第3話 コーヒーブレイクの胸騒ぎ

 車を汚されたと文句を言い続ける白雪を無視し、俺は竜の体液に塗れたその姿のまま、後部座席に横たわせて連れてきた彼を抱き上げ裏口からCOBAへと入る。流石にこの姿で表から入れば上が大騒ぎになるだろう。国連ビルのある区画から少し離れた場所にある薄暗いビルの中に入り、非常階段のドアを開ければそこにはエレベーターが用意されている。そのエレベーターに乗り込めばそれは地下深くへと潜っていく。そうして扉を開くのを待てば、小気味の良い音と共にその筐体は停止する。自動扉が開けば、そこに待つのは顔馴染みの医者と研究者だった。


「ルーイー! 君ねぇ、またこんななって……本来なら現場から指一本すら動かさないようにして搬送モンなの解ってるのか!?」

「相変わらずの大立ち回りだなぁ、ていうか、コッチは誰?」

 まるで小さな子供を叱るように俺に小言を言い続けようとする長くしなやかな銀髪をゆったりとした一本の三つ編みで纏めている中性的な長身の男は、サーシャ・リャビンスキー。確か本当はアレクサンドル某かだった筈だが、彼の長い本名を覚える気は無い。そしてサーシャの隣に立ち、俺と同じ位の背丈でひょろりと細い身体を揺らしてケラケラと笑う癖の強い黒髪を持つ男はジルヴェスター・ハイデルベルクこっちの名前も大概長い。何でったって俺の周りの横文字名前の奴らはこんなにも長い名前ばかりなのか。そんな事をぼんやり考えていれば、サーシャは用意してあったらしい車椅子に俺を座らせようとする。

「イヤ、歩けるし……」

「そういう問題じゃないんだ、あと、抱えてるのは誰?」

 サーシャに問われて腕の中の彼の事を言っているのかと思い当たる。

「今日の出動で暴れてたのの片割れ。というか被害者だな。詳しい事はもう聞けないが、こっちも解析掛ければ何か出て来るかと思って連れてきた」

 彼らの疑問に答え、俺は腕に抱えていた彼を用意された車椅子にそっと乗せる。そうしていれば、サーシャも俺を車椅子に乗せることを諦めたのか大判のバスタオルを放る。

「あぁ、ウチで掛けた術が効いてるんだね。それにルイが被ったのは彼のものか。同じにおいがする」

 一人納得したように頷くジルに俺とサーシャは「におい?」と声を重ねる。

「そう、におい。竜型は体液のその一滴まで魔力が宿ってるからね。その魔力のにおいが付いてるんだ。俺は鼻が利くから」

 そう言ってジルは俺の首筋に鼻を寄せる。「へぇ、そんなのがあるんだ」と、感心しながら俺の首筋近くで鼻をひくつかせるジルを引き離していれば、「ジルだから嗅ぎ分けれるんだよ、じゃ嗅ぎ分けれない」とサーシャは呆れたように俺たちを見る。

「ホラ、じゃれ合ってないでルイはメディカルチェックして来て。で、ジルも現場検証に行くんだろ? 僕は彼を研究課に連れて行くから。ランチはリブラで待ち合わせで」

 サーシャはそんなことをシレッと口にする。そんなサーシャに対して俺は「お前がリブラに行きたいだけだろ」とだけ突っ込むし、ジルは「ちょっと待ってよ、俺現場検証してたら行けないじゃん! 俺だってルカちゃんに会いたいのにぃ」などとワザとらしく幼稚な声色でサーシャを避難する。

「リブラに行きたいんだったら真面目に仕事するんだな。ホラ、散った散った」


 サーシャの号令で俺たち三人はそれぞれが向かう場所へと足を向けるのだ。



「あれ、お兄ちゃん? 仕事はひと段落した?」

 サーシャが指定したカフェであり、俺の住むアパートの1階に位置するリブラはランチタイムという事もあり周辺のオフィスで働く人々で賑わっていた。メディカルチェックを終え、シャワーを浴び替えのスーツに着替えた俺は馬鹿正直にリブラへと立ち寄り、此処でアルバイトをしている妹のルカと数日ぶりに顔を合わせる。

