美貌の宝石
七歩
美貌の宝石
今宵は満月。いつも変わらずそこにあって何一つ変わらないというのに、人の都合で呼び方まで変えられてしまう気の毒な月から視線を落とし、目の前の大きな扉に手をかけた。古く錆付きもはやうち捨てられたようにも見えるけれどそれはまやかし。 ノブの隣、模様にひっそりと隠されたボタンを押えながらぐいっと横に引けば扉は音もなく開く。パックリと口を開けた深い闇に続く階段を降りて更なる闇をくぐればそこがマーブルの店。私は呼び鈴をならすどころかノックもせずに扉を開けた。
「ねえマーブル、パーティに行きましょう」
暗い店内に人影は見当たらない。気配がないのはいつものことだと返事を待つ。
ドーン。
大きな音と共に、足元にうずくまる黒ずくめの男。天井から落ちてきたこの店の主はズレ落ちたモノクルをかけ直しし、私を見上げた。
「パーティー! 貴方からのお誘いとはようやく。よ う や く、私の気持ちに応えていただけたのですね」
転落したことなどまるで気にもとめない様子で店主は大きく手を広げながら私に近づいてくる。
店主マーブルはこの街に数多く存在する宝石商人の一人だ。ただし、あまり正規ルートにはのせられない商品ばかりを扱っている。商人の彼と、この街で少しは知られた宝石泥棒の私。盗品の売買だけの関係のはずがどこをどう間違えたか一方的に愛されている。大人の男女だから色っぽい出来事のいくつかがなかったとは言わないけれど、愛を返した覚えはない。むしろ冷たい仕打ちばかりで都合よく彼を扱う私をどうしてと不思議に思ったこともあるけれど、今ではそういう種類の変態なのだと納得している。彼の変態性や愛情に納得はしているとは言っても、それは理解しているという意味ではない。
「いいから仕度して。私の尊敬する古の女盗賊が言ってたみたいにそうね、40秒で仕度して」
黒いレースの手袋越しに冷たい唇の感触。お姫様にするように私の手の甲に口づけるマーブルに命じた。
「はいはい。ところでビジェー、今日はどんなおリボンがいいと思います?」
ビジェー、マーブルは私をそう呼んでいる。ビビアンジェリカという長い名前もあるけれど、ビジェーと呼ばれることが多い。他にも怪盗ビジェー、宝石泥棒、ちょっと口にし難い淫らな呼び方もあるのだけれど好きなように呼べばいい。
私の答えを待つように売り物の鏡に姿を映すマーブル。不思議な鏡は彼を罵倒するが彼は全く気にしない。一体誰がこんな魔鏡を買うのだろうか。マイペースなマーブルを鬱陶しいと思いながらも私は彼の手持ちリボンを思い出していた。長く美しい髪にいつも巻かれているリボン。後ろ姿は美女で前から見れば残念な彼のファッションの要がリボンで、ここさえ決まれば服も靴も自動的に決まるということを私は知っている。
「いいこと? 一等素敵なリボンがあるでしょう。この前私が贈った貴方のその目によく似合うグリーンの」
「おおビジェー。貴方は美しいだけでなくなんと愛らしいのか。今日の二人のデートに私が選んだものをつけてねというそういうことですね。しかも緑のリボンはあの素晴らしい夜の。ああっ思い出しただけで私は私は、グフフ」
「はやくして」
さすがに面倒臭くなってピンヒールで足を踏みつけるとようやくマーブルは部屋の奥へと走り去る。
静かになった店内、美しく輝く宝石をうっとり眺め、本棚からふわり飛び出し羽ばたく古書を捕まえて捲る。花々のゴスペルに耳を傾け、ぜんまい仕掛けのメイドが差し出すお茶をいただいて待つ。彼の店は退屈しない。不思議な商品が並ぶその中には、私が盗んできた宝石もあれば、彼と同じく妖しげな商人をしているという弟から入荷したものもあるという。
「仰せの通り40秒で仕度して参りました」
