉を返すのだ。

「それにしたって、最近俺の使い方雑じゃない? 職場復帰してまだ数ヶ月なのに何コレ」

 話を無理やり切り替えるようにジルヴェスターはわざとらしく呆れ返った声を上げる。局内で『リントヴルム事件』と呼称される、特殊な血筋の概念外生物が絡んだ事件から丁度一年が過ぎた頃であった。その事件に関わり数ヶ月もの間意識不明の状態であったジルヴェスターが目を覚まし、こうして局員として復帰してから半年も経ってはいなかった。復帰したジルヴェスターを待っていたのは元々の開発係主任の肩書きではなく、新たに作られた『開発解析班長』という肩書きであり、研究課内に存在する開発係と解析係の人員を集めた複合的な班の長として日夜忙しなく働いていた。――尤も、彼は元より開発係に所属しながらも解析係へ指示を出しているような状態だった為、職務に肩書きが追いついたような人事であった。現状の不満を口にする彼へルイは笑いながら「そんなにやってる事は変わらないだろ、寝てた分働けって事なんじゃないか?」と言葉を投げる。「まぁ、ルイと旅行できるって思っとけば得かな」と笑った彼にルイは「魑魅魍魎の住処に行くのにか」と呆れたような声を上げる。そんなルイの言葉にジルヴェスターは笑うのだ。


「俺の家も大概魑魅魍魎の住処だからね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る