「ひと段落っていうかまたデカい案件が来そうな感じだな」

「もー、いっつも忙しいんだから。程々にしないとまたアーリャに怒られるよ?」

 店内でも奥まった場所にあるテーブル席に陣取った俺のコップに水を注ぎながら、ルカは小言のようにそんな事を言う。アーリャというのはサーシャの事であり、ルカとサーシャは俺の知らぬ間に恋人という関係に落ち着いていたのだ。

「最近一段とサーシャに似てきたなお前」

「そんなことないよ」

 どうせいつものでしょ? と注文も聞かずにルカは俺の前に水だけ置いて踵を返す。カウンターの方へ戻る彼女の後ろ姿を見送れば、次にやって来るのはサーシャである。

「ちゃんとメディカルチェック受けてきたんだね、さっき僕のオフィスに結果が届いてたよ」

 そんな事を言いながらテーブル席を陣取った俺の向かいに座れば、またパタパタとルカがやって来る。

「お兄ちゃん! アーリャも来るなら言ってよ!」

「ついでに来れたらジルも来るぞ」

「あ、それは別にどうでも。アーリャ、今日のケーキは私が焼いたんだけど、食べる?」

 少し怒ったようなトーンで俺にそう言い、ジルはどうでもいいと斬り捨てたルカはサーシャには満面の笑みでケーキを勧める。サーシャもそんなルカに「じゃぁサンドイッチとケーキとブレンドで」なんてにっこりと笑いかける。妹とその彼氏のイチャイチャなんて見てられない、と置かれていたコップの水に口を付けていれば、ルカとサーシャは二言三言言葉を交わしてルカはまたパタパタと元来た場所へと戻っていく。

「本当、ルイとルカは兄妹とは思えないね、こんな兄が居るのにあんなかわいい妹がいるなんて」

「そりゃ猫被ってんじゃねぇのか?」

 上機嫌で笑みを絶やさないサーシャに俺はボソリと呟く。

「何?」「何でもねぇよ」

 サーシャが首を傾げ、俺はその問いには答えず、「で、結果問題なかったんだろ」と話を戻す。

「あぁ、メディカルチェックね。所々問題無いと言い切ることは出来ない数値だったけど、まぁギリギリ許容範囲かな。ルイじゃなかったら完全にアウトだったろうけど、って感じの結果だったよ」

 サーシャの言葉にそうか。と返せば、今度はジルと注文した品を持ったルカがやって来る。

「凄まじい勢いで片づけてきたんだから! 二人とも俺を褒めたたえてくれて良いからね!」

「いや、お前はルカに会いたかっただけだろ」

「ルカは僕のだからね?」

 仁王立ちで胸を張るジルを俺とサーシャは冷たく切り捨てる。ルカはテーブルに数枚の皿とカップを置きながらそんな俺たちを見て「お兄ちゃん達本当に仲良いよね」なんて笑うのだ。

「俺はコーヒーで。濃いヤツ頂戴。あと何か甘いもの」

 ジルの注文を聞けば、「オッケー、待ってて」なんて言ってルカはまたカウンターの方へと戻っていく。

「で、現場検証はどうだった?」

 俺は声を低くして彼に問う。

「それは戻ってから。ルカちゃん俺たちの知らないんでしょ?」

 ジルは俺の前に置かれたサンドイッチを一切れつまみながらそう答える。そう、妹であるルカは俺の仕事を知らない。更に言えば保護者であり俺の上司である隊長の仕事も知らなければ、ジルや恋人であるサーシャの本当の仕事も知らないのだ。極秘機関である事もあるが、ルカまでもをこの世界に染めさせたくはないというのもある。あの時、赤ん坊だったルカは何も覚えてはいないのだから。


「ただ一つ言えるのは、ヤバいのが絡んでる可能性が大きいね」

 ポツリと思わず出た、というように言葉を零したジルに、現場を出る時にも感じた胸騒ぎを再び感じる。


 それはまるで、ようなそれだった。

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