19-9
ボーグナインはおとなしくシグルドに捕まった。塩野が「自分が囮になる」と言い出した時は流石に肝が冷えたが、その一方で、大丈夫だという確信もシグルドの中にはあった。十分に間に合う距離と速度を保有しているという、根拠を伴う自信だ。場を塩野に任せ、極力音と気配を消してボーグナインの背後に回りこみ、そして現在に至る。
塩野の予測は見事に的中していた。地雷は発動しなかった。痛みを伴わなければ即時爆発はしない。
「これも、賭けだったけどね」
少し笑いながら、塩野は吐露する。
「いくら高帆さん謹製の特殊地雷とは言えど、そこまでの負荷を個人に掛けられないだろうと思って。ピーキーすぎる地雷なんて、そんなの日常生活に支障出ちゃうでしょ。しかも戦闘要員だもの、戦闘行為にまで負荷が掛かっちゃったら本末転倒だものね。地雷を仕掛けるには地面が必要だから、その地面から少し崩してみました」
さらりと軽く話してはいるものの、笑顔は余裕綽々とは行かない。表情には疲労の色が見て取れた。しかも塩野曰くの『遠隔解体』である。それにどれほどの精神力を費やすのか、シグルドは計り知ることができない。
とりあえず自分ができることとして、まずはボーグナインの所持している武器道具の類を全て没収した。
「さて。クリストファー・ボーグナインさん。お久しぶりです。一年くらい? 船の上以来だね。お元気そうで何より」
後ろ手に拘束される様を見つめながら、塩野は『いつもの調子』で軽快に喋り始める。
「どう、こっちを狙っている間ずっと、気持ち悪い感じがしたでしょう? 遠隔解体に晒されながら、よくもまあここまで保ったもんだね。すごいすごい。流石『キャンディ常習者』は解体に対する耐性が強いや。普通の人相手だったら、五分で解体できるんだけど」
既にこちらの射程距離範囲内に入っていたのだと、塩野はボーグナインに対して楔を打ち込んだ。
「分かってる。貴方が、上司の名前を言えないってこと。そこにも地雷が設置されてるんでしょ?」
「そこまで分かってくれているならありがたいな」
「まあね、伊達に十年も苦労してないよ。貴方に死んでもらう訳にはいかない。地雷は全て撤去します。どんだけ時間がかかるか分かんないけど……反省して、償ってもらうまでは、『死』なんて逃げ道は与えない」
塩野の表情からは笑顔などすっかり消えていて、剥がれた皮膜の下から現れたのは気味が悪いほど静かな、何の波も打たない冷酷さ。怒りも、侮蔑も、哀れみすら無い。
見てはいけないものを見た。ボーグナインはそう痛感した。背後にいたシグルドもだ。だが、シグルドにはもうひとつの側面も分かっていた。この解体屋と一緒にいて分かったことだ。この恐ろしさも、軽薄さも、全ては対象を解体するために必要な行為であり道具でしかない。そのもっと下、奥深くには、豊かな感情が潜んでいる。
シグルドは密かに感謝した。この塩野という男が、こちら側についていてくれたという現状に感謝した。敵に回したくはない。そしてもうひとつ。塩野が、真っ当な人間感覚の持ち主でいてくれたことを。
もしもこの人物が、持てる力のそのままに、ヒトを壊し続ける道を選んだのなら……その時は、対峙せねばなるまい。だが、それはありえない。そうでないから彼は今ここにいる。友を想い、家族を慈しみ、理不尽に対し怒るからこそ、彼はヒトとしての形を保っているのだ。
だから、ほら、このどこか甘い男は、目の前にいる敵でさえ救おうとしている。
「貴方はこれから、昔の上司と会って、同僚とも会って、全部ぶちまけて、謝って、墓参りして、全部、全部精算してもらう。みっともない姿を晒して、這いずって、それでも」
一度息を吸って、塩野は、はっきりとこう、言い切った。
「生きるんだ」
塩野が帰国したのは、その数日後である。
平日にはいつも通りに出勤し、やはりいつも通りに病院の食堂で日替わりランチの『鯖の南蛮漬け定食』をつつきながら、中川路と目澤に土産話を披露する。
「んでねえ、カリフォルニア土産買ってきたの。っていうか、大学のお土産? ロゴ入りキャップ。キャァァーップ」
