19-6
死ぬ者。生きる者。この世界には二種類しか存在しない。誰もがいつかは死ぬ。生きている限り、死は免れない。必定である。ただ、それがいつ来るかの差でしかない。
自分はその死を、他者に与える。いつ死ぬか、ただそれだけのことなのだ。自分が殺そうが他人が殺そうが、結局は同じことだ。
飽和するほどの死を。終焉を。安寧を。
それでいい。それで、いい。
シグルドと塩野はまず、銃弾が飛んできた方向を素直に目指した。大学敷地の中央付近、建物が密集している辺りだ。
シグルドは迷わず足早に歩き、建物の裏手にある外階段を登った。二階部分まで登ると辺りを見回す。
「まあ、ここだよな」
先程まで彼等がいた体育館前がよく見えた。この場所で狙撃を行ったのは間違いなかろう。それだけ確認すると階段を降り、地上まで来た所で再びぐるりと周囲を見回した。次にしゃがみ込み、洋芝特有の今だ青さを残している地面を見つめる。
「見つけた」
ほんの僅か、芝生が踏まれてへこんでいる。走った跡だ。歩いた時と違い、少しだけ外側に捩れている。しばらく経てば戻ってしまう、微かな痕跡。足の大きさと残された形から男性のものと見て間違いない。
今現在、大半の学生が大講堂に集まっている。見渡せる範囲内で、外に出ている人間はほぼいない。この足跡はボーグナインのものとみて良いだろう。発見した左足の跡に続く二歩目を見つけ、歩幅を大まかに測る。やはり成人男性、歩幅から推測される身長とボーグナインの身長が合致。
だが、シグルドはその足跡をすぐに追跡しない。このタイミングで電話がかかってきたからだ。待っていたのだ、この連絡を。
『ごめんなさいねシグルド、取り込み中だったかしら?』
「いや、後半戦を始めようとしていたところさ」
『あら良かった、間に合ったみたい。遅くなってしまってごめんなさい……って、もう詫びは言ったわね』
電話の相手はクラウディアであった。シグルドは電話のかかってきたスマートフォンをそのまま塩野に渡す。
「こんにちは、お久しぶりですー。すみませんね、お手数かけさせちゃって」
『いいえ、手間というほどのものでもないわ。友人から話を聞くだけよ? 本当は文章にまとめてそちらに送れば一番良いのだけれど、時間が無かったからこのまま説明するわ。大丈夫?』
「はい、お願いします」
塩野は通話状態のまま、シグルドの後をついて歩き始めた。
『クリストファー・ボーグナイン。本名よ。五十六歳、男性、出身はマイアミ。出身校は聞く?』
「いや、そこは端折っちゃっても」
『分かった。三十六歳までCIAに所属。それ以降は一時期マフィアにいたけれど、自分で壊滅させてしまったわ。あとはフリーのままだったのだけれど、ここ数年姿を眩ませていた。だから去年、あの船の上で見つけた時は心底驚いた』
通話する塩野を横目に、シグルドは慎重に歩く。
芝生の上に微かに残る足跡を追い、途中で突然消えている事に気付いた。だが、まだ追える。シグルドの視線は舗装された道に向けられていた。足跡が消えているなら、それは即ち『消す』という作業をしたことに他ならない。もしくは、視線を途切れさせる細工をしたか、だ。だがこちらにしろ相手方にしろ時間はない。悠長に構えていられないのだ。故に、取れる手段は限られる。短時間で処理できる細工しかできない。
舗装された道に、それこそ微かに残る土の湿り気。そいつを、シグルドは見逃さなかった。足跡が途切れた位置から飛んで移動できる位置だ。
「この俺から距離を取れるなんて思うなよ?」
一方、塩野はシグルドにとにかくついて行きながら、通話に意識を集中している。情報はいくらあっても困ることはない。選択肢はいくらでも広げておきたい。
「なんでCIAからマフィアに鞍替えしたのか、それは分かる?」
『ええ、嫌というほど。長くなるわよ』
「問題ないよ、分かる限りのことを全て教えて」
『……ボーグナインは当時、潜入工作をしていたの。ちょっと厄介な国外系マフィアがいてね、ボーグナインはそこに何人かいる潜入工作員の一人だった。私もその仕事に関わっていたわ』
語るクラウディアの声は少しだけ沈んでいて、良い思い出ではないことが伺い知れた。
『それなりに長い期間潜入していたのだけれど、ちょっとした油断がトリガーになって正体が割れてしまった。しかも、潜入工作員全員』
「そいつはまた、とんでもない失態だねぇ」
『ええ。しかも、お相手さんは工作員を全員一箇所に集めて、殺し合いをさせた』
