22-2
当時、二十六歳。医療系大学を卒業した中川路は、そのまま大学病院の研究施設に残って細菌学の研究を行っていた。
元々は外科医を目指していたのに、気が付けば病理方面に突き進みこのザマだ。外科医を目指したのも、高校生の頃に有名な外科医のドキュメンタリー番組を見て影響を受けただけというすこぶるミーハーな理由であり、目標がブレてしまうのも仕方ないことだった。
細菌学とは余程相性が良かったらしく、研究所に入ってから怒涛のように研究結果を弾き出し、山のように特許を取った。楽しくて仕方がなかったのだ。本音を言ってしまえば、日課のように毎晩行っていた女漁りよりも楽しかった。
ゆくゆくは教授に、まずは助教授から目指そうなんて周辺から言われ、研究が続けられるならそれでいいかと当時はぼんやり考えていた。
比較的年の近い助教授の
応接室に入って驚いたのは、見慣れた顔がいたからだった。中川路よりもさらに若い新人研究員の一人。いまいち印象が薄い男。よく顔を見れば結構な色男であるのに、とにかく影が薄いのだ。突出したところもなく、かと言って失敗をするわけでもなく、記憶に残らないとしか言いようのない人物であったはずなのに、応接室のソファーに座っている彼は何か威圧感にも似た空気をまとっていた。
緊張の面持ちのまま学長はその場を去る。後で聞いた話だが、学長も詳しいことは聞かされていなかったのだそうだ。
「どうぞ」
相手の方が年下であるはずなのに、圧倒的な空気に気圧されて素直に従う。
「お二人には非常に大事な話があってお呼びしました。今日、この場で聞いた話は今後一切、他言無用に願います」
この時点で既に、二人は彼が新人研究員という立場であったことを忘れてしまっている。
「ああ……きちんと名乗っておかなければなりませんね」
言いながら眼鏡を外す。そこでようやく、彼の瞳が青いことに気付く始末だ。今の今まで、どうして彼の事を気に留めていなかったのだろう。
「自分は『内閣戦術諜報ユニット』所属、朝霧・スコット・ウィルケスという者です」
名前自体はそのまま。しかし肩書は全く聞き覚えのないもの。陣野と中川路は顔を見合わせて首を傾げるが、そんなことをしても分からないものは分からない。朝霧はそんな二人に、噛み砕いて説明する。
「政府から来た、そう捉えていただければ結構です。調査のためにこちらへ潜入していたので、私は研究者ではありません」
「それが事実だとして、この場で明かすのは何故だ?」
突っ込んでいくのは中川路だ。研究のスタイルも、中川路が疑問を提示したり新しいコンセプトを提案したりしてから、陣野が下支えするパターンが多かった。
中川路からの質問に、朝霧は眉ひとつ動かさず即答する。
「私がこれからお話する内容を、信じていただくためです。私の立ち位置に疑問がお有りならば、今すぐ上に確認していただいても構いません」
「……中川路、話を聞こう」
「分かりました……陣野さんがそう言うなら」
ありがとうございます、と返す際も表情は動かない。
「単刀直入に。国連直属の研究員として、働いていただきたい」
ここでようやく、傍らに置いたままの書類を差し出す。
「私自身は『内閣戦術諜報ユニット』CTIUの所属ですが、この話は国連からの依頼を受けて発令されたものです。国連に所属している全ての国家において同時にプロジェクトは進んでおり、かつ、緊急を要するものです」
二人の視線は書類へと注がれる。『国連超常災害対策機構』と大きく書かれている。これもまた、聞いたことのない名前だ。
「今年の二月、地中海沖にて新種の生物と思わしきものが発見されました。この生物と思われる物体は無機物、有機物を問わずに捕食、巨大化。発見後三十七時間で小さな島をひとつ呑み込みました」
「……島?」
「島、です。島の所有者及びスタッフは全員死亡。通報を受け出動した現地警察も捕食されました。その後、軍が出動。掃討作戦を試みるも失敗。その間、対象物は取り込んだ無機物を排泄、幾つかの現場資料を入手。対象物を凍結処理することによって活動の一時停止に成功しました」
至極淡々と語る朝霧。だが二人は聞き逃さない。
「一時停止、ってことは、抜本的な解決には至っていないと」
「陣野助教授の仰る通りです。凍結という方法も、他の手段に比べ迅速に行うことができるというだけで、完全な活動停止には至りません。状況を重く見たNATOは国連に上申し、この案件は国連での管轄となりました。対象物は生物でなく大規模災害としての扱いになります」
中川路は書類に印刷された文字をなぞった。国連超常
「この対象物に対し、あらゆる角度から対策を試みるための組織が『国連超常災害対策機構』です。この名称は仮称ですので、変更される可能性があります」
朝霧は淡々と語り続ける。天気予報でも読み上げるかのように。
「組織員は四つの班に分かれます。原子、生物、科学、兵器。お二人にはこの生物学班としての参入を前提に、今この場で、参加の是非を問いたい」
その、淡々とした調子でさらりと言われてしまったが故に、一瞬、二人は事態を飲み込めなかった。彼は何と言った?