ほどなくして舞い戻るマーブル。深いグリーンのマントを羽織り、シルクハットを深く被ってお辞儀する。ハットに飾られた宝石製の花が妖しくも美しい。
40秒などとっくに過ぎているわという私の言葉など聞こえぬ振りでエスコートの手を差し伸べた。その手をとって、地下道を抜け、扉を開けて。私たちは月下の街へと融けていく。
今宵のパーティー会場である屋敷にたどり着いた頃、マーブルは不機嫌そうな顔をしていた。
「ビジェー。そういえば聞いていませんでしたけど今日は何の、誰のパーティーでした?」
外套を預け、広間へと招かれる。ウェルカムドリンクを飲み干し、マーブルは居心地悪そうにしていた。
パーティーの中身を報せなかったのは面倒臭いから。私にはこれだけ懐いている彼だがその実なかなか気難しい男で彼には嫌いな人間がたくさんいる。この屋敷の主とも互いにいがみ合っているであろうことを私は知っていた。一人で参加出来ることならばそうしたかったけれど、この手のパーティーは同伴が礼儀。裏世界のパーティーに突然誘えるお気軽な関係の男と考えたなら、彼を連れてくる他なかった。
「マーロウはあまり好きではないのですが・・・・・・」
屋敷の主であるマーロウはこの街では割と羽振りのいい商人で黒い噂ばかりがつきまとう。そんな彼とマーブルとは商売上ぶつかることも多い。私もマーロウのことは好きでもなんでもないけれど、それ以上に気になることがあるのだから仕方ない。
「気になるの」
「何がですか」
「マーロウの奥様」
「奥様ってマーロウは結婚したのですか?」
「最近のことよ。今日のパーティーはマーロウの奥様お披露目会みたいなものね」
「あれだけビジェーに執着していたのに他の方と結婚するとは意外ですね」
マーロウの結婚はこの界隈ではかなり話題になったものだ。けれど世情に疎いマーブルはまるで知らなかったようで、にわかには信じがたい様子で首を傾げる。マーロウが私に何度も求婚を繰り返してきたことはマーブルもよく知る事実。彼は強引で欲しい物は絶対に手に入れたい質であるため、犯罪まがいのやり方で私は何度も連れ去られ監禁されたりもしたものだ。
「ならばこれで安心というものです。めでたしめでたしってビジェー。マーロウの奥様を気にかけるとは穏やかじゃありません。貴方まさか実はまさか」
私というものがありながらマーロウのことを? と茶化してぷんすかするマーブルなど放っておけばいい。
「奥様にお目にかかったことのある人たちの感想が気になるの」
「感想?」
「誰もが彼女を美しいと讃えるけれど、ではどのように美しいのか。問えばその答えはあまりにも一致しない」
「人間の言葉などいつでも曖昧で適当じゃないですか」
「しっとりとした月下美人のようだ、爽やかな太陽のようだ、もはや熟れ落ちんばかりの果実、清らかな雪どけ水のよう。全て彼女を見た人の感想よ」
「確かにあまりにも極端ですね。同じ人を評した言葉とは思えません」
「そしてそのあと同じことを言うの。けれど思い出そうとするとどうもはっきりと思い出せない。美しかったことだけは覚えているのだがって」
相槌を打ちながらもまるで興味がなさそうなマーブルに私は魔法の呪文を囁く。
「宝石」
途端、マーブルの顔つきが変わる。彼を動かすことなど簡単で、口づけすらいらない。彼は何より宝石を愛している。あまり詳しく聞いたことはないけれど、元々この街生まれではない彼がこの街に住み着くことになったきっかけが宝石というのだから筋金入りだ。
「宝石の効果ゆえだと仰るのですか」
私は頷く。どんな力を持つ石かは知らないけれどそんな強い宝石があるのならこの目でみてみたい。確かめたい。それが宝石泥棒の性でありそして多分、宝石商人の性でもあるはずだ。
