秋空の情動、あるいは色彩

 現実を見据よ。時に社会からそう要請されることもあるだろう。そういう仕方で僕たちは常に答えを迫られている。回答せよ、というような強迫観念に曝されながら焦燥に駆られる日々。心が少しずつ弾力を失っていくことをリアルに感じながらも、それでも無力でしかない自分に希望を見失いかける。しかし、そもそも現実世界に対する絶対的正当性を備えた知覚の在り方など実在するのだろうか。


 どんな事物であれ事柄であれ、あらゆる存在に対して僕たちはその一部しか把握することができない。目の前のテーブルの上に置かれているコップでさえ、その裏側を認識することはできない。その存在の確信は想像と呼ばれる脳の働きによって補われている。つまり、世界は程度の差はあれ、僕たちの想像によって構成されているといってもよい。知覚経験によって示される、ある種の不完全さこそが、この世界についての経験はある観点からのものでしかないことを浮き彫りにする。現実に対する認識など、その多くを想像によって把握せざるを得ないほどに僕たちの知覚は絶対性を欠いているのだ。


 地球の地軸が23.4度傾いているおかげで、僕たちの生きる世界は単色相ではない。地軸の傾きがもたらすのは、地球に照射される単位面積当たりの太陽エネルギー量と日照時間の変化であり、そうした現象を季語という言葉によって分節することで季節という概念が生まれた。夏季には日が高く昇り、昼の時間が長く、そして冬季には日が低く、昼が短い。そんな当たり前のことがこの世界に様々な情緒をもたらしている。


 秋の夕暮深まるとき、闇が空を包んでいくのはあっという間だ。そんな時空間的瞬間、僕の目の前にそびえ立っていた高圧電線の鉄塔がとても印象的だった。藍と茜の中空に吸い込まれていきそうな頭上の風景に、しばし見とれざるを得ない情動。情動は考慮すべき様々な因子を関心相関的に絞り込むという働きをする。何かが感覚的に現れる経験は、思考によって抗うことのできない強い力を持っている。


 秋は枯葉が舞うので心が少し乾くのだけれど、そんな風景を見ていると、どんなに小さくても希望はあるのだと思った。たとえ、わずかな可能性であったとしても、手を尽くす価値のあるものが、この世界には確かに存在する。必ずしも今ここで答えを出す必要なんかない。問いがあるからといって、必ずしも答えが求められているわけではないから。

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