02-6

 紙をめくる手が止まる。ぽたり、と、印刷された紙の上に水滴が落ちる音。


「……何だよ……」


 食い縛る歯の隙間から、絞り出すような声。


「……何なんだよ一体……窃盗団って……ふざけてんのか!」


 紙の束をテーブルに叩き付けた。振動でコップが倒れる。こぼれた水が足元を濡らすが、それすら気付かぬまま希は叫び続けた。


「うちに金なんてある訳ねぇだろ! 下調べ位しろよ! あったとしても人殺す程の物か? あんなになるまでブッ刺したり切ったりすんのかよ! クソが! ……っざけんな! クソが! それとも何だ、金持ちっぽい家に見えたのか? バッカじゃねえの? そんなの分かんだろ見れば! 普通だよ! 車だって普通のだろが! 兄貴も金の余裕ねえから国立受けたんじゃねえかよ! 盗られるほど金なんてねえんだよ! 普通なんだよ! 普通の家なんだ! 何か悪いことでもしたってのか? 殺されるほどのことしたのか? 何もしてねえだろ? 父さんも母さんも兄貴も環も、殺されるようなことなんて何も、何もしてないだろうが!」


 印刷が涙で滲む。

 たった一人残され、虚ろに生きてきた希にようやく浮かんできた人間らしい感情。それは、怒りだった。欠けた心を憤怒で補うように、どす黒い怒りが希を埋め尽くす。

 紙の束を握り締める。軽い音を立てて、それは潰れる。


「……ブッ殺してやる」


 希を満たす怒りは体の中に納まりきらず、言葉になって口から漏れる。


「犯人目の前に引きずり出して、絶対ブッ殺してやる。必ず」


 紙束を握り締めた手の、その指先が圧で真っ白になっている。少し伸びた爪の先が押されて歪み、ぱきり、と端が欠けた。


 黙って希の様子を見ていた佐嶋が、口を開く。


「それは、本気か」


 声色は低く、重い。あまりの重さに希は顔を上げた。目が合い、体がびくりと震える。佐嶋の眼光に射竦められたからだ。


「本当にやる気なのか」


 何かに気付いたシグルドが、弾かれるように立ち上がる。


「ヴォルフ!」

「黙ってろ」


 佐嶋は一瞥しただけであったが、シグルドは気圧されて言葉を失った。

 佐嶋の視線が希へと戻る。背筋を一瞬走る寒気の正体は恐怖感だと希は悟った。それでも目を逸らさない。恐怖を上回る怒り。それだけが、希を支える全てであったからだ。


「殺してどうなる。そんな事をしても、お前さんがそいつと同じになるだけだぞ」

「そんなのどうだっていい」


 言い放つ。佐嶋の視線は緩まない。それを真正面から見返して、希は宣言した。


「それで恨まれたって構わない。家族の仇を、俺は……俺が、取るんだ」


 しばらくの間、睨み合いが続く。乾いた空気が、ぶつかり合う視線で焼け付く。


 その視線を先に切ったのは佐嶋であった。

 席を立つと、リビングボードの引き出しを開けて何か取り出し、希の目の前に置く。


 それは、鈍く黒色に光る一丁の拳銃であった。


「そいつを撃つ覚悟はあるか」


 SIG SAUER P229と刻印してある。恐る恐る手を伸ばし持ち上げると、予想を上回る重みがあった。それでも希は手放さない。両手でグリップを握り締める。


 銃の存在への驚きよりも、己の中に渦巻く復讐心の方が上回っていた。


「撃てます」


 顔を真正面から見返した。いや、睨み付けた。


「……よし。なら、手伝ってやる」

「ヴォルフ、それは」

「お前の考えている通りだ、シグルド。こいつは今日から、お前の弟弟子になる」

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