流石にこの歳でカレッジキャップというのはどうなのだろうか。微妙な顔で受け取る二人。
「うちの娘達が被ると、めっちゃくちゃ可愛いんだよぉ! だから、二人も可愛くなるかなぁーって」
「誰が可愛くなるんだ!」
「川路ちゃんと、目澤っち」
黙ってじろりと睨まれ、塩野は少し小さくなった。
「だってぇ、もっとこう何て言うか、破壊力のあるお土産ないかなーって探したんだけど無くって」
「探すな。土産物に破壊力を求めるな」
「ヒューッ! 目澤っちクール! ヒューッ!」
「やかましい!」
「それより、例の奴はどうなったんだ」
中川路の話題転換に、塩野は素直に乗った。そちらの方がより重要な『土産』である。
「身柄に関してはクラウディアさんに任せた。あの人なら、追手を差し向けられたとしても対処してくれるでしょ。それと、やっぱり短期間の解体はできなかったよ。だから、重要な情報を引き出すまでにはかなり時間がかかると思うの」
「ま、それは仕方ないな。生け捕りに出来た事自体をとにかく喜ぶべきだ」
「でしょでしょ。ボーグナインさんの解体、っていうか地雷撤去に関しては、僕がお世話になってた教授にお願いしてきた。僕も電話とかで話して、ちょっとづつやってこうかなって」
と、ここまで話した時だ。食堂のドアが開いて何者かが入ってきた。ドアに対して背を向けている中川路と目澤は誰が入ってきたのか分からない。が、食堂全体がざわついた。その空気感を、否応なしに悟るほど。
塩野の視線がそちらに向いて、満面の笑顔を浮かべながら手を振る。
「お、きたきたー。こっちだよぉー。んふふふふ、今回最大のお土産がきましたよぉ」
慌てて振り向く二名。そこにいたのは。
「お久しぶりです」
「……シグルド君!」
シグルド・エルヴァルソンがそれはそれはもうにこやかな笑顔を振りまきながら、こちらにやってくるではないか。当たり前のように塩野の隣に座る。しかも、突然やってきた美形に大騒ぎしている女性職員達に向かって手なんぞ振ってみせるものだから、黄色い悲鳴も上がる。
「いやあ、塩野先生に誘われて、なんとなく来日しちゃいました」
「なんと、なく」
「市役所に行く真っ直ぐの通りあるじゃないですか、そこにあるジャズバーで今夜演奏しますんで、よろしければおいで下さい」
おいで下さいなんて言っておきながら、視線自体は女性陣に向けられていて、さらに黄色い悲鳴が追加される。中川路が苦々しい顔付きになり、それを見た目澤は小声で「同族嫌悪か」と呟いた。
「いやあ、一仕事終えたので、観光でもしようかなと思って。塩野先生のお宅に泊めていただくことになったし、ありがたい話です」
「うちの娘達に色目使っちゃダメだからねー! パパちゃん怒るかんね!」
「娘さん方が俺に惚れる分には、こちらもどうしようもないので。ねえ」
「だぁめー! だめったらだめェー! 犯罪ですぅー!」
「え、待ちますよ? 十年くらいだったら余裕で待ちますよ。そしたら犯罪の域ではなくなるでしょ」
「うぇぇぇぇぇえええぇぇだめなのぉぉぉぉおおおお」
半泣きでシグルドをぽかぽか殴る塩野と、へらへら笑いながら甘んじて受けるシグルド。さらに、中川路が追い打ちをかける。
「あと十年ねぇ。塩野んちの子供達がええと、十九歳で、シグルド君が三十五ってことか?」
「ですね」
「ほら余裕余裕。歳の差に関してはエキスパートのドクターがいらっしゃることですし」
隣にいる目澤の肩を力一杯叩く中川路。「な?」と声を掛けられて、「お、おう」などと返事をしてしまったのがまずかった。
「うわぁあぁぁぁぁあああん! 目澤っちのバカアアアアア! オバカさま! オバカさまぁあああああ!」
とんでもないとばっちりだ。塩野はテーブル越しに目澤のネクタイを掴んで締め上げながら喚いた。
今日も食堂には呑気な声が響き渡る。いつも通りの光景、いつもの馬鹿騒ぎ。
塩野は、この時間がいつまでも続けば良いのにと静かに願った。
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