(17)一夜明けて

 ケイン相手に大立ち回りをした翌朝、アルティナの目覚めは、若干すっきりしないものだった。しかしきちんと身支度を整えてからユーリアに客間から送り出され、屋敷の侍女に先導されて朝食の席に着いた。

「やあ、おはよう、アルティナ嬢。良く眠れたかな?」

「はい、伯爵。おかげさまで、疲れも取れました」

 上座から親しげに声をかけてきたアルデスに笑顔で返すと、フェレミアがさり気なく指摘してくる。


「あなた。おそらく今日中にはグリーバス公爵家の方から、教会に婚姻申請書が提出されますから、アルティナ嬢とお呼びするのはおかしくありませんか?」

「それもそうだな。これからは家族になるのだし、アルティナと呼ばせて貰おうか。私の事はお義父とう様と呼んでくれて構わないよ?」

「じゃあアルティナ。私の事はお義母かあ様と呼んでくださいね?」

「は、はぁ……。宜しくお願いします、お義父様、お義母様」

「ああ」

「こちらこそ宜しく」

 朝から善人っぷり全開の伯爵夫妻に反論する気も起きず、アルティナが笑顔を返すと、アルデスが真面目な顔で口を開く。


「ところで、ケインとの結婚に関してだが……」

 振られると予想していた話題がここで出されたことで、彼女は相手に非礼にならない程度に話を遮って話し出した。

「あの、お義父様。それについては身支度をしながら、ユーリアから一通り説明がありました」

「そうなのかい?」

「はい。私が辺鄙な田舎育ちであり、王都の社交界など右も左も分からない中でいきなり知らない相手と結婚と言うのは不安だろうと判断されて、一応婚姻申請書は出すものの、暫くは婚約者の扱いで色々必要な事を教えていただけるとの事。お心遣い、誠にありがとうございます」

 客間を出る前に予めユーリアと打ち合わせしていた内容を口にすると、アルデスは鷹揚に笑って頷く。


「いや、急に決まった話だし、さすがにアルティナも見ず知らずの家に入るのは不安だろうと思ったからな」

「ケインの事も、これから良く知って貰わないとね。それからグリーバス公爵家に多額の持参金を要求したのも、わざとだということも聞いたかしら?」

 夫の台詞に相槌を打ちながら心配そうに尋ねてきたフェレミアと、実際に守銭奴を演じる羽目になったクリフに向かって、アルティナは恐縮気味に頭を下げた。


「はい。この事が外に伝われば、シャトナー伯爵家の評判が悪くなるのは確実ですのに……。それにクリフ様に余計な芝居をさせる事態になって、誠に申し訳ありませんでした」

「そんな事は気にしなくて良いのよ?」

「母の言う通りです。我が家全員、承知の上でしたので」

(本当にお人好し揃いと言うか、なんと言うか……。これで良く社交界なんて狸や狐の化かし合いの場で、これまで何事も無く存在してこられたわね)

 自分の話を信じて疑わない様子の面々に、アルティナは半ば呆れ半ば感心してから、密かに気合いを入れてケインに向き直った。


「それからケイン様。表向きは妻ですが至らない所ばかりだと思いますし、当面は婚約者として勉強するべき事が多々あると思います。宜しくお願いします」

 そう声をかけられたケインは僅かに動揺しながらも、なんとか笑顔で言葉を返した。


「あ、ああ……、こちらこそ宜しく。この家を自分の家だと思って、寛いで過ごしてくれたら嬉しい。それから、私のことはケインと呼んでくれて良いから。私も君をアルティナと呼ぶし。対外的にもその方が良いだろう」

「はい、ケイン。ありがとうございます」

「いや」

 若干照れたようにアルティナから視線を逸らした彼を、家族が生温かい目で見守る中、アルティナは今まで黙って微笑んでいたマリエルに目を向け、徐に問いを発した。


「ところで、その……。そちらの女性は、ケインの妹に当たられる方ですか?」

「え? 勿論、マリエルだが……」

 ケインが当惑しながらそれに応じると、彼の隣に座っていたクリフが、軽く服の袖を引っ張りながら囁く。

「兄さん。昨夜アルティン殿にはマリエルを紹介したけど、アルティナ殿とはまだ顔を合わせていないんだ。だからユーリアも敢えて、マリエルについては説明をしていないと思う」

「そうだったな。うっかりしていた。既に説明した気になっていたぞ」

 その指摘で事実関係に気づいたケインは、改めてアルティナに妹を紹介した。


「すまない、アルティナ。紹介が遅れたが、これは下の妹のマリエルだ。もう一人嫁いだ妹のサーラがいるが、そちらは機会があったら引き合わせるから」

 それを聞いたアルティナは、マリエルに向かって微笑んだ。


「やはりそうでしたか。私は一番下だったので、妹ができて嬉しいです。マリエル様、宜しくお願いします」

「アルティナ様、こちらこそ宜しくお願いします。お義姉ねえ様とお呼びしても宜しいですか?」

「ええ、勿論です」

「良かった。私の事は、マリエルと呼んでください。何か分からない事があったら、遠慮せずになんでも聞いてくださいね?」

「はい。お願いします」

 どうやら貴族の子女らしく、紹介されるまではおとなしくしていたらしいマリエルは、一旦アルティナに紹介された後は何かと話しかけて、朝食の席は和やかに進んだ。


(取り敢えず、辻褄合わせはできたわね。さて、本当にこれからどうしたものかしら?)

