07-6

 パトカー数台。覆面パトカー二台。救急車多数。赤いサイレン付きの車両が、倉庫を取り囲んでいる。

 倉庫の中から負傷者が次々に運び出され、救急車で搬送されてゆく。日本語と英語が入り乱れて飛び交い、そこだけが音の坩堝と化している。


 シグルドはそんな真っ直中で、日本の警察とニューヨーク州の警察とを挟んで確認作業をしていた。線引は明瞭で、北米から来た該当者は北米に、元から日本にいた該当者は日本が処理するというごく簡単なものだ。

 州警察のメンツはいつも世話になっている顔触れが三人。熊谷市内で今まで待機しつつ、諸々の手続き処理を行っていたようだ。

 日本の警察は勿論、初めて会う顔だ。


「公安の坂田です」


 とだけ名乗った男は特に、奇妙な印象であった。

 だが、印象がどうのと言っていられる状況でもない。簡単とは言えども処理しなければならない事案は山ほどあるし、あまりこの場に長居はしたくなかった。妙に尻の座りが悪い。

 直感や予感の類はあながち馬鹿にできない。結局それらは今まで蓄積してきた経験値に基づく理論飛躍であって、神がかったものであるとか第三者からのなんたらであるとか、そのような如何わしいものではないからだ。



 シグルドの思惑は成功し、努力の甲斐もあって一時間弱で現場から解放される。

 歩いて一分も掛からない墓地の駐車場で、例の黒い車が待っていた。後部座席に乗り込んでようやく全身の力が抜ける。


「お疲れー」


 助手席から差し出されるペットボトル。よく冷えた炭酸水であった。口をつけてから出てきた溜息は、「あー」と情けない声を伴う。


「つっかれたー……事後処理が一番疲れる。めんどくせー……何でお前、手伝わないんだよ。俺一人に押し付けんな」

「馬鹿。俺が熊谷警察の前に出て行ったら面倒くさいことになるだろうが。知ってる顔いたらどうすんだ」

「ああー……そりゃそうか。じゃあ仕方ねぇか」


 天井を仰いでしばらくじっとしていたかと思うと、突然束ねていた髪の毛を解いて頭を振るシグルド。


「よーし! んじゃ、撤退しますか」

「クイーンアンバサダーホテルでいいんですよね。駅前の」

「お願いします」


 遠くでまだ続く喧騒に紛れて車は発進した。狭く暗い道を抜けて少し行けば、すぐに県道と合流する。多数の外灯と店舗の光と、そして車のライトが照らし出す大きな道路を、三人を載せた車は何事も無かったかのように走る。


「そういえばさ」


 炭酸をぬるくならないうちに消費していたシグルドが、誰にともなくぽつりと漏らす。


「どこの国にもいるもんだなぁ、嫌な感じの警察官って。警察ってか、公安なんだが」

「お、超弩級の当たりでも引いたか」

「弩級ってワケじゃないんだがな。なんて言うかこう、ザラつくと言うか、妙と言うか、目を合わせようとしないんだよ。で、上から目線で喋る」

「何じゃそりゃ」

「上から目線なのは、まぁ珍しいもんでもないんだけどなぁ。所詮俺らは、免許持ってるつったって民間委託業者ですから。でも、何なんだろうな、あの嫌な感じ……」


 どんな言葉を選ぼうか迷っていると、相田がこんな事を言い出した。


「観察されてる、とか?」

「……おお、それかも」

「独特の空気になりますからね。こう、見られてるーっつうか、監視されてるーっつうか。籠の中の実験用ラットになった気分?」


 経験に基づく発言であるのだろう。妙に説得力がある。


「なるほど、観察ね。あとは、お前なんぞお呼びでないってとこかな」

「俺が公安だ! アメリカから来た民間なんぞクソの訳にも立たんわ! 全ての悪は俺が断つ!」


 網屋のおどけた台詞でひとしきり笑って、この話題は終わる。

 外を流れる街の光。看板の文字情報が瞬時に背後へ去ってゆく。


 彼等の車は、他の車に紛れて街の中へ溶けていった。





 覆面パトカーに乗り込む、手錠を掛けられた「売り手」の小関と公安の坂田。意気消沈している小関に、坂田は侮蔑の視線を向けて低く囁いた。


「あれは、流通に乗せるものではないだろう」


 驚く小関。坂田と目が合う。どこまでも冷め切った視線がぶつかる。


「確かに、あれをどうしようと自由だ。制限は無い。だからこそ、守らねばならない節度というものがあるはずだ」

「どうして、どうして、あんた、あれを知っている」

「知っているという時点で悟れ。それすらできないのか」


 冷めた視線は怒気を孕むものへと変化する。小関は思わず身をすくめた。


「分かっていると思うが、貴様への供給はこれで一切無くなる。それこそが制裁だ。貴様があれを口にしたことがあるのなら、だが」

「いや、だから……」

「一切、だ」


 坂田の言葉に余地はない。小関の顔が血の気を失う。


「貴様の行動次第では、そこで何もかもが終わる。それだけは忘れないように心掛けておくといい」


 そこまで言って、坂田は運転席に視線を送る。運転手は軽く頷いて、車を発進させた。

 彼等の向かう先は、警察署ではない。


 彼等の車は、たった一台で闇の中へ溶けていった。

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