(5)策略
「アルティナ! アルティナは居るか!?」
「お父様、どうかなさいましたの? そんな大声を出されなくとも、十分聞こえますわ」
ジェスター侯爵邸で、人知れずアルティナが大暴れしてきた翌日。自室でユーリアと共に刺繍をしていたアルティナは、廊下から響いてきた怒声に笑いを堪えながら顔を上げた。そしてユーリアと目配せしている間に勢い良くドアを開けてローバンとギネビア、クレスタが室内に押し入って来る。
「あら、クレスタ様。いらっしゃいませ。昨日は秘蔵の絵画を見せていただいて、ありがとうございました」
「白々しい! さっさと勲章を返せ!!」
椅子から立ち上がって礼儀正しく一礼した彼女に、目を血走らせたクレスタが血相を変えて迫った。しかしアルティナは、わけが分からないと言った風情で首を傾げる。
「勲章とは、なんの事でしょう? 私に分かるように、どなたか説明していただけませんか?」
そう言ってわざとらしく両親に視線を向けたアルティナを見て、ユーリアは無表情を装いながら(アルティナ様ったら、外では常に男装していただけあって相当な演技派よね)と心底感心した。しかしローバンとギネビアは苛立たしげに娘を叱り付ける。
「ジェスター侯爵家に代々伝わっている、最高位勲章のことだ。知らないとは言わせんぞ!!」
「さっさと出しなさい! しかもあなた、昨日侯爵様に無体な事を働いたのですって!? 許されないことだわ!!」
しかし両親から糾弾されても、アルティナはしらを切りとおした。
「昨日? 確かに昨日、クレスタ様のお宅にお邪魔致しましたが、私は何も無体な事など働いてはおりませんよ? クレスタ様は私とのお話の途中で、お疲れが溜まっていたのかお休みになってしまいましたし。その後再度訪問してもいないのですが、私がいつ無体を働いたと言うのです?」
「昨日に決まっている!!」
顔を真っ赤にして吠えたクレスタだったが、アルティナは困惑顔で言い返した。
「でも侯爵邸でクレスタ様相手にそんな事をしたら、忽ち使用人の方に取り押さえられるかと思います。昨日はクレスタ様がお休みになってから馬車を出していただいて丁重に送り出して貰いましたのに、翌日になってから訴えてくる意味が分かりません」
「そっ、それはっ!! しかし貴様しかいないのだ!! あんな事をするのは」
事実を指摘されてローバンとギネビアの顔に僅かに疑念の色が浮かび、クレスタは僅かに狼狽しながら言い募った。しかしアルティナは、冷静に問いを重ねる。
「『あんな事』とは、どんな事でしょう? 何をどんな風にしたのか、具体的に教えて頂けませんか? 無体を働いたと主張されるなら、当然経過はお分かりですよね?」
「それが……、良くは分からん。気が付いたらああなっていて……」
「益々、意味が分かりませんが?」
声に勢いがなくなってきたクレスタを見て、ローバン達は益々怪訝な顔付きになり、アルティナは必死に笑いを堪えた。
(やっぱり人前で服を脱いで裸を晒すのは、恥ずかしいみたいね。第一、自分が主張する通りなら、女にボコボコにされた事になるし、二重の意味で屈辱だもの。しかもやっぱり中途半端に記憶が飛んでいるみたいだから正確な状況説明もできないし、訴えようもないわよね。できるものならやってみなさい)
そこでアルティナは相変わらず落ち着き払った口調で、さり気なく話題を変えた。
「先程、勲章がどうとか仰っておられましたが、要するにクレスタ様がお持ちの勲章が紛失したのですか?」
「そうだ! 今日の夜会にも付けていくつもりで金庫から出そうとしたら、影も形も無かった! 貴様の仕業だろう!?」
(あれだけぶちのめしたのに夜会に行く気満々とは、本当に呆れたわね。でもそんなに虚栄心に溢れているなら、余計にダメージも大きいか)
途端に怒りを露わにして食いついて来たクレスタに、アルティナは半ば呆れながら話を続けた。
「今のお話を伺うと、その勲章は金庫に入れて保管していたのですよね? そこら辺に無造作に飾っておいたわけでは無く」
「当たり前だ!」
「そして、金庫から取り出そうとして開けてみて、中に入っていない事に気付いたと仰る」
「そう言っているだろうが!?」
「それなら当初、金庫はちゃんと閉まっていたのですよね?」
「当たり前だ! 何が言いたい!!」
「それならどうして、それを私が盗った事になるのですか? 私は金庫の場所もその開け方も、クレスタ様から伺ったりはしていませんが」
「それはっ……」
彼女が冷静に事実を積み上げた上で矛盾を指摘すると、途端にクレスタは言葉に詰まった。そんな彼にローバン達が無言で冷ややかな視線を向ける中、アルティナが何食わぬ顔で確認を入れる。
