20-4

 昼食を終えると、網屋はまだ見ていなかったブースを回り始める。なるほど確かにアクセサリー類があるわあるわ、皮革製、レジン製、陶器製に天然石製とよりどりみどりだ。よりどりみどりすぎて、余計に分からない。どれを見てもよく見える。シックな色で染めた革製の花がついたヘアゴムなんていいんじゃないか、いや陶器でできたコーヒーカップ型のブローチもいいんじゃないか、いやいや、あっちも、いやいやいやこっちも……。


「うああああああ! 分からん! 余計に分からん!」


 情報量が多すぎる。頭の中をリセットするためにコーヒーを一杯飲み干すと、網屋は己の顔面を己の手で思い切りひっぱたいた。


「まだじゃい! まだ全部見とらん! まだまだァ!」


 実際、ローラー作戦から漏れた箇所がまだ僅かに存在する。全部とにかく見て回ってから、もう一回考えよう。そう考え、視線を移した時だ。強烈に何かが視界に焼き付いた。


「……え?」


 ひとつのブースの机の上、アクセサリー用の小さなトルソーに掛けられた、シンプルな赤いスクエア型のペンダント。いや、網屋が最初に見たのは青い光だった。だが赤い。不思議に思って近付いてみる。

 手にとって見るとその正体が分かった。光が入る角度によって、真紅色のペンダントヘッドの中央がが青く揺らめくのだ。中央というより、奥とでも言った方が良いだろうか。つい何度も角度を変えて、ゆらゆらと揺れる青い光を見つめてしまう。


「ドラゴンズブレスだな。綺麗だろ」


 いつの間にいたのだろう、シグルドが背後から覗き込む。


「こいつはガラスなんだ。メキシカンオパールとも言われるな。真ん中の光が、ドラゴンの吐息を封じ込めたように見えるから『ドラゴンズブレス』。何十年か昔のガラス職人が作ってたんだが、もうこれを作れる職人はいないらしい……復刻しようとしているガラス職人もいるって聞いたけど」


 シグルドの話を聞きながら、網屋の頭の中は「きっと似合うだろうな」という考えに支配されていた。そんな網屋の表情を黙って見つめ、シグルドはひとつ頷く。


「見つけたか? これしかない、ってモノ」

「…………うん」


 シグルドは満足気に頷くと、網屋の背中を思い切り叩いた。二人の様子を伺っていたブースの店主が「贈り物でしたら、ラッピングしますよ」と告げる。であるので、網屋は「お願いします」とやけに深々と頭を下げたのだ。




 帰りの車内、相田はふと、双子の見分けが付かなくなっていることに気付いた。見分けが付かなくなっている原因は、髪型がそっくり同じになっているからだ。


「髪の毛、どしたの。しばり直した?」


 いつもの通り疑問に思ったらすぐさま尋ねる。すると、双子は満面の笑顔で「ししょーとおそろいにした!」と返してきた。確かに、シグルドと同じような位置でポニーテールにしている。


「ししょーにかみどめゴム、買ってもらっちゃった」

「色ちがいのちょうちょなんだよ! おそろい!」


 頭を下げて見せてくれたそれは、革製の蝶。紅色と藍色の、シンプルだが可愛らしいものだった。


「ッかぁーシグルドさん抜け目ねぇー! 女性に贈り物抜け目ねぇー! つうかロリコンっすか守備範囲拡大っすか」

「いや、流石にこの年齢層は無理。でもね、十年後に向けて下地作りしておこうかと思ってさ」

「十年て光源氏ですかい。長期計画だなぁ」

「十年なんて余裕余裕。あっという間だって」

「マジでぇ」


 バカみたいな会話を交わす中、横目で助手席を見る。贈答用に包んでもらったペンダントを後生大事に抱えている網屋。その表情は落ち着いていて、相田は安心した。自分にできることなんて、せいぜい車を出して送迎するだけだ。あとはただ、黙って見守るしかないのだ。



 網屋はいい男だと確信しているし、椿だっていい女の部類だ。素直にさっさとくっついて、モテナイ村をパーッと崩壊させてほしい。これが相田の本音である。だって、身近な人が幸せそうな顔している方がいいじゃないか。人様の不幸せそうな顔を見て充足感を得る趣味は生憎持ち合わせていないので、できることなら、出来得る限り、ニコニコ笑って過ごしてもらいたい。自分も、みんなも。


 特に網屋は、今後はとにかくニコニコ笑って過ごすべきである。呑気に、日常生活に埋もれてしまうべきである。どんなに祈っても無くなった家族は戻ってこないし、時間を巻き戻すことはできない。だからこそだ。

 少しでも心穏やかに。


 稀に、ではあるが。食後に網屋が煙草を燻らせている時の表情が、相田には恐ろしく思える時がある。あの葬儀の時に見た、虚ろな、底無しの悲しみに囚われたままの顔。ごく僅かにそれが垣間見える。ああ、まだ拭いきれてはいないのだ。復讐を遂げても、まだ。

 相田はそれが怖い。ふといなくなってしまいそうで、消えてしまいそうで、しかし無理矢理に捕まえておくのも違う気がして、相田はただひたすらに祈るしかできない。頼む、どうか先輩を『連れて行かないで』と。

 誰に向かって祈っているのかは分からない。闇雲に祈りを向けられても、神様とかいうやつは困るかもしれない。そもそも、祈りなどというものはどこに昇ってゆくのか。ただ湯気のように立ち上り、消えてしまうだけではないのか。受け止める先など無いのではなかろうか。


 それでも、それでも相田は祈るだろう。留めておいてくれと。目に見えないものに縋っても仕方ない、そんなことに意味は無いと分かっていても祈るだろう。想いを向ける、その行為を止めはしないだろう。



「先輩、それ、いつ渡すんですか」

「ぅえ? い、いつ?」

「明日持ってきゃいいんじゃないか」

「あじだ?」

「そうだそうだ、明日持ってけ! 新鮮なうちに! 鮮度大事!」

「せんど、お母さんが言ってたー、せんどのいいうちに食べ切らないとダメだって」

「そうしないとくさっちゃうって言ってたねー」

「ホレ聞いたかノゾミ、さっさと渡さんと腐るぞ。イキのいいのを産地直送しないといかんぞ」

「明日は無理だって! せめて次の土曜か日曜に」


 あたふたする網屋を横目に、相田は車を走らせる。

 この日常が少しでも長く続きますように。日常が網屋の中に積み重なって、ちゃんと彼の中で固定されますようにと、祈りながら。

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