第9話 市兵衛

 営みの後、夜まで二人でぐっすりと眠った。

 そして遅い夕餉を二人で水入らずで取っていた。

 すると女中が来て、大祐に手紙を渡した。誰からか分からぬが、百姓の様な者が門番に託していったという。



 塚本大祐様

 まことのもののふ

 お父上様への御孝行の心

 我が孫娘のおとむらいへの

 せめてもの御礼に

 明朝立つことをお知らせ申し候

 死ぬも生きるも早いか遅いか

 それは道しるべの石の如くなり


          狂夫 百姓



 大祐はそれを読むや立ち上がった。鈴太郎が落ちた文に目を走らせる。

「兄様!・・・これは・・・」

「鈴・・・これで帰れ!」

 鈴太郎ははっとして、

「なりませぬ!行っては」

 大祐は鈴太郎を睨んだ。


「儂は・・・沼田藩の藩士じゃ!為すべき事をする」

「・・・私もお供します」

 鈴太郎の目から火花が出たような気がした。愛する者が熱い信念の塊となった。

 二人は見つめ合った。

 お互いの愛を回顧しその幸せを反芻し、そして決別するように。

「よかろう」



 二人は再び馬上の人となった。だがそこには慈しみ合った恋人達の会話は無かった。


 月夜野の郷の入り口に着いた時は空が白みかけていた。郷から利根川または街道に出る村境で二人は馬を降り、襷を掛け、刀を調べた。

 無言であった。


 半刻ほど経った。

 靄(もや)の中を誰かが歩いて来た。

 袴を履かず股旅姿で、腰に大脇差しを差した市兵衛であった。

 道を塞ぐように、戦いに挑む姿で佇む二人を見て、市兵衛はにっこりと笑った。


「やはりお父上様への御孝行をお選びになりましたか・・・」

 大祐は言った。

「違う。お前を行かせればこの沼田藩が危うい。だからどうしてもここを通るというならお前を斬らねばならぬ」

 市兵衛はしばらく大祐を微笑みながら見ていた。もののふを讃えるように。すうと息を吸って、

「その沼田の領民の為に私は行かねばなりませぬ」

「幕府への直訴は御法度と知ってか!」

 鈴太郎ははっと大祐を見た。

「直訴が成功してもお前の一族は獄門磔(ごくもんはりつけ)になるのだぞ!」


「はい・・・妻にも良く言って参りました。だが、私も肝煎(庄屋)の責を負う者。皆の為に死す覚悟はついております」

「良く言うた。さすが市兵衛」

 大祐は腰の大刀の鯉口を切った。

 市兵衛も、荷物を放り出すと柄を握って身構えた。先祖は真田家に仕えた郷士だったのだ。


 その時、市兵衛を守るように、鈴太郎がゆっくりと大祐の前に進み出た。


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