24-6

 ただ闇があり、その他に何もなく。

 そこに闇があると認識した、その事実に気付いた瞬間、目が覚めた。 


 突然目を開けたので光がひどく眩しい。目を細め、腕で光を遮った。状況が把握できない。ここは?


「起きた!」


 聞き慣れた声。日本語。目澤の声だ。彼の声だと分かった途端に自覚した。自分は生きている。次に疑問が湧き上がる。どうして、俺は生きている?

 感覚がある。横たわっていることが分かる。固くはない。ベッドだろうか。徐々に目が光に慣れてきて、うっすらと見える天井と鼻に感じるにおい、周辺の気配でここが病室だと悟った。

 目澤はナースセンターにでも連絡しているのだろう、少し早口で何かを告げているのが聞こえる。息を吸って、吐いて、喉や鼻の痛みがないことにも気付いた。


「……どうして?」


 自分の掌を見る。なんともない。五体満足、全く無事だ。声すら出る。


「どうして、だろうなあ」


 こぼれ落ちた疑問に、目澤が少し笑いながら答えた。顔を向ければ、髪を整えてもいない彼の姿。


「どうしてかは分からん。これから検査するしかないだろう。しかし……お前は生きていた。死ぬことはなかった」


 扉の向こう、廊下からどたばたと走る音が聞こえる。勢い任せに扉を開いて、病室に飛び込んできたのは塩野だ。


「川路ちゃん! 川路ちゃん!」


 勢いのまま飛びつこうとして目澤に止められる。病み上がりだぞ、と忠告を受けて塩野は手のやり場を失う。


「川路ちゃぁあん、おかえりぃぃ……」


 大きな目からぽろぽろと涙がこぼれていた。鼻もずるずるだ。


「が、がわじぢゃんが、起ぎながっだら、どうじようっで……ううう……起ぎだぁ……」

「おい塩野、鼻かめ、鼻」

「はなぁ〜」


 盛大な音を立てて鼻をかむ塩野。そんな彼の姿を眺めているうちに、頭がはっきりしてきた。


「そっか……死ななかったんだな、俺は」


 手を握ったり開いたりして、感覚が全て幻ではないと知る。


「まだ、ここにいなきゃ、いけないんだな」

「……そうだよ。川路ちゃんはね、まだまだ生きてなきゃいけないの」


 袖口で涙を拭って、塩野ははっきりと言い切った。


「そっか……そうだな……」


 ふと視線が動いて、サイドボードに置かれた小さな箱が目に入る。考えるよりも前に手が動き、迷いなく掴み取り、ためらわず開けた。

 銀色に輝く波間に、一粒の小さな青いサファイア。傷一つなく、蛍光灯の光を受けてきらきらと輝く。


「…………渡せなかった」


 鼻の奥がツンとする。こみ上げる涙はほんの僅かに血の臭いがして、あの時に流した名残だと悟る。


「月子さんに、渡せなかった……無理言って、外出したのになぁ……」


 ぼろぼろと、涙が勝手にこぼれ落ちる。壊れた蛇口みたいに。いない。居ない。もう月子は、この指輪を渡すべき相手は、どこにもいない。ただ指輪だけが残されて、同じように取り残された中川路と一緒にぽつりと存在している。


「……渡せ、なかった……月子、さんに……渡せなかった……!」


 悲しさなのか。悔しさなのか。涙ばかりがこぼれ落ちて、感情がうまく着いてこない。

 こんなにも涙を流したのは何年ぶりだろう。覚えてはいない。

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