20 返礼と慕情
20-1
ここ最近、よくある現象なので相田は慣れた。食事、特に夕飯を取る直前あたりから網屋が頭を抱え始める。原因は時によるが、根源はひとつしかないので分かりやすい。
「先輩、今回は何スか」
スプーンを片手に「あぁぁ」と呻き声を上げる網屋に、自分でも驚くほど乾いた声を掛ける。大抵はときめき満点フルバースト状態の恋のお悩みが返ってくるので、正直言って相田には解決策を授けることはできないのだ。仕方ない、経験値はゼロだから。
そして今回もやはり、そうであるのだ。
「……椿さんに、ライターもらった」
「へええ! あいつ、そんな気の利いたことできるんだ?」
「チームのグッズなんだって。もらったは良いが椿さんも真澄さんも使わないから、どうぞって」
ポケットから取り出した銀色のジッポライター。控えめにチーム名が入っている。話を聞いていた相田は一発で真相を見抜いた。ああ、椿のヤロー、照れ隠しだな。
実は相田、既にみさきと情報交換を済ませていたのである。話を振ってきたのはみさきの方からであったが、ほぼ同時期に相田自身も尋ねてみようかと思っていたところであったので、それこそ渡りに船というやつだった。聞いてみれば案の定、実に案の定という結果。相田はみさきと『にこやかに見守る』という協定を結び現在に至る。
相田も椿も、現役か引退かという差はあれど、レーサーという立場を経験しているのでよく分かる。レースに意識が向きすぎて、恋だ愛だ、惚れた腫れたなどという事象にまで頭が回らないのだ。余裕が無い、と言い換えた方が良いのだろうか。故に恋愛経験値は皆無。全く分からない。なのでどうしても手探り状態になる。端から見ていると実によく分かる。取っ掛かり部分からよく分かっていないということを。
これで相手が恋愛の機微に長けた人物であるならば、椿の精一杯の贈り物にも気付くだろう。が、その相手がモテナイ村の鬼門番であるからして期待できるはずもなく、このザマだ。
相田は溜息をついた。あまりのもどかしさに。
「お礼、しなくっちゃ、だよなぁ」
網屋が絞り出すように呻いた。
「そっすねえ、お礼、いいと思う」
「だろぉー?」
「で、何か目星つけてるんスか」
「……じぇんじぇん、なーんも、全く」
「ですよねぇー」
蓮根やらゴボウやら根菜が大量に入った和風カレーに、これまた大量にらっきょうと福神漬けを盛りながら相田は相槌を打つ。
「相田はさ、この辺で何ぞか、こう……女性向けの……こう、何ぞか、店みたいなの、知らんか」
「俺に聞いちゃ駄目っしょ先輩」
「あぁん」
「駅ビルからアタックかけるしか無いような気がする」
「だわなー……あの周辺シラミ潰しに行くしかねぇやな」
そんな風に網屋がぼやいた時だ。玄関チャイムが割り込むように鳴った。二人は顔を見合わせて、首を傾げる。
「荷物じゃねぇな。頼んでねえし」
「セールス?」
「かもしれない。お前の方さ、アレ来た? 布団クリーニングがどうのとかいう」
「来た来た、来ましたね、布団クリーニング。あ、俺出ますよ」
「お、マジで。頼むわ」
相田の方が玄関に近い、ただそれだけなのだが、彼は立ち上がってドアに向かった。玄関チャイムは控えめに一度鳴らされただけであったので、もしかしたらセールスのたぐいではないのかもしれない。相田はそっと玄関のドアを開けた。
外に立っていたのは、見覚えのある男。長い金髪を少し高めの位置でまとめた、グレイッシュブルーの瞳の青年。途轍もない美形ぶりは相変わらずである。
「お、相田君。こんばんは、お久しぶり」
「シグルドさんじゃないっスかー! うおお、お久しぶりです!」
「追い払ええええええ!」
食卓から網屋の絶叫が聞こえるが、相田もシグルドも華麗に無視。「どうぞどうぞ」「いやどうも」などと家主を放り出して中に上げる始末である。