「だからね? 本当かどうか確かめてみたいと思わない?」
マーブルの耳元に赤い口紅が移るか移らないかの距離で囁いたその時、足音とそして私を呼ぶ声。
「ビジェーきていたのか」
マーロウだ。私たち二人を歓迎するように手を広げて笑うがそもそもの目つきの悪さと日頃の行いの悪さで何か企んでいるようにしか見えない。
「ご結婚おめでとう。ところで奥様は紹介してくださらないの?」
正直なところマーロウなんかに用はない。
「おいビジェー。久しぶりに会ったってのにご挨拶もなしか。結婚したからってまだ諦めたわけじゃないからな。今日もいい足してんじゃねえか。今はお行儀よくしているその足、押し入って乱してやりたくなるぜ」
「マーロウ、口を慎みたまえ。今宵ビジェーは私のパートナーだ」
睨み合うマーブルとマーロウは好きにさせて、マーロウの後ろ、隠れるように付き従う奥様を窺う。ぺこりとお辞儀する多分マーロウの奥様。きっと足フェチのマーロウの趣味なのだろう。後ろ裾は長いのに前から見ると膝まで見えてしまう白いドレスを着て恥ずかしそうにうつむいている。
顔をあげた彼女を見て驚いた。彼女が、月下美人のような、太陽のような、果実のような、雪解け水のような。そのどの例えにも当てはまるように見えなかったからだけではない。だって彼女は。この水色の瞳は。柔らかそうなその髪にそっと触れる。
「貴方は・・・・・・一体誰なの」
彼女はあまりにも似ていた。あの日別れて以来、もうずっと長いこと会えずにいる私の妹。そのものと言ってもいいくらいだけれど、妹と別れたのはもう何年も前の話。今はもっと年を重ねた姿でいるはずだ。だからわからなくなる。 アナタハダレアナタハダレ。
「あの私。違いますごめんなさい」
脅えた様子で私の手をふりほどき、青ざめた顔で駆け出すマーロウの奥様。その後を険しい顔でマーロウが追いかける。突然走り出したホストの二人に会場はざわめいた。
なんだ新婚早々痴話喧嘩か。ビジェーがいるぞ。あの宝石泥棒か。マーロウとも色々噂があったよな。いやあの女は誰とでも。あの胸すげーな一度お相手願いたいもんだ。新婚早々マーロウも大変だな。
噂話と冷たい視線を気にもせずマーブルが小声で囁いた。
「ビジェー、貴方の読みは正しいです。あの娘の持つ宝石、実に興味深い」
「やっぱり宝石かしら」
「それ以外ありえません。行きましょう」
彼の確信がどこからくるものか解らなかったけれど、すっかりやる気になったマーブルが私の手をとり走り出す。広間の扉をくぐり、絨毯が敷き詰められた廊下を抜けて奥へ。ひとつだけ扉の開いた部屋からマーロウの怒鳴り声が聞こえた。
「どういうつもりだ!」
開けっ放しの扉に身を潜め部屋の中をのぞき見れば、威圧的なマーロウと床に転がる奥様。殴られて飛ばされたのか頬を押えている。
「さすがマーロウ、ゲスの極み。あれじゃあパンツが見えちゃうじゃないですか」
よくわからない感想をのべながらマーブルは奥様を見つめている。気の毒だとか嘆かわしいとかそういう気持ちはないのだろう。奥様を通して宝石の力を見定めているかのような、あれは商品を見定める目。
「お前は一番大切な時に逃げ出した。わかるか。いつもなら俺の招きになど応じないビジェーがのこのことやってきた。俺の結婚を聞いて相当動揺しているとみていい。あの時お前は世界で一番美しい女としてアイツの前に堂々と立っているだけでよかった。敗北感と嫉妬で自暴自棄になったアイツを俺が身も心も慰め手に入れる。そういう算段だったのにお前は」
繰り広げられるマーロウワールドにクラクラする。どこをどう編集しなおしたならそんな物語が出来上がるというのか。呆れて言葉も出ない。
「ビジェー愛されてますねえ」
