06-4

 そんな最中。網屋家強盗殺人事件が起きたのは、中学三年の冬だ。

 勿論、ショックは大きかった。さらには網屋自身も姿を消し、深い喪失感を味わう事になる。


 網屋は、それはもう小さい頃からつるんでいた。誰かから理不尽な言葉を掛けられた時、真っ先に反撃してくれるのも網屋であった。


 レースを優先していると、どうしても出席日数は少なくなる。それに対して「お前だけずるい」と誹られることは多々あった。「ちゃんと授業受けてないから馬鹿」だの、「どうせ事故で死ぬ」だの。

 大人からも「所詮は道楽だろう」と言われた時があった。「その歳なら、まず学業を優先させるべき」とも。


 それらの言葉に対し、自分が口を開くよりも前に網屋が反撃を開始してしまうのだ。

「ずるいと思うなら同じくらいの努力をしてみろ」

「授業受けていても馬鹿は馬鹿、例えばお前みたいな」

「じゃあテメエは豆腐の角に頭ぶつけて死ね」

「何のために学ぶのか。将来のためだ。相田はもう、そのために十分すぎるほど動いている」

 等々。


 何故、そんなに言い返してくれるのか尋ねると、いつだって答えは同じ。「そういう奴が嫌いだから」としか言わない。


 精神的な面で、網屋に頼りきっていたと思う。網屋という味方がいる、と、安心し切っていたのだ。

 いなくなって思ったのは、自分も網屋を支えてやることができれば良かったのに、という後悔ばかりだった。


 その後悔を払拭したい。そんな気持ちもあって、ますます自分はレースにのめり込んだ。いなくなった網屋が、どこかで見ていてはくれまいかと淡い期待を抱きながら。



 高校への進学は、所属していたチームから強固に勧められた。網屋が通っていた高校へ推薦で入学。スポーツに力を入れている学校であったので、理解度が高く、レース活動は至ってスムーズに行われた。


 響介とは常に、一進一退の攻防を繰り広げていた。年齢のキャップが外れ、大人に混ざってレースをするようになっても、スタンスは何一つ変わらなかった。

 響介を自分が追う。自分を響介が追う。多数の熟練レーサー達に揉まれながら、立ちはだかる壁に何度もぶつかりながら、それでも、二人は互いを睨んで走っていた。


 サーキット内ではそれこそ、相手を叩き潰してやるという気概で相対していたが、外に出ると自分も響介もただの男子高校生でしかなかった。

 各地のサーキット付近にあるメシ屋の情報交換だの、レースクイーンを遠巻きに眺めて「おお」やら「わあ」やら呟いたりだの、先日始めたゲームがどこまで進んだだの、そんな事ばかり。



 そんな調子だったからだろうか。高校一年の秋に、チームの監督から限定A級ライセンス発給の話を受けた時、自分は騙されているのではなかろうかとすら思ったのだ。


 カートレースで優秀な成績を収め、かつ年齢層が低い選手に対して特例的に発給される「限定A級ライセンス」。

 これがあれば、カートからフォーミュラへ移行できる。カートとフォーミュラで勝手が違うのは分かっている。そう簡単に行くわけがない。だが、十八歳以上でなければ参加できないはずのF3に参戦できるという事実は、あまりにも眩しくて、身を焦がすと分かっていても手を伸ばしてしまう。


「等々力もだ」


 監督はそう続けた。


「お前とワンセットで、F3行きだ。相田、やれるな?」


 その瞬間、全てが吹っ飛んだ。不安も、勝手の違いも、規模の大きさに対する恐怖も、何もかもが消し飛んだ。


「やれます」




 高校二年生、四月。初めて立つ、F3の舞台。


「雅之ー!」


 背後から呼ぶ声がして、振り向けば案の定、響介が走ってくる。


「持ってきた?」

「勿論。そっちは?」

「三本。余計に持ってきてしもた」

「いや、俺も多めに持ってきた。二十枚」


 二人して何を準備しているかというと、サイン用色紙とマーカーである。折角のF3、憧れのレーサーや監督からサインをもらわずしてどうする。

 大御所から個人的な好みの選手まで、片っ端から捕まえてのサイン攻勢。まるで観客のようにはしゃぎ、選手達も嫌な顔せず応じてくれた。

 ただ、諸先輩方から釘を刺されたりもする。


「そんな調子で浮かれてると、足元すくわれるよ?」

「君達だって、この場に立つ以上は同列の競争相手なんだから」


 エヘヘと笑って頭を下げる。忠告を素直に聞き、ありがとうございますと返す。

 収穫を抱えてホクホクしながら自分達のピットに帰る途中、ぽつりと響介が呟いた。


「やっぱ舐められとんなぁ、俺ら」

「仕方無いっしょ。俺達、カートから出てきたばっかのガキだし」


 呑気にサインなんぞもらっているのだから、そう思われて当然である。だが、両者ともへりくだる気は全く無い。


「ま、丁度いいんじゃね? 舐めて掛かってくれるなら、それはそれで」

「そやな。今のうち、たっぷり油断すりゃええわ」



 蓋を開ければ、デビューしたての高校生二人に初戦のワンツーフィニッシュを決められるという大惨事が繰り広げられ、ビギナーズラックだという声を尻目に二戦目も同様の結果となる。


 カートからの転向に付いてこれまい。年齢も、場数も、圧倒的に劣るだろう。誰もが抱く考えなど、本人達とて当の昔に分かっているのだ。

 かと言って、手をこまねいたまま本番を迎えると思ったら大間違いだ。舞台に立つために稽古をしない役者がどこにいるか。

 両者とも徹底的にF3対策を練り、限定Aライセンス発給から本番までの時間全てを費やして練習に取り組んできたのだ。当然、チーム全体が一定の方向を向いて動いている。そんな中で世間一般が抱くような醜態を演じてやるほど、両者は愚鈍ではなかった。



 三・四・五戦目に至ってもあまり状況は変化せず、ぽっと出の高校生二人は上位に食い込み続けた。他チームが焦り始めた六・七戦目に至ってようやく、高校生によるチェッカーフラッグだけは阻止できたものの、観客の目はこの若者二人ばかりを追いかけるようになっていた。


 役者不足に嘆いていたF3界隈も俄然色めき始め、メディアはこの二人に仰々しい二つ名を付けた。

 『フォーミュラワンに最も近い高校生』と。

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