17-5
翌週、月曜日。陣野病院食堂。
関係者も来訪者も、誰でも利用できるこの食堂の片隅に、網屋の姿があった。
「網屋くーん、おまたせー」
日替わりランチのトレイを持って最初にやってきたのは塩野だ。
「塩野先生、早いですね」
「まあねー。うちの科はさ、患者さん少ないから。まあ多くったって、僕が頑張って強引に早く終わらせるんだけどね!」
「えげつねぇー」
塩野の言葉はまさに額面通りであるので、網屋は肩を竦めて怯えるふりをしてみせた。
次にやってきたのは目澤だ。今日の午前業務は外来ではなく手術であったようで、手術着の上に白衣を羽織った姿だ。手には小ぶりのトートバッグ。
「目澤っちおつかれー。今日も人間の生身に金属を埋め込んでサイボーグを量産してやった?」
「変な言い方をするな! 埋め込んだのは事実だがサイボーグじゃないだろう!」
「ぶー、目澤っちロマンが足りなーい」
「ロマンか? ロマンなのかサイボーグが?」
「ロマンだよぅ。ねえ網屋君」
「ロマンですね。加速装置とか仕込みましょうよ」
下らない会話を繰り広げている間に、中川路も合流する。彼の昼食は鯖の味噌煮定食だ。
いつぞや乗馬鞭でぶん殴られた痕もすっかり消えて、色男完全復活である。
「はいお待たせ。網屋君、いつもすまないな」
「いえいえ、いつもニコニコ現金払いですからね。大好きですよ現金払い!」
揉み手する網屋に中川路が渡したのは、二つの給料袋。片方には網屋の名が、もう片方には相田の名が記入されている。
「相田くんにさ、ガソリン代、全部請求しちゃっていいよって言っといてもらえるかな。我々に費やした分だけ計算するのも面倒だろう」
「了解です。でもなあ、相田が素直にウンと言うか分かりませんよ」
「まあね。彼って見た目に反し頑固なとこあるよね」
直に手渡しされたこの給料、基本給に必要経費を足した分を中川路が計算している。給与支払いは医師達三人が折半している形だ。
カネの出所は彼等のポケットマネーである。正確に言うなら、DPSの退職金だ。
口座に入れっぱなしのこの金を、彼等は自身の生活にほとんど使っていない。そのためであろうか、網屋と相田の給料は彼等の預金利子だけで賄うことができている。
この結構な額の金は、口封じのため。三人とも、それをよく分かっている。封じるも何も、根本的に開く口を失いつつあるのが現状であるのだが。
網屋が給料袋を片付けている間に、目澤はトートバッグの中身を取り出していた。曲げわっぱ二段弁当と、汁物用の保温容器だ。その中身に網屋は目を見張った。
「すっげ、何ですかその弁当」
「網屋君、まだこれ見たことなかったっけ。目澤が女の子に作ってもらってる手作り弁当」
「女子大生に作ってもらってるんだよ! じょしだいせい! すごくない? じょしだいせいだよ?」
モテナイ村の住民としてはすぐさま攻撃を仕掛けるべき内容のはずなのだが、網屋はそれよりも弁当の中身に意識を奪われている。
「女子大生、ですか。若い子が作ってる割にはこう、渋いというかしっかりしているというか」
「目澤っちの好みに合わせた結果なんじゃないのかなー」
眉根を寄せた状態で、網屋は目澤の弁当箱を指差し何か数え始めた。しばらくブツブツやっていたかと思うと、突然「十八」と呟く。
「おかずだけで十八品目。ざっと見た範囲でこれだから、実際はもっと行ってるでしょうね」
「だろ、すごいよな。俺さ、これの写真撮って栄養指導に使ったもん」
「川路ちゃんマジでぇー?」
「詳しくは会計受付横にありますパンフレット『バランスの取れた食事とは』を御覧下さい」
ドヤ顔で決めたはいいが、誰も相手をしてくれない。中川路はそっと泣いた。
「網屋君さ、おにぎりと味噌汁も数えなきゃだよお。おじぎり。混ぜご飯おじぎりー」
「お、いいっすねおにぎり」
わざわざ目澤が差し出してくれた二段目の中身を見て、網屋の脳裏に一瞬何かが浮かんだ。
