いのちの終わりにどうかかわるか、あるいはその意思決定における中動態の世界
この記事は僕のブログ(http://syuichiao.hatenadiary.com/entry/2017/12/07/231045)より転載しています。紹介している書籍の詳細情報はブログ記事をご確認下さい。
★いのちの終わりにどうかかわるか
終末医療という言葉がありますが、この「終末」という言葉の明確な定義は存在しないようです。言葉から容易に想像できるように、終末医療とは死にゆく人に提供される医療のこと、そう漠然と捉えるよりほかありません。本稿では「死にゆくための医療」と呼ぶことにします。
日本で終末医療といえば、がん患者における緩和ケアを思い浮かべる人も多いと思いますが、人は必ずしもがんで亡くなるわけではありません。これまで、医療の目的は多くの場合で健康の維持、疾患の治癒にありました。しかし、超高齢化社会と変貌を遂げつつある現代日本において、様々な理由で治療が望めない疾患を有する超高齢者、別言すれば、死にゆく人に対して、医療者はどのように向き合えばよいのでしょうか。こうした問い対する示唆は多くはありません。
2017年11月、医学書院から出版された「いのちの終わりにどうかかわるか」という本を読みました。
健康であるための医療から、死にゆくための医療、そのシフトが困難な理由は多々あるように思います。そもそも人は死についてあまり語ることを好みません。そこには暗黙の了解のようなものがあり、死について語ることは、それが自分の死であれ、他者の死であれ、決してポジティブな価値を帯びてはいません。とはいえ、なぜ死について語らないのか、と問うた時に、浮き彫りとなるのは、単に死に対して恐れを抱いているわけではなさそうだ、という事です。
「われわれは、人はみな死を恐れていると思い込んでいるが、それは大きな間違いだと思う。死を恐れるのは実はとても難しく、抽象的な表象を駆使したかなりの知的努力を要することなのだ。多くの人が恐れているのは、死ではなく死にまつわるさまざまな怖いことである」[1]
死にまつわるさまざまな怖いこと、それは死そのものというよりも、激しい疼痛、呼吸困難などの身体的苦痛、失われてゆく理性のような精神的苦痛、あるいは親しい人との別れやそれに伴う環境の変化などが挙げられるかもしれません。こうした様々な問題を患者と共に考えていくことこそが、”いのちの終わりにどうかかわるか”ということと密接に関係しているように思います。
★なぜ、死にゆくための医療が前景化しないのか
健康のための医療から、死にゆくための医療へのシフト、患者の年齢と共に提供される医療の役割も変化していく必要があります。しかし、実際には死ぬ間際まで、沢山の薬剤や、治療が継続されていることも多いように思います。
そもそも、患者に対する医療者の予後予測は楽観的といわれています。[2] 終末期がん患者1563人を対象にしたシステマティックレビューによれば、およそ3割の患者さんに対して、4週間以上も予後を眺めに見積もっていると報告されています。[3]
がん患者は死の直前までADLなどが維持されているケースが多く、死亡直前に急速に悪化すると言われています。それが、医療者、患者家族双方ともに、予後を楽観的に見積もってしまう要因なのかもしれません。とはいえ、非がん患者の予後予測もまた複雑な様相を呈しており相当困難だと言えます。
非がん患者の予後は大きく臓器不全パターンと認知症パターンに分けることができます。[4] 臓器不全パターンでは、心不全や呼吸不全などの基礎疾患の増悪を繰り返しながら2年から5年くらいの経過で徐々に死に至ります。適切な治療で一時的に回復に向かう事も多く、こうした状態の悪化と回復を繰り返しているうちに、いつのまにか死にゆくための医療への移行タイミングを失ってしまう事もあるように感じています。
認知症パターンでは6~8年ほどの経過でゆっくりと死に至ります。非常に長い経過なので介護者の負担も大きいと考えられます。最終的には誤嚥性肺炎など、感染症で亡くなるケースも多いでしょう。長い経過の中で徐々に衰弱していくため、健康のための医療と死にゆくための医療の移行タイミングをどこに定めたら良いのか、測りかねることも多々あるのかもしれません。
★アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning)
患者や介護者にとってみれば、いきなり「死にゆくための医療」は受け入れがたい、それが現実だと思います。だからこそ、終末期に備えたコミュニケーションの必要性に関心が集まっているのかもしれません。
アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning:ACP)とは「いのちの終わりにかかわる意思決定支援の一つの方法[5]」といえ、将来的な意思決定能力低下に備えての対応プロセス全体を指すものです。患者の価値を確認し、個々の治療の選択だけでなく、全体的な目標を明確にさせることを目標にしたケアの取り組みであり、医学的な最善というよりはむしろ、患者にとっての最善を模索プロセスと言えましょう。