さすがのマーブルも苦笑いだ。彼まで呆れさせるとはマーロウの変態っぷりもたいしたもの。
「おや、こちらに来ますね」
ひとしきり怒りをぶちまけ終えたのかマーロウが奥様を部屋に残したまま扉へと向かってくる。扉の影に隠れてなんとかやり過ごし、私たちは入れ違いに奥様のいる部屋へと滑り込んだ。
「御機嫌よう。大丈夫?」
突然進入してきた私たちにマーロウの奥様は心底驚いていた。当然だ。乱れた髪。一人では立ち上がれずにいる彼女をマーブルと二人で抱きかかえソファーに座らせる。
「すみません」
「何も悪くないわ、少なくとも私には。それにしても酷いわね。愛する奥様にこんなことをするなんて」
「愛されてなどいませんから」
察してはいたけれど。
「愛のない結婚ですか」
よくある悲しいお話ですねと笑うマーブルを睨みつける。
宝石で運命が左右されるこの街は貧富の差が激しい。宝石は人から、とりわけ親から贈られることが多いものだから、よい宝石は代々その家に伝わりそれはそのまま家の力となる。豊かな家があるということは貧しい家があるということ。人買いのような結婚は珍しくもない。
「先ほどは逃げ出したりしてすみませんでした。私が宝石の力ゆえあの場所にいることをあばかれた気がしてなんだか怖くなったんです。私自身は欺くつもりなどないのですが、それではマーロウ様に叱られてしまうと思い怖くなって逃げ出してしまいました」
彼女はどういうわけか、私たちにすっかり話してしまおうという心づもりらしい。まっすぐな目をして更に続ける。
「私とマーロウ様は契約で成り立ってます」
「契約?」
「はい。元々私はこの屋敷のメイドでした」
なぜここに勤めることになったのか。なぜ妻になることになったのか。彼女、リルジュは自分の身の上をポツポツと話し始めた。
彼女の両親が事故で亡くなったこと。彼女の持つ宝石を親族がみな気味悪がり引き取りを拒んだこと。やむを得ず子供時代を過ごすこととなった孤児院でも宝石ゆえに孤立していたこと。ある日孤児院にマーロウが迎えにきたこと。マーロウの屋敷へメイドとして雇われたこと。仕事を与えてくれた上、宝石を取り上げようとはしないマーロウを慕っていたこと。メイド時代は今までの人生の中で一番幸せだったこと。マーロウの目的が宝石の力でその器として自分を飼っていたと知った時は悲しかったこと。花嫁に望まれたのも宝石の力ゆえだということ。愛のない結婚はしたくないと抗ったが無駄だったこと。今はただ逃げ出したいと願っていること。
彼女もまたこの街に数多くいる宝石の被害者。宝石に人生を喰われた者だ。
「ほほうこれはこれは。これほど美しいムーンストーンも珍しい」
彼女の指に輝く宝石を見逃さず、マーブルはルーペを取り出し観察しはじめた。
「はい。これが私の宝石です。見る者が思う最上の美をこの身に纏わせてくれる石。そうやって周りを騙しているのです。誰よりも美しい女としてマーロウ様に華を添える。それが私の役目」
「なるほど。ならば容れ物が必要なわけです。マーロウ自身が美しくたって仕方ありません。綺麗なマーロウ、グフッグフフフ」
失礼なマーベルは自分の妄想に堪えきれず笑い転げている。
あの日の妹と同じ顔で悲しむリルジュに胸が痛んだ。どうにかしてあげたい。この籠の中から逃がしてあげたい。
「ねえ、リルジュ。貴方はその指輪をいつも身につけているの?」
「このお屋敷にきてからはずっとつけています」
ならば逃げ出すことは可能だ。彼女の本当の姿をマーロウは知らない。
「ならば宝石をお捨てなさい」
「そんな」
それがどれほど大変な決断かを私は知っている。彼女くらい強い宝石を持つ者にとっては特にそうだ。感覚器をひとつ失うくらいの覚悟が必要となる。新しく別の宝石を手に入れることも可能だけれど相性がいいとは限らないし、何より今以上に幸せになれる保証などない。