直感。ピンと来る。第六感。そういう類の、何かだ。
三つ入っているおにぎりのうち一つに、覚えがあった。
ハムと大葉とチーズの混ぜ込みおにぎり。間違えるはずがない、そいつは網屋の十八番レシピだ。
あとからじわじわと、理解という名のなまはげが包丁を振りかざして追いかけてくる。
……いや、そもそもこのレシピはネットで漁ったものであるから、自分以外の人間が作っていたって何らおかしくはない。少し昔のものではあるが、まあ、たまたま作ったのが今日だったに違いない。そうだそうに違いなかろう。
だが、待て、いやいやいやちょっと待て、おかずの方には何が入っていた。ささ身の梅しそ巻きフライが入っちゃいなかったか……
入ってはいた。確かに入ってた。しかし、特に目新しいレシピでもあるまい。珍しくもないのだから、おにぎりと被っていることだってあるだろう。そうだ、きっと偶然だ。偶然に決まってる。
でも、女子大生って言ってたよな。女子大生。
独身男。メシはコンビニ弁当で済ませていた。一人暮らしが長い。自炊は全くしない。
理解しかけている頭脳。それを拒む心理。それら全てを押しのけて顔を出したのは、好奇心という邪念であった。
「もしかして」
その好奇心が己を殺すと分かっていながら、それでも、網屋は口にせずにはいられない。彼は、煉獄の扉を自らの手で押し開ける。
「その、弁当を作ってくれる子の名前……加納、みさき、さん……っていうんじゃ、ないですか」
びくり、と目澤が身を竦めた。
「な、な、なんで、なんで、網屋君、その名前、名前を」
地獄の釜が開いた。リア充の業火に焼かれながら、それでも網屋は「あぁーやっぱりねーそうだよねーこれで別人だったらそれはそれで驚きだぁー」と内心で激しく納得していた。
「加納さん、相田の後輩ですよ。大学の」
「大学……あ、あああ、そうだ、熊谷産業大、言ってた」
「相田と同じサークルの仲間内。つうかね、俺、行きつけの喫茶店あるんですけど、そこのバイトしてる子でもありますね。弁当作ってるって確かに言ってたわなぁ」
「え、え?」
ああすげえ、と網屋は思う。目澤先生もこんな顔するんだ。鳩が豆鉄砲食らったとはまさにこのことであろう。そうとしか表現のしようがない。
先日の中川路といい、ここ最近は色々と貴重なショットを拝ませてもらっている気がする。
「そうか、加納さんの相手って目澤先生だったのか。てっきり同年代だと思ってましたよ」
「ううっ」
「でもまあ、なんとなく納得っちゃー納得ですわ。同年代のチャラチャラしてるような男なんて相手しなさそうだもん」
中川路と塩野がヘラヘラと笑いながら「分かる」を連発する。目澤は状況の処理ができないようで、ただひたすらにオロオロしている。
不思議と、嫉妬心には駆られなかった。相手がシグルドであったなら迷いなく殴るか蹴るか撃つかしているのだが。中川路に対しても同様だ。
モテナイ村は今日も焼き討ちだども、そん灰が畑を良くしてくれるだ。オラ達の村は何度でもよみがえるだよ。微笑ましいなぁ、オラぁ眩しくって見ちゃあいられねぇだ。村が日照りになっちまうだよ……
そんな謎の台詞を脳内で流して、網屋は席を立つ。
「では、確かに受け取りました。あと、何かあったらすぐに連絡下さい」
「あいよ。明細と額の確認しといてね」
「了解。目澤先生はその弁当、よーく堪能して下さいよ。今度加納さんに会ったら、嬉しそうな顔して食ってたって伝えておきます」
律儀に一礼すると、踵を返す。酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくしている目澤は放置プレイだ。
目澤に対してやっかみを抱かないのは、目澤もみさきもやたら初々しく、微笑ましいからであろう。
モテナイ村が大飢饉であることに変わりはないが。
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