ACPにはアドバンスディレクティブ、つまり患者が意思決定能力のあるうちに、今後の方針に関して事前に指示をする対応も含まれています。例えば、将来的に、経口摂取ができなくなってしまったとき、胃ろうを造設するのか、あるいは輸液管理のみにするのか、どのような治療を望むのかあらかじめ、明文化しておくというものです。とはいえ、実臨床でACPが十分に実践され機能しているかといえばそうでもありません。
「患者の事前指示により胃ろうや中心静脈栄養はしないことにしました、となったとして、それをしない状態でどのような終末期を過ごすのか、ということに関しての具体的な内容までは事前に指示されていないことが多い」[6]
療養病床や在宅の現場ではそういう状況が常であり、だからこそ医療者ですら、どんな医療を提供したらよいか悩むのだと思います。健康のための医療から死にゆくための医療、その橋渡しの不在という現実が確かにあります。
★意思決定の構築にあたり……
では死にゆくための医療へのシフトのために、どのような意思決定を患者、医療者双方で構築すべきなのでしょうか。これはとても難しい問題だと思います。
患者の意思決定プロセスへと満足度を分類した興味深い論文が報告されています。[7] この報告によると満足度が高いのは、「医師の決定を納得して同意した場合」「信頼した医師のお任せ」「積極的な自己決定」であり、逆に満足度が低いのは「パターナリズムによる決定」「判断を迫られた不本意な自己決定」でした。
医療における方針の意思決定というのは、患者が能動的に決定するもの、受動的に決定するもの、その2つに区分できるように思いますが、現実は全くそうではありません。たとえ、自己決定したとしても、その選択が致し方なく受け入れたものであれば、それは決して能動的とは言えないでしょう。そもそも、臨床における患者のふるまいには完全な能動性など存在しませんし、意思決定における患者自信の意志などという概念すら絶対的なものではありません。
「スピノザによれば、意志は自由な原因ではなく強制された原因である」[8]
能動、受動という区別を使わざるを得ないのは言語的な問題でもありますが、意志という概念があまりにも自明に実在するという僕たちの信憑に基づいているとも言えます。しかし、意志とはよくよく考えれば、曖昧な概念です。人は意志が存在すると確信している自身の振る舞いの起点を明確に特定できません。意志がある、という時の意志とは、主観的に感じられた何かでありますが、行為の原因とは明確には言えないのです。
自発的行為か、非自発的行為か。國分幸一郎さんは、その著書「中動態の世界」で”カツアゲ”という言葉を用いて、意志と責任について論じています。銃で脅された人間が、自分の手でポケットからお金を取り出し、それを相手に渡すことは、自発的行為なのか、非自発的行為なのか。そう考えたときに、そこには能動 / 受動というパースペクティブでは概念化できない何かが立ち現れます。
医療者の臨床判断という行為は”主語が動詞によって示される過程の外にある”という意味での能動的行為であり、それに対して患者の意思決定という行為は、主語が動詞によって示される過程の内にあるという意味で中動的行為と言えるかもしれません。つまり、患者の意思決定は能動的でも受動的でもないのです。そもそも、この議論における医療者の臨床判断すら、僕らが普段意識している能動性ではなく、中動態に対立する能動態的な行為なのでしょう。
終末期において死にゆく人を前に、医療者として、”何もできない”という思いが、”何かしなくては”と変化するとき、そこで一度”何かを押しつけてないか”と振り返ることが大事なのかもしれません。
★脚注
[1]戸田山和久 恐怖の哲学 NHK出版新書 p202
[2] 予後予測に関するエビデンスは「死亡直前と看取りのエビデンス(医学書院.2015)」に詳しい。
[3] Glare P.et.al. BMJ. 2003 Jul 26;327(7408):195-8. PMID: 12881260
[4] Murray SA.et.al. BMJ. 2005 Apr 30;330(7498):1007-11. PMID: 15860828
[5] 「いのちの終わりにどうかかわるか」p274
[6] 「いのちの終わりにどうかかわるか」 p75
[7] Watanabe Y.et.al. BMC Public Health. 2008 Feb 27;8:77. PMID: 18302800
[8] 「中動態の世界 意志と責任の考古学」p30
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