「だけどその石じゃ貴方を幸せにできない」
ムーンストーンが彼女にもたらしてくれたもの、その全てが不幸に繋がったなどとは言えないし思わない。けれど現実、彼女の人生は宝石に喰われ、まんまと不幸になっている。
「だけどこれを捨てたりしたら」
「少なくとも今からは抜け出せるわ」
「両親との唯一の繋がりなのに」
「未来と繋がれないよりはマシよ」
唇を噛みしめるリルジュ。
「このままここで不幸せに暮らしていきたいの?」
愛してくれないことが解っているマーロウに囲われて、誰にも愛されることなく、本当の姿を求められることもなくやがては死んでいく。
そんな私の妹と同じ顔で不幸せを受け入れようとするだなんて許さない。許せるはずがない。あの子には幸せに笑っていて欲しいから。あの子には? リルジュには? もうどっちだっていい。女の子はみんな幸せにならなければ。自分を生きなければ。宝石にその身を捧げる必要なんかない。喰われる必要なんかない。説明するのも言い聞かせるのも上手にできそうにはなくてもどかしくて。
「ああもう面倒臭い」
私はリルジュの腕を掴んで部屋の奥へ。外へと続く硝子扉を開けると月明かりに輝くムーンストーンが美しい。
「だったら私が盗んであげる」
手を繋いで駆け出す。薔薇の花を散らしながら庭園を抜け、リルジュをさらう。後ろから楽しそうに付き添うマーブルはマーロウを出し抜けたことが嬉しくて仕方ないとばかりにグフグフ笑っていた。
やがてマーロウの敷地を抜け出し、街に紛れ、マーブルの店までもう少しというところでリルジュは立ち止まり、自ら指輪を外して私に手渡す。
妹の姿から次第に別の、多分これが彼女の本当の姿なのだろう。茶色い巻き毛に同じ色の瞳。あどけなく可愛らしい本当のリルジュを見ていたならなんだか申し訳ない気持ちになってきた。
「ごめんなさいねリルジュ」
謝る私を不思議そうに見つめる。謝りたいことはいくつかある。自分を生きて欲しいといいながら彼女に妹を重ねていたこと。だからこそこれほど助けたいと思ったこと。それに。
「貴方はずっと変わらずこの姿だったというのに騙されていたわ、ごめんなさい」
リルジュは少し驚いて、涙ぐんで、騙されてごめんなさいってそんなのはじめて聞きましたと笑う。
それから私の妹とはまるで違う、けれど愛らしい笑顔で、
「ありがとうございます」
と丁寧にお辞儀をした。
数日後。私はリルジュを信頼に足る友人の屋敷へと預けた。
ご迷惑ではとリルジュは心配していたが、彼女のメイドスキルは素晴らしい感謝しているとほどなくして友人から報告を受けた。そのことを伝えるとリルジュは、それもこれもマーロウ様のおかげですなどと言い出すものだから純粋な子というのは恐ろしい。彼女はマーロウを恨んではいないようだ。嫌なこともありましたけどあの方がいたからこそ今ここにいられるんですと本気で感謝しているらしく、私を呆れさせマーブルを震えさせた。
リルジュのムーンストーンはというと、マーブルの店の頑丈な金庫に閉じ込めてある。金庫が美しく見えないけれど? と一度面白半分に尋ねてみたら、宝石の力を無効化できる檻に閉じ込めてあるのだと思いもよらぬ答えが返ってきた。この石を探知する能力のある者がマーロウの手の内にいて、この場所やこの石を嗅ぎつけられては厄介ですからと彼はこともなげに言い放つ。なるほど。蛇の道は蛇。マーブルは仕事に関しては本当に役に立つと思う。あくまでも仕事に関してだけれど。
