09-6
「アンタねぇ、それ、数おかしくない?」
「んなこたぁねぇって。ねえ先輩?」
「俺に振るな! ノーコメントです」
トンカツを一切れ相田の口にねじ込んで物理的に黙らせると、網屋は食事を再開した。
おおかた食べ終えてふと、隣に広げたままのメニューに目を落とす。「Take out」の文字を発見し、更にその下にコーヒー豆の販売も見つけると目を輝かせた。
「すみません。カツサンドの持ち帰りお願いします。あと、ブレンドコーヒーの二百グラムも下さい」
「豆のまま? それとも挽きますか?」
「挽いちゃって下さい」
「……俺も! 俺にもカツサンドのテイクアウトお願いしますっ」
ようやく咀嚼を終えた相田が追随する。そこへすかさずナポリタンの大盛りが差し出された。山のように盛られたナポリタンの頂上に、タコさんウインナーが鎮座している。
相田がタコさんウインナーに手を伸ばすよりも早く、網屋の箸がそれを奪取。
「ああっ! 俺のタコさんが!」
「さっきカツ一切れくれてやったからいいだろ」
そう言うなり、網屋はタコさんウインナーを口の中に放り込んでしまった。
「あーぅ、俺のタコさん」
「ピクルスやるから許せ許せ」
「えっ、マジで、やったあ」
小学生並みのやりとりだ。椿の呆れた視線が突き刺さる。
「いつもそんな調子なの? 二人とも」
「うん」
二人の返事が完璧に重なった。
「おかずは基本、奪い合い」
「おやつもだな。ガキの頃なんかは、運動会の弁当も奪い合ってたし」
「あーやってましたね! 運動会は飯の時間が一番ハードだった」
「仲が良いんだか悪いんだか、よく分からんわアンタら」
言葉にしてしまうのなら、兄弟の関係が最も近いのだろう。と、真澄は考えたが口には出さない。
と、そこへ、ドアを開けて誰かが入って来た。
「おはようございます……あれ?」
これまた聞き覚えのある声に振り向くと、そこにいたのは加納みさきである。
「お二人とも、何でこんな時間に? 開店前ですよね?」
網屋が小さい声で「デスヨネー」と呟く。
「いや、みさきちゃんこそどうして」
「あ、えっと、バイトです」
「ああー、なるほど」
「で、お二人は?」
バツの悪そうな顔を見合わせて相田も網屋も口ごもっていると、椿があっさり暴露してしまう。
「なんか、押しかけて来たみたいだよ。腹にたまるもの食わせろって」
「すみません」
「本当に申し訳ございませんでした」
大きい体をますます縮めて、二人はひたすら謝罪する。それを見て、みさきは笑いながらカウンター内へ入っていった。
「少しお時間頂けたら、私、デザート作るので食べていかれますか? フレッシュタルトですけど」
「食べます」
「頂きます」
否を言おうはずもない。結局、二人はタルトとコーヒーのお代わりまで平らげてようやく食事終了のゴングを鳴らした。
食べ終える頃には、モーニングセット目当ての客がちらほらと見え始める。こうなるともう無駄口を叩く余裕はなく、従業員三人は黙々と働き始めた。
飲食店にいつまでも居座るのはよろしくなかろうと、男二人は土産のカツサンド片手に撤退することとなった。
それでもまだ朝の八時。ご世間様はこれから動き出す時間帯だ。朝の光は眩しいが、徹夜した二名にはただただ辛いだけだ。
網屋は大きな欠伸をして、それから懐に手を突っ込んだ。何とは無しに取り出すダガー、いや、小刀と表現した方が良いであろう刃物。
「……月下飢狼、か」
見つめる先は刀身ではなく柄の目貫だ。一言呟いたまま、その後は無言になってしまう網屋。
信号待ちで止まった際に、隣から視線を感じる。相田の問うような目に、網屋は苦笑いする。
「ああ、大した事じゃない。この目貫、元は誰のための物だったんだろうか、って思ってな」
「先輩のお師匠さんが持ってきたんなら、やっぱお弟子さん達のためなんじゃないっすかね」
「まあ、そうなんだろうが……ちょっと、何かが違うような気がしてな。気のせいかもしれないし、何とも言えない。ただ……」
「ただ?」
「荒川の大将は、今の俺に必要な物だと思ってこれを使った。それだけは事実だ」
事実と推測は別物だ。そう己に言い聞かせて、網屋は想像が膨れ上がるのを阻止した。
思い当たる節が、無い訳ではない。だが、網屋自身が会ったことは一度も無く、ただ話を聞いただけであるので随分あやふやな情報である。
「……同じ轍を踏むな、ってこと、なのかもな」
ひとつ、深い溜息をついて網屋は小刀をしまう。黒い刃は太陽の光を避けるように鞘へと収まった。
「これを使う機会があんまり無いように、祈るしかねえや」
誰にも向けられぬ祈りが、朝靄の中に沈む。
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