「どうしたんスか、また仕事?」
「いんや、今回は単純に観光。仕事が一段落したんでね」
「ケッ! 前に日本住んでたくせにしやがってなぁにが観光だコンチクショウ!」
「ひどいなぁノゾミ、カッコ良くて優しーい兄弟子に向かってその物言いはないだろ。それに、日本に住んでる日本人だって日本で観光するだろうが」
「うるせえ……今はイケメンなんて見たくないんですぅ……近寄るな、灰になってしまうから近寄るなぁ……」
「バンパイアかお前は」
突っ伏す網屋を尻目に、容赦なくサラダからプチトマトを失敬するシグルド。普段と様子が違うことに気付くと、相田に無言で疑問の視線をぶつけた。相田も肩をすくめ、椅子に座り直してから丁寧に解説を加える。
「実は先輩、惚れた女ができたんスよ」
「え、女? おいマジかよ、女か!」
しゃべるなよぉ、と餓死寸前の行き倒れみたいな声が網屋の口から漏れるが、そんなか細い抗議など届くはずもない。
「まあ女つってもゴリラみてぇな奴なんですけどね」
「ゴリラ言うなぁゴリラじゃねぇやい、相田、お前なぁ、ゴリラじゃねぇだろうがよぉ」
「あーはいはい、じゃあ猛禽類? 鷹とか鷲とかそういうの。兎とかとっ捕まえて食ってそうな」
「必要以上に力強くするのやめろや」
「んじゃ、サメ」
「肉食から離れろ」
「ライオン」
「離れてねえ、これっぽっちも離れてねぇ」
「じゃあやっぱゴリラじゃないですか、ゴリラ肉食じゃないよ」
相田と網屋が漫才を繰り広げている間に、シグルドは勝手に食器棚から丼を取り出し、勝手に炊飯器から米をよそい、勝手にカレーを盛り付け始める。さらにらっきょうを山盛り。
「シグルドさん、福神漬は?」
「おかわりしたらその時に」
「なるほど」
網屋が普段使っている一人がけのソファーを占領すると、当然のように食べ始めた。網屋はと言うと、色々諦めてしまったようでツッコミも入れない。これはいよいよ異常事態だとシグルドは悟った。
「どした、何かあったのか」
「…………この際、お前さんでもいいかァ……いや、その方が寧ろ良いのか……?」
縋るような視線。シグルドはますます悟る。こいつぁ尋常じゃねぇな。ガチか。ガチ恋か。ついにこの青春置いてけぼりマンがフォーリンラブか。すげえな時が流れるってすげえな。あの死んだ目の人形みたいな子がこんなマァ恋に入れあげちゃってお兄さん嬉しいわー感慨深いわー。生きてるって素晴らしい。ほんとすごい。
「何だ何だ、相談に乗るよ? 俺で良けりゃあ」
「おう……その、さ、女性向けの贈り物って、こう、何か、いいの、ないか」
「贈り物、とな。詳しく話せ」
網屋の説明をカレー食べつつ聞き、おかわりまでして、勿論二杯目には大量に福神漬けを添えて、相田の方は四杯目を数えた所でようやく、シグルドは「ふうむ」と考え始めた。
「お礼、ねえ。お礼。あんまり重いモン送りつけるわけにはいかないしなぁ」
「だろー? つったってさあ、どれくらいが重くてどれくらいが軽いのか分かんねぇよー……」
「身も蓋もないこと言っちまっていいのなら、アホみたいな値段のものでさえなければ何でも良いんだけどな」
「何でもォ?」
「何でも」
「何でも……」
頭から煙が吹き出している様が目に見えるようだ。流石にこの言葉では解答にならない。相田の方はと目をやれば、こちらも同じく煙を吹いていた。
「仕方ないな、一旦俺、引き上げるわ。ちょいと作戦練ってくる」
「作戦?」
「おう。作戦司令室に帰って司令官から指示仰いでくるよ。んじゃ、カレーごちそうさんでした」
律儀に手を合わせると、皿を下げて荷物を抱え、シグルドはさっさと出ていってしまった。ただし、玄関で一言「明日の予定は空けとけよ」と言い残して。
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