13-4
食事が終わる頃には、いくら日が沈む時間が遅くなったとはいえすっかり夜の帳が降りている。少し蒸し暑く、目澤は車のエアコンをつける前に窓を開けた。
帰り道、敷島公園の脇を通る。公園の敷地内にバラ園があり、その横を通り抜けてゆくのだ。今はもうバラの開花時期は過ぎてしまっていて、暗がりの中に見えるのは緑色ばかりだ。
「もう少し時期が早かったら、ここのバラが見れたんだけどね」
「いいな、素敵ですね」
「機会があったらバラ祭、見に来ようか」
言った瞬間に、これまた中川路の教訓が頭をよぎる。曰く、「機会は待つものではない。作るものだ」。その後にこう続く。「機会は待っている限り、永遠に訪れない。機が熟すことなど無いのだ」と。
手厳しい。スパルタすぎやしないか。だが、中川路の言わんとしていることはよく分かる。機会を待ってそれが来た試しなど無い。それに、奴が伝えようとしている真理はそこではない。
目澤は言葉を接ごうとする。が、みさきの方が早かった。
「来年ですね? 予定開けておきます!」
この日、何度目になるか分からないが、目澤は胸をなでおろす。今日の自分はそんなことで一喜一憂してばかりではないか。大人のくせに落ち着きがないなと反省しきりである。
食事の時にシュシュでまとめていた髪の毛を、何気なくほどくみさき。黒い髪が風になびいて、片手で抑える。
その様をぼんやりと見つめている己に気が付いて、目澤は慌てて車の窓を閉じた。
帰りの車中も、結局はディナーの内容で話がほぼ終わってしまった。気が付けば地元の警察署前まで辿り着いている。熊谷市の中でも警察署前の十字路はとりわけ混み合う場所だ。案の定、この信号で捕まった。
「時間、掛かりそうだな」
時計は既に九時を過ぎている。
「遅くなってしまうね。申し訳ない」
「いえ、これくらいなら大丈夫です。親にも言ってあるので、問題ないです」
親、と言われてあの医師二名が浮かぶ訳だ。笑顔で送り出していたが、内心ではやはり心配なのではなかろうか。何せ親である。彼女はうら若い女性である。
だが、自分と彼女は親子ほども歳が離れているのだ。無用な心配などしていないかもしれない。
「親御さん、か。……我々も、親子連れだと思われていたかな」
「え、そんなことはないと思います。目澤先生、お若いですし」
「うーん、そうだといいのだが」
車は動いているのか動いていないのかよく分からない。信号が青になり、また赤になって、結局のところ交差点を脱出するに至らない。
「ま、恋人同士だと思われても大変だからね」
何も考えずに放った言葉であった。言い終えた後、一挙に血の気が引くのが分かった。これはいわゆるドン引きされる言葉というやつではなかろうか。というか、自分は一体何を口走っているのか。なんでそんな言葉を放ってしまったのか。
馬鹿か。どうしようもない馬鹿野郎か俺は。
間が空く。背中に嫌な汗が一挙に噴き出すのが分かる。横を見るのが怖い。彼女は今、一体どんな顔をしているのだろうか。
「……あの、今言ったことは、忘れて……」
「勘違いされても、いいです」
唐突な返答に、言い訳を遮られる目澤。
思わず振り向く。みさきが、真っ直ぐにこちらを見つめている。
「私は、恋人同士だと勘違いされても、いいです」
少し上気した頬。だがすぐに彼女は目を伏せてしまった。
「あのっ、すみません、目澤先生は困っちゃいますよね。ごめんなさい。私、変なこと言っちゃって」
「いや、困るということはないけど」
「……え?」
顔を上げたみさきと目が合う。みさきが何か言いかけて、その唇が開いた瞬間、背後からけたたましいクラクションが鳴らされた。
既に信号は青になっていて、前の車はもう発進している。大慌てで前走車に追随する目澤の車。
警察署前を抜けてしまえば、みさきの自宅まではあっという間だ。そこまでの約十分、車中の二名は極力当たり障りのない話題だけを選んでとりとめもなく会話を続けた。
続けたはずなのだが、目澤はあまりその内容を覚えていない。気が付けばもう加納家の前に到着していて、車内から手を振って、あとはもう夢中で自宅まで車を走らせ、自室に入った途端に上着を脱いでネクタイを解いて靴下はその辺に放り出して、そのままベッドに突っ伏して寝てしまったのだ。
やけに夜空は晴れていて、星がキラキラと瞬いていた夜であったのは、よく覚えているのだが。
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