07-2

「で、だ。シグルドよぉ、そろそろ本題を話せ」


 取り急ぎ作ったトマトとバジルのサラダを食卓に供して、網屋が言う。シグルドの顔付きが変わった。


「見当は付いてると思うが、仕事だ。ソロじゃさすがにきつい内容でね。手伝ってくれ」


 変な自尊心を誇示したり意地を張るタイプでもないシグルドは、あっさりと弱みを晒して助けを請う。それに対し、網屋もからかったりつついたりはしない。これは仕事の話であり、仕事である以上、きちんとこなす事こそが最優先されるべき事項であるからだ。そこに個人的な感情を差し挟む余地は無い。


「相手は?」

「商売人。保釈金の取り立てじゃなくて、州またぎの指名手配犯の方。今回は薬の取引だそうだ」

「薬? ここでか?」


 串に鶏もも肉とネギを刺す手が止まる。


「おう。ここ、熊谷市で。かなり珍しい薬の取引らしいが、内容の詳細までは分からない」

「……ヘンリーでも分からない、のか」


 シグルドは黙って頷いた。スーツケースから書類を引っ張りだすと、何枚かめくる。


「最近、稀に出てくるらしいぞ。名称不明、効能不明、副作用不明、不明だらけだが欲しい奴は血眼になって探す。仮称『キャンディ』だそうだ」

「キャンディ、ねえ」

「わざわざバイヤーがブロンクスから出張ってくるようなもんだってのは間違いない。通訳を兼ねた警護が二人、雇った鉄砲玉が十人くらい」

「多いな?!」

「二日前の情報だ、もっと増えてる可能性がある」


 英語で書かれた書類をテーブルに放り投げて、酒に口をつける。


「明日の二十三時から取引開始予定。場所はえーと、御稜威ケ原みいずがはら工業団地」

「近いなぁ。いつからここら辺はこんな物騒になったんだ。なあ、相田」

「俺に言われてもー」


 咀嚼しながら返事を返す相田。だが、確かに言われてみれば物騒になりつつあると思う。そのような流れにこの地域が変化しているのか、それとも、網屋が見ている世界を覗きこんでいるからそれらが「見える」ようになったのか。

 どちらとも言えない。世界など、薄皮一枚剥けばこのようなものなのかも知れない。


 フライパンでねぎま串を焼く合間に、下処理した鶏レバーを赤ワインで煮る網屋。炒め煮に近いので、調味料を深手のフライパンに投入する度に破壊力のある音と匂いが充満する。

 一杯分だけ残った赤ワインは、結局、網屋の口に入ることはなく全て料理に使ってしまった。


「さよなら赤ワイン……」

「白はとっといてある。嬉しかろ?」

「ワァイ、ウレシィナァ」


 ひどい棒読みで感謝しながら、塩もみしておいたキャベツでアンチョビソース和えを手早く作り、レバーの赤ワイン煮を皿にあけ、空いたフライパンを洗ってチーズソース作りに移行する。

 やたら手慣れた動きに毎度相田は感心するのだが、シグルドの「相変わらず小気味良く動くなぁ」との言葉で、昔からそうなのだと悟らされる。


 相田は、と言えば。

 つまみをおかずに白米を食べ、水の代わりに日本酒を飲むというとんでもない摂取の仕方をしていた。


「相田は固形と液体、両方で米か」

「おこめおいしい! おこめおいしいです!」


 シグルドがまた何か言いたそうな表情になったが、目が合った網屋は黙って顔を横に振ったので、発言を控えた。

 ちなみに、相田が合コンに呼ばれない最大の理由はこの食いっぷりである。大抵の女性は引いてしまうからだ。


 魚焼きグリルからもいい匂いが漂ってくる。テーブルの中央に鍋敷きを置き、その上に鎮座ましますのは耐熱陶器製蓋付き深型グリルプレート。魚焼きグリルから出てきたそいつは、内部からじゅうじゅうと音を立てている。

 蓋をあけると、別の意味で殺人的な湯気。


「適当アクアパッツァ一丁お待ち。各自で取って勝手に食え」


 鶏肉とあさりとしめじとトマトと、その他もろもろ。シグルドの持ってきたものを当て込んで、自宅の白ワインを半分以上投入してしまったシロモノだ。

 立ち上る湯気を拝む相田。何も言わずに取り分け始めるシグルド。そいつらを無視して、キッチンに戻る網屋。


「そうだ、ノゾミ」

「何だ」

「今日さ、ここに泊めて」

「嫌だ!!」


 最後の言葉だけ、きっちり振り向いて言い放つ網屋。


「っざけんなテメー、いつもみたいに適当な女引っ掛けてシケ込めばいいだろが」

「おお、その手があった」


 焼き上がった塩ねぎま串の皿を無表情で食卓に置いて、相田の背後に移動してから、網屋は叫んだ。


「オラたちの村から出てけ! オメみでえな奴は出てけ! 祟りじゃ! 祟りが起こるど!」

「モテナイ村にオメさまみでえな色男はいちゃいげねんだ! 出てけ!」

「あれぇ、相田君までー?とりあえずメシは食わせてよ」



 結局、翌日の夜にまた来ることを確約し、さらに焼きねぎのマリネと、こんにゃくと胡桃のチーズソース仕立てまでしっかり平らげ、勿論持参した白ワインも飲んでから、シグルドは夜の街へと去って行った。

 実際に女性を引っ掛けてお宅へお邪魔したのか、それとも宿を取ってあったのかは分からない。

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