それから新しい宝石も手配した。と言ってもマーベルの店には胡散臭い宝石や、力の強過ぎる宝石、盗品しかないものだから、私は依頼の手紙を書いた。多分彼はこの顛末をなにがしかの方法でもはや知っているのだとは思うのだけれど、その彼がきっと宝石を誂えてくれるだろう。
今日も盗んだ宝石をマーブルに売りさばき、ぜんまい仕掛けのメイドの淹れたお茶を飲んでいる。天井からぶらさがる籠に閉じ込められた月が短い時間で満ち欠けしながら店内を照らすのをみていたらふと思い出した。
「ところでマーブル、どうしてあの時リルジュが宝石に喰われていると解ったのかしら?」
あの時、確かに私も彼女の美しさが宝石の力ゆえと疑ってはいたけれど、マーブルは確信していた。ふとその理由が気になって私は尋ねる。
「それは簡単です。私にはリルジュが貴方に見えました」
「私?」
「はい、貴方そのものに。けれどそんなはずがありません。貴方という美は唯一無二のもの。ならば宝石の効果に決まっているじゃないですか」
あとでリルジュから聞いた話だけれど、見る者が思う最上の美を見せるムーンストーン。あの石が特定の人物の姿を投影することは珍しいという。だからこそ今まで美しさを疑われたことなどなかったのだと。美とは曖昧で移ろいやすいもの。だからこそこの世にはない夢をみる者が多いのだとか。妹の姿を見たのだと伝えたならリルジュは心底驚いていた。よほど美しい妹さんかそれだけ彼女がビジェーさんのお心を占めているのですねと姉妹愛を微笑ましく思われたようだけれど、私は妹への執着を気づかれたようでどこか居心地が悪かった。
マーブルが私と同じく特定の人物が見えるレアケースだったというのも気にいらないけれど、何より彼はそこで宝石の力だと見定めるに至り、私は至れなかったという事実に腹が立つ。
「私が貴方を美の女神と崇める気持ちが本物だということがわかる素敵なエピソードですね」
胸をはるマーブルが鬱陶しい。私は以前マーブルから貰った宇宙の軌道を閉じ込めたピアスに触れながら、この話をしたことを少しだけ後悔していた。
「貴方が私の顔を好きだということだけはよく解ったわ」
「それは好きですよ。毎日眺めたい。触りたい。できることなら舐めたい。多分心までいただければそちらも愛してしまうはずなのですが、勿体ぶっていらっしゃるようなので今は顔が好きだとしか申し上げられず残念でなりません」
「だけどそれは本当に好きだと言えるのかしら」
私がどういう人間かもわからないのにと冷たく言い放つと、テーブル越しにお茶を飲んでいたマーブルが静かに立ち上がる。
「貴方が思う貴方が本当の貴方とも限りませんし。それにビジェー、私は」
背後に回りこんだマーブルが背中から抱きしめようとするのを察知し私は軽やかにすり抜けた。バランスを崩し転ぶマーブル。今はそういう気分じゃないし、私にはこの後、用がある。
「ちょっとイミテッドのところに行ってくるわ」
リルジュの新しい宝石をお願いする手紙を書いた先はイミテッドだ。宝石を持たない娘がいますというたれこみに綺麗なキャンディーを袖の下として添えて。世話好きの彼ならきっと何とかしてくれるはずだと思ってはいたけれどつい先ほど、お茶を飲んでいるこの最中にピアス型受信機に連絡が入った。今日リルジュの元へ向かうと。彼は一体、彼女にどんな石を授けるのか。見届けたい。
「え、イミテッド? もしやあの憎きイミテッド? ビジェー、ちょっとどうしてどういうあの、ああ行くな、行かないでー」
いつもより暗い道を歩いて月がないのだと気づく。
時々はそうやってお休みするといいわ。雲の向こうの月を労り、ヒール響かせイミテッドの店を目指す。
【完】
美貌の宝石 七歩 @naholograph
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