24-8

 三人の視線がなんとなく下を向いて、悲しい現実ばかりが網膜に映る。どこを向いていたって、どうしても目に入ってしまうのだ。ここに市村はいない、という事実が。

 彼らの感覚としては、市村がこの場にいてもおかしくなはいと思う程には仲間だと思っていた。一方的に。しかしそれはとんでもない勘違いであり、幻想であり、願いでしかなかったのだ。


 突如「ああぁー」と声を上げてひっくり返る塩野。「みゃあー」とか「うぇあー」だのと珍妙な鳴き声を上げまくる。


「どうした塩野」

「今分かっちゃった、思い出したっていうか、うーん……あのね、あのねえ、僕さあ、DPSが解散してから一度も、イッチーの顔見てない」

「へ?」

「見てなかったんだよね。っていうか、会ってなかった。直に顔合わせてたのって川路ちゃんだけ? もしかして」

「え、いや、まさか」

「そういえば俺も会ってないな? うん、会ってない。顔を直に見ていない」

「は? え、なんだそれ、そんな」


 そんな言葉を吐きながら、それでも中川路は今までを思い出し、黙った。嘆息しながら大きな手で顔を覆う、その下に隠された表情は果たしてどんなものだろうか。背中まで丸まってしまい、彼の落ち込み方がうかがい知れる。


「……確かに……いつも会うときは、俺だけだったな……」

「避けてたのかもしれないね。特に僕を」

「どうして?」

「そりゃ、顔見ればすぐに分かっちゃうからだよ。嘘ついてるかどうか」

「なるほど、なるほど確かに。そりゃそうだよな」


 苦笑いを浮かべ、しかしすぐに口角は下がり、再び掌で顔を覆ってしまう中川路。


「ほら、陣野病院に勤めるようになってから忙しくなったじゃないか。だから、あんまり顔合わせられないなって言うか……仕方ないのかな、と……住んでる県だって違うし……ああ、なんで気が付かなかったんだ俺は」

「それを言ったらさ、僕も目澤っちも同じでしょ。過ぎたことは仕方ない、これからのことを考えようよ」

「それを言われちゃ返しようがないな」


 肩をすくめ、目澤も同じくそれにならい、中川路はようやく丸まった背中を直すことができた。行儀悪く床に座り、ソファー自体を背もたれにして、今度は天井を仰ぐ。


「……分からないな」

「ん?」

「市村の動機だよ。あいつ、なんでこんなことしてんだ? 何が原因なんだ?」

「分かんないねぇ。あの電話だけじゃ材料が少なすぎる。イッチーが真剣そのもの、ガチだってことしか分からなかった」

「俺もさっぱり分からん。塩野や中川路で分からないんだから、俺が分かるはずがない」

「お手上げ、か」


 塩野も目澤も同じように天井を眺めて、吐き出す溜息は己へと落ちてくるばかり。どうしようもなくなって沈黙ばかりが降り積もる。

 今までも、たくさんのものが降り積もっていたのだろう。少しづつ雪に埋もれてゆくように。気付かないまま、体温は奪われてゆく。身動きが取れなくなる。


「……直に聞く、とか、ダメっすかね?」


 沈黙を破ったのは、相田の声だった。


「分かんないなら、もう聞いちゃった方が早いんじゃないかなー……って……」

「相田、相田ぁー、お前はそういう奴だからなあ。俺はそういう考え好きだけど、それでいいのかよこの場合」

「どうなんだろ先輩、やっぱヤバイっすかね、直聞きは。でも電話のときめっちゃしゃべってたからイケるんじゃないかなーって思って」

「ざっくり! ざっくりすぎるよ! そんな単純でいいのかよ! ほらー先生方黙っちゃったよーお前どうすんだよぉー」

「えっやばいやばい、めっちゃ沈黙してるやばい、タスケテセンパイ」

「知るかい! 自分で責任取れや! 自分で尻拭い出来ない子に育てた覚えはありませんよ!」

「先輩に育てられた覚えはねえ!」

「デスヨネー知ってたー」


 ついつい、いつも通りの馬鹿丸出しのやり取りをしてしまう。真面目な話をしている最中だったのに、と若者二人が口をつぐむ。

 が、ふひ、と塩野が変な笑い声を上げたのが皮切りだった。三人が顔を見合わせ、げらげらと大笑いを始め、目に涙を浮かべるほど爆笑し続けるのを、若者二人は呆然と見つめるしか出来ない。

 しばらく経ってようやっと落ち着いてきた三人は、何かが吹っ切れたような顔つきをしていた。


「そうだよなあ、直に聞くのが一番手っ取り早いよな」

「今までだってそうしてきたんだものな、俺達は」

「イーヒヒヒヒヒ、イヒヒ、僕ねえ、そういうの大好き! 物事はシンプルなのが一番!」


 中川路と塩野が同時に相田の頭をわしゃわしゃと撫で回すものだから、もう髪はボサボサだし揉みくちゃである。さらに目澤が背中を勢いよく叩いてくる。音の割には痛みがなく、しかし衝撃はくるものだから相田の口から「うぇうぇうぇ」と奇妙な声がこぼれる。網屋はへらへらと笑いながら見ているだけで助けてくれない。


 緊張した空気がすっかりほぐれて、グラスに残った僅かな酒も飲み干し、相田がつまみを怒涛の勢いで消費し始め、誰もが口にせずとも終わりの気配が見えてくる。気持ちいいくらいの食いっぷりを見せる相田に視線を投げながら、中川路はぼんやりと呟いた。


「直に、か。そうだな、それが一番いい」


 無言のまま見つめ返す相田の疑問に、笑って答える中川路の表情は、ほんの少しだけ悲哀が混じっている。


「直に聞きたいのさ、俺自身が。あいつの顔を見て話をしたい。それだけなんだ、理由は」

「大丈夫、なんですか?」

「大丈夫ではないだろうなあ」

「大丈夫じゃない時のための、俺でしょう?」


 グラスに残った氷を噛み砕いて、網屋が名乗り出る。


「先生方がやりやすいように、この俺がいくらでも戦線を切り開いてやりますよ。お任せください。ですから、先生方は好きなように動いてほしい。こき使ってください、そういうのは慣れてますから」

「遠慮なく甘えさせてもらおう。相田君も頼むよ」

「はい。車移動ならどこまでだって運転します」


 目澤を見、塩野を見て、いつもいじっている指輪を握り締め、二人の言葉を聞いて、中川路は宣言した。


「ケリをつける。俺達の手で。売られた喧嘩だ、全部買い取ってやろうじゃないか」



 ためらいも、悲しみも、全てを飲み込んで、胃袋にまで流し込んで。忘れることのないまま彼らは消化し、血肉へと変える。

 噛み砕け。阻むものは全て。

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