 そして密かに今後の方針について考えを巡らせていたアルティナだったが、朝食も殆ど食べ終える頃になって、マリエルが目を輝かせながら言い出した。


「ところで、お義姉様にお伺いしたい事があるのですけど」

「なんですか? マリエル」

「以前ケイン兄様から聞きましたが、お姉様の兄上のアルティン様は、十九歳から二十一歳にかけて緑騎士隊副隊長として、先のラグランジェ戦役に参加されたのですよね?」

「ええ、その通りです」

「当時、戦場で見事な働きをして、史上最年少の二十二歳で近衛騎士団の緑騎士隊隊長に任じられたとか。そんなに素晴らしい方に、一度直にお目にかかりたかったです」

 崇拝するような目でしみじみとそんな事を言われたアルティナは、無意識に顔を引き攣らせて低い声で反論してしまった。


「叙任に関しては確かにそう聞いておりますが、兄から聞いた話ですと、それほど目覚ましい働きをしたかと言えるかどうか……」

「え? でもガーフ地方の森林帯で、アルティン様は囮を引き受けた一個小隊を率いて敵の背後に回り込み、見事五倍の兵力の部隊を壊滅させたのですよね?」

 マリエルから不思議そうに問われたアルティナは、ここで素直に頷いておけば良いものを、なんとなくこれ以上嘘を重ねたくない心境に陥っていたことで、アルティンからの伝聞の形で控え目に解説し始めた。


「結果的にはそうなりましたが……。兄から聞いた話では、当時敵軍に食料を供出していた商人を買収したものの、全員を殺害するのに必要な毒薬が集まらず、やむを得ず酒樽の中に大量に集めた下剤を混入したとか。それで殆どの者は恐怖心を和らげる為に、量の大小はあれ戦場では酒を飲みますし……。実力の半分も出せなかったのではと……」

「どうして下剤……。せめて痺れ薬とか」

「兄さん。確かに下剤の方が集め易いし、精神的ダメージも大きいと思う」

 思わず食堂内が静まり返る中、若干焦ったようなマリエルの声が上がった。


「あ、あの……。それではカゼルダ平原での睨み合いの末の騎馬戦で、手品のように数百人も敵兵を捕虜にしたという話は……」

 その問いかけに、アルティナは気まずそうに話を続ける。


「マリエルは、クランを知っていますか?」

「え? あの地面の中に穴を掘って住んでいる、あのずんぐりむっくりしたクランですか? 時々庭を掘り返して、庭木の木の根がやられたと庭師が怒っている、あれのことでしょうか?」

「はい。そのクランがあの平原に、大量に生息しているのです。それで兄は敵軍と睨み合いをしている間に、隊員総出で周囲の草原に生えているガードスという草を刈らせて、夜間に自軍の前に盛大に敷き詰めておいたとか」

「あの……、どうしてそんな事をされたのですか?」

 困惑顔のマリエルに対して、アルティナは説明を加えた。


「クランはその草を燃やした時の独特の煙と臭いが嫌いで、庭師が駆除にも使うそうです」

「まあ、そうなんですか」

「それで敵軍に対してこちらが風上になったタイミングで、一斉に火を点けて燃え上がらせ、それによって、その地面の下に住んでいたクランが一斉に敵軍陣地側に移動したそうです。その後にいざ突撃となった時、敵の軍馬が次々に、クランが地表に掘った穴に足を取られて転倒。それに躓いて後続も次々に落馬という悪循環で、ほぼ無抵抗になった騎馬兵を大量に捕虜してしまったとか」

「そういえばあの後……、緑騎士隊の連中が『あんなのは騎士の仕事じゃないよな』とブチブチ言っていたが、この事か。尋ねても、皆、頑として口を割らなかったが……」

「確かに騎士が総出で草刈りをしていましたなんて、口にできないな」

 ケインとクリフが同情する口調で感想を述べる中、マリエルは挫けずに話を続けた。


「それでは……、クレタム渓谷で味方とはぐれて迷ったように見せかけて、敵軍の間を割って入って分断させた上で、見事に同士討ちさせたと言うのは……」

 それを聞いた途端、アルティナははっきりと彼女から視線を逸らした。

「それは……。兄の話では、濃霧の中で本当に迷って敵陣のど真ん中に迷い出た挙げ句、慌てて手近な洞穴に部隊を引き連れて避難したら、その外で鉢合わせした敵軍が勘違いして、勝手に同士討ちを始めたとか」

 それを聞いたマリエルの顔が、さすがに引き攣った。


「……アルティン様は大丈夫でしたの?」

「非常食を食べて休んで、朝になって霧が晴れたのを確認してから外に出たら、敵軍は派手にやり合って負傷者が多数出た惨事の後だったそうです。すっかり戦意を喪失していたその敵軍の中を突っ切り、無事に逃走したと聞きました」

「そう言えばあの時、緑騎士隊の連中は不思議なくらい、殆ど無傷だったな……」

「…………」

 ボソッと呟いたケインの台詞で、食堂内は再び静まり返る。そんな中、アルティナは精一杯主張した。


「あの、ですから兄は『自分の功績など微々たるもので、偶然と幸運が積み重なったに過ぎない。稀代の名軍師などと周囲から持ち上げられてはいるが、実際はこんなものだ』と言っておりました」

 そう言って以前から嫌気が差していた英雄崇拝に似た扱いを、話の中でも止めて貰おうと訴えたアルティナだったが、何故かシャトナー家の面々は昨夜に引き続き、この場でも彼女の予想斜め上の反応を示した。


「運も実力のうちだ。やはりお前は人格者だったな、アルティン……」

「え? あの、ケイン?」

 急に目頭を押さえて呻くように言い出したケインに、アルティナが当惑しながら声をかけると、アルデス達もしみじみとした口調で言い出す。


「実の妹に対しても決して自らの功を誇らず奢りもしない、謙虚な方だったのだな。まさしくケインのいう通り、人格者というに相応しい」

「本当に、惜しい方を亡くしました」

「アルティン殿は、まだまだ我が国に必要な人材であったでしょうに……。無念でなりません」

「あ、あの……、皆様?」

 控えめに声をかけようとしたアルティナだったが、ここで突然マリエルが力強く主張してきた。


「お義姉様!」

「はい。なんでしょうか?」

「お義姉様はアルティン様の妹であることを、誇りに思わなければいけませんわ! それにこの国を守る為に身を呈してくださったアルティン様の分まで、お義姉様はしっかりとこの国の行く末を見守っていただかないと! 気をしっかりとお持ちになってくださいね!?」

「え、ええ……。そうしなくてはいけませんわね」

(だから、変な英雄視はしないで欲しいんだけど!?)

 貴族の姫君には珍しく、気迫を漲らせながら言い聞かせてくるマリエルに、アルティナは珍しく気圧されながら頷く。周囲の者達はそんな二人を、微笑ましいものを見る目で見守ったのだった。




「戻ったわ……」

 食事を済ませてから、与えられた客間に戻るなりぐったりと長椅子に横たわったアルティナを見て、ユーリアは目を丸くしながら問いかけた。

「随分お疲れのご様子ですが、どうして朝食を食べるだけでそんなに疲労困憊しているんですか?」

「食事の席で、アルティンの華々しい戦績の話題が出たのよ。ケインの奴が、これまで家で色々喋っていたらしいの」

「それは当然、表向きの話ですよね?」

「本当の事を話して、実際はこんな物だったと兄が言っていたと説明したのだけど、なんだかアルティンが妹にわざと謙虚に言っていた、みたいに捉えられたみたいで……」

 そこまで聞いたユーリアは、真顔で感想を述べた。


「確かにアルティナ様の悪運の強さと、立案する作戦のせこさとえげつなさは、私でもちょっと引きますから。信じて貰えなくても、無理ありませんね」

「ユーリア! フォローになってないから!」

「そんな事、する気はありませんよ。さて、あの馬鹿兄貴に連絡を取らないと」

 そして溜め息を一つ吐いて窓際に向かったユーリアの背後で、アルティナが拗ねたように呟く。


「……最近、ユーリアが冷たい」

 しかしその訴えを綺麗に無視したユーリアは、静かに窓を開けた。そして侍女のお仕着せの中に忍ばせておいた短い円筒形の笛を取り出す。それの一端を口に含んで窓の外に体を向けたまま勢い良く息を吐き出したが、通常の金属製の笛とは違い周囲は無音のままだった。


「やっぱり場所を移ったばかりだから、無理かしら……」

 何回か同じ事を繰り返し、暫く注意深く周囲を見回しても目立った変化が見られずにユーリアが落胆しかけたその時、頭上から一羽の鳥が飛来し、枯れ葉色の翼を羽ばたかせながら窓枠に止まった。


「キュルーイ! キュルァ!」

「偉い、ベルーレ! やっぱりあなたが一番頭が良いわ!」

 これまでにも何度もデニスの宿舎とグリーバス公爵邸の間を行き来していた連絡鳥は、素早く主の新居を突き止めたらしく、おとなしくユーリアを見上げた。ユーリアはその片足に予め括り付けられている小さな通信筒に、抜かりなく準備しておいた暗号の通信文を挿入する。


「じゃあ、お願い。これを、兄さんに宜しくね」

「キュイ! キューアッ!」

 そして頭を撫でられながら餌を貰ったベルーレは、楽しげに鳴きながら空高く飛び去って行った。


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