「因みにクレスタ様は、その勲章を最後に身に着けたのはいつですか? 最後に目にしたのはいつかという事ですが」
「……十日ほど前の夜会で身に着けて、その時に金庫にしまった」
面白くなさそうにそう答えた彼に、アルティナは漸く納得できたというような表情で告げた。
「それではその十日ほどの間に、金庫の場所と開け方を知っている人物に勲章を盗まれたと考える方が自然ですね。ご自身の身内や屋敷の使用人を信用するのは結構だと思いますが、目を曇らせるのは如何なものかと思います」
「何だと?」
「クレスタ様が知らない所で恨みや妬みを買って、足を引っ張ったり嫌がらせをしたりする人間が、居ないとも限りませんし。でも大切な勲章が紛失したのはお気の毒なので、私の部屋を家探しして構いませんわ。私には後ろ暗い所など微塵もありませんので。お気が済むまで、さあ、どうぞ」
そう言ってアルティナが、両親に向けて思わせぶりな視線を向けたのを見たクレスタは、昨日彼女が両親の意向だと何度も繰り返していた事を頭の片隅で思いだし、ローバンに憎悪の眼差しを向けた。
「やっぱり貴様か……。素知らぬふりで茶番をしやがって。とっくに他に移した後なんだな?」
「いや、私はそんな事は」
「そしてこの部屋を徹底的に探して出て来なかったら、見当違いの濡れ衣だと公言して、二重に恥をかかせるつもりだろう!?」
「クレスタ殿、それは誤解というもので」
ローバンにしてみれば意味不明な言いがかりを付けられたことで困惑した顔になったが、クレスタにしてみれば惚けた以外の何物にも見えなかったため、憤怒の形相で彼に組み付いた。
「共同で鉱山開発をしようなどと持ち掛けて、『お近づきの印に娘を差し上げます』などと殊勝な事を言って、このあばずれを送り込みやがって! 人を馬鹿にするのも程があるぞ! 最初からこれが目的だったんだな!?」
「侯爵、ちょっと落ち着きたまえ!」
「クレスタ様! それは何かの誤解ですわ!!」
「しらばっくれるな!! 貴様は最初から、我が家の栄誉を妬んでいたんだろう!! 分かっているぞ! 貴様は先祖のコネで役職を貰って、近衛騎士団に所属中、方々から極潰し扱いされていたからな!!」
クレスタがそんな暴言を吐いたことで、ローバンも相手の胸倉を掴みながら怒鳴り返す。
「何だと!? 貴様こそ、文官としても武官としても物の役に立たなくて、侯爵家の嫡男と言うだけで家督を継いだ能無しの癖に!! しかも先祖の威光を笠に着て、見苦しいのが甚だしいぞ!!」
「やっぱりな。それが貴様の本音か。二度と貴様とは手を組まん!! 覚えていろ!!」
「それはこっちの台詞だ!! 二度とその顔を見せるな!!」
「あなた!! クレスタ様!!」
互いに悪態を吐き、相手を突き飛ばす勢いで手を離した男達は、争うようにアルティナの部屋から出て行った。その後をギネビアが慌てて追いかけていき、漸く室内に静寂が戻ってくる。
「……修羅場でしたねぇ」
この間、傍観していたユーリアがしみじみと感想を述べると、アルティナは薄笑いで応じた。
「家探しされても、支障はなかったけどね。証拠はないし」
「ですがこれで、鉱山の共同開発の話は立ち消えですね。そんな話があった事自体、初耳でしたが」
「確実にそうでしょうね」
そして涼しい顔で元通り椅子に座り女二人で刺繍を再開していると、険しい顔をしたギネビアが戻って来てアルティナを叱責した。
「アルティナ!! あなた一体、何をしたの!?」
「さあ……。私にも分かりません。クレスタ様が何も仰らなかったので」
「ふざけないで。暫く食事抜きよ! 部屋からも出る事は許しません。少しは反省なさい!!」
当然しらばっくれたアルティナに怒りを増幅させたギネビアは、吐き捨てるように厳命して足音荒く立ち去って行った。それを見送りながら、ユーリアが皮肉気に囁く。
「あらあら、お食事抜きだそうですよ? アルティナ様」
「庶民の子供のお仕置きじゃないんだから……。兵糧攻めにしたら、泣いて詫びを入れると本気で思ってるのかしら?」
「思っていますよね?」
そこでアルティナは、楽しげにユーリアに笑いかけた。
「それならせっかくだから、お母様のお仕置きに付き合ってあげないと悪いわね。健気で親孝行な娘としては」
「アルティナ様。明らかに『健気』と『親孝行』という言葉の使い方を間違っています」
にこやかに主が告げた突っ込みどころ満載の内容を聞いて、思わずユーリアは項垂れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます