19 お茶会前のお勉強

 少しだけ後悔している事がある。

 ルディが去った後、リフレッシュも兼ねて興味本位で厨房を覗いたのだ。

 そしてそこでは、今正に剣が振り下ろされる瞬間であった。

 剣であって、包丁ではないところがポイントである。

 それも剣を振りかぶっているのが細身の女性で、その一閃を甘んじて受けようと強く目を瞑っているのが背の高い男性である事に驚いた。

 ちなみに、どちらもエプロンを着ていたので、間違い無く厨房のスタッフである。


「ちょっ、まっ。タンマだー!」


 そう大声を出すと、しりもちをついていた男性と、今にも剣の刃が男性に襲い掛かろうとした瞬間に動きを止めた女性が一気にこちらを振り向いた。

 女性はエメラルドグリーンの肩まである髪をポニーテールに結っており、ルディ達も身に付けていた帽子以外はパティシエの恰好をしていた。女性の方はエプロンも合わせてクリーム色の服装。金色の刺繍が施されており、その雰囲気は高貴さを感じる。目は吊り眼で、肌が色黒だ。

 男性はというと、涙目になりつつ茶色く短い髪を少し整えていた。パーマのかかった髪をいくら直しても元の状態に戻っているのだが、それは雰囲気と心の問題か。

 エメラルドグリーンの瞳は、女性とは反対に垂れ目で、肌も色白。服装もチョコレート色で、女性とは立場が違う事が分かる。しかし服装のデザインそのものはそれほど違わないようで、やはりどちらも厨房関係者である事は間違い無さそうだ。

 とにかく、二人して肩で息をしているほど興奮していたのだが、俺を見て少しは落ち着いたらしかった。その理由はすぐに判明する。


「賢者様が、何故ここに?」


 そう問うてきたのは女性で、剣を鞘に収めつつ、髪と同じ緑色をした瞳で睨むようにこちらを見つめる。俺が賢者である事を知っているようで助かった。少なくとも不審者とは思われていない事を願う。


「いや、俺はその。料理が趣味だから、厨房を見てみたいと思ってここに来た」


 半分は正解で半分はそうでもない理由である。厨房に興味があったのは本当だが、趣味ではない。しかし趣味でもなければ、城の奥まった部分にあったこの厨房まで足を運ぶような理由が思いつかないのだ。

 ところで、だ。

 先程この女性が、何故男性を切りつけようとしたのか。

 今さりげなく周囲を見渡して、何と無く原因が分かった気がした。

 厨房の外にいても分かる甘い香り。テーブルに散乱するお菓子の破片。クリームと黄色いスポンジが付いた銀色のフォーク。


「ああ、うん、犯人は貴方だ」

「うわわ。す、すみませ、あ、いえ、申し訳ありません。つ、つい『まかない』だと