「……今?!」
「はい。状況は逼迫しており、一刻の猶予も無いのです。そのため日本政府は人員を効率よく選定する手段として、我々CTIU潜入による事前調査という方法を選択しました。貴方がたお二人は能力、人格共に的確との判断が下っています。ですから、この場で問うという意味もお分かりいただけるはずです」
あまりに荒唐無稽すぎる話。あまりに唐突。
だが、確かに言われた通りだ。彼がこの場でこのような話をし、今ここで参加するか否かと選択を突き付けてきた意味が分かる。それほどまでに、差し迫っているのだ。回りくどい説得などしている暇は無いのだ。
「当然、危険性は非常に高いものとなります。期間もどれほどの長さになるか分かりません。現在行っている研究も中断することになりますし、研究場所も発生現場を中心にして作られた施設になりますので、当然ながら日本を離れていただくことになります。それでも」
感情の揺れがまるで無いような鉄面皮の、冷徹極まりない瞳。その瞳が一瞬熱を帯びたような気がして、中川路はつい朝霧の顔を凝視した。
「私は、お二人が、この案件を解決に導くと判断しました」
心臓が跳ねた。ここまで真正面から信頼を寄せられたことは、今までの人生であったろうか?
だが、隣に座っている陣野は苦しげな声を上げた。どうしたのかと見遣れば、陣野は苦渋の表情を浮かべている。
「……是非、行きたいです。行かせてほしいです。しかし……自分は、行けない」
ばしり、と音を立てて己の掌に叩きつけられる拳。
「申し訳ない。これは中川路にも言ってなかったことなんだが……俺は、実家の病院を継ごうと思っているんだ」
「え?」
「初耳だよな。埼玉に俺の実家があってさ、病院経営やってんだわ。今やってるアレ、ケリがついたら言おうと思ってた。うちの病院さ、そんなにデカくないし入院病棟も小さいし、外来患者数でなんとか保たせてるようなとこで……ここまで好きな研究させてもらって、もう流石に帰らないといけないってずっと考えてたんだ。すまん」
「そんな、謝らないで下さい。俺、陣野さんに頼りっきりで……」
「馬鹿言うな。中川路、お前が俺を引っ張ってたんだ。自分の判断力を信じろ。自分の知識と経験と、発想力を信じろ」
そんなことを言われたのは初めてだ。中川路はただ目を白黒させる。陣野は中川路を放置して、朝霧に真正面から向かい合う。
「こいつの方が優秀です。俺は行けないが、中川路だけでも十分に力を発揮してくれるでしょう。で、どうせお前は行くんだろ?」
「当然」
思わず飛び出した返答。今の研究にしがみつきたい、なんて考えは一切ない。特許の関係上で協力しつつ研究を続けている大学がイギリスとスウェーデンにあるから、後はそちらに任せれば良いだけの話であるし、地位とか権力とかに興味は一切無かったから大学に残る意味もない。
これは、研究者としての欲だ。目の前に新しい、しかも世界初の研究となる対象がぶら下がっている。
そして、随分と浅はかな欲がもうひとつ。正義のヒーローに、なれるのではないか。正確に言えば『正義のヒーローにくっついてる正義の博士』というやつだ。まあこれは、オマケのようなものではあったが。
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