「ああ……効果的なやり方だね。生き残った一人だけは見逃してやる、とか、そんな条件がついてたんじゃないのかな?」
『ご名答。ボーグナインはこの条件に乗ったわ。自分以外を全て始末してしまえば、事実を知っている人間はCIA側には存在しなくなる。他のメンバーは拒否したって聞いたけれどね。でも、ボーグナインは呑んだのよ。その、条件を』
「で、生き残った、と」
『生き残っただけではないわ。潜入メンバーがなんとか緊急暗号を送ってくれてね、私達が私刑の現場に向かったのだけれど……ボーグナインはこちらに発砲してきたわ。そして、相手方の幹部を庇って逃げた』
「勤務先も変えちゃおうってハラだったんだね」
『……彼にとってはいい機会だったのかもしれない。当時の彼の上司は、年齢がたったひとつしか違わない人物でね。ボーグナインはたまに不満を漏らしていたわ。自分の方が上だ、と』
「実際は?」
『実力も判断力も、上司の方が上だったわよ。戦闘能力は追いつく時があったりなかったり。だから、彼自身も分かってはいたと思うの』
「分かってるだけに尚更、嫉妬心が募ってた」
『でしょうね。……喜々として殺していたらしいわ、仲間だったはずの人間を。上司を出し抜き、自分の実力を示す機会だと、そう思ったのかもしれない。状況は虫の息だった仲間が教えてくれた。それを私達に伝えるので精一杯……助けることが、できなかった』
クラウディアの声色に滲むのは、拭い切れない後悔だ。塩野はその枷を少しでも楽にしてやりたいと思ったが、今はあまりにも時間がない。
『それが二十年前。その後しばらくはマフィアの一員であったようだけれど、確か、十二年前だったかしら……ギルベルト、憶えていて? 合ってたわね。十二年前に自分自身でそのマフィアを壊滅させてしまったのよ。文字通り、皆殺しにして』
「皆殺し」
『それはそれは丁寧に殺して回って、向こうの本国にまで渡って首魁まで殺して、そこから行方知れずになっていた。どこかに所属していた形跡もなく、姿を隠してそのまま十二年。顔を整形するくらいはしていると思ったのだけれど、顔も、傷も、何もかもそのままで、彼はあそこにいたわ。まるで、わざと顔を晒しに来たみたいに』
「かも、しれないね。わざと、顔を晒しに……」
確認するようにゆっくりと塩野が呟く。
「あの顔の傷は、いつから付いているのかな?」
『裏切った時よ。例の、彼が随分妬んでいた上司がつけた』
電話の向こう側から、小さな溜息が聞こえてきたのは果たしてクラウディアのものなのか、それとも更に向こうにいるであろう友人のものなのか。
『隠そうともしない、あれだけ目立つものを。隠せないわけではないでしょうに』
「見せたいんだと思う。まだ自分は生きているぞ、お前達の前に再び現れたぞ、って」
『やっぱり、そう思う?』
「それ以外にはなさそう。僕達を狼煙にする気なんだろうなぁ。僕を殺せば現在の上司に対してアピールできるし、シグルド君を殺せば貴女や元上司に対して見せつけになる。こちらの正体やら陣営やらはもう割れてるだろうしね、去年の船でね。彼にとってはお得な状況だもの……うおっと」
突如奇妙な声を上げたのは、再びシグルドによって強制的に位置移動させられたからだ。足元を銃弾が抉る。だが、その銃弾が飛来した方向や銃弾が示す口径が、シグルドに敵の状況を教えてくれる。それはまさに満点の位置取りであった。これ以上無い程の。
「戦い方自体はお利口さんじゃないか」
シグルドの呟きも耳に入れつつ、塩野はクラウディアとの会話に戻る。
「ボーグナインって人はどんな人だった?」
『まあ、真面目なタイプだったわね。好んで冗談を言うような人物ではなかったわ』
「なるほど。真面目、かあ……分かった、ありがとう。また何か聞きたいことがあったら電話するかもしれないけど、大丈夫かな?」
『ええ、大丈夫よ。今日は一日、ギルベルトと思い出話でもしようかと思っているから。いつでも連絡してちょうだい』
「良かった、助かるよ。じゃ、また後で。ああ、明日にでも家族を連れてお店に行きたいな」
『ランチでもディナーでも、当店はいつでも歓迎。予約を入れてくれれば、何かサービスしますわよ』
「やったあ! 予約するぅ」
『ああ、あと、シグルドに伝言を。ギルベルトが、またうちのステージで演奏して下さいって』
「ほい、伝えておきますー。それじゃー」
『くれぐれも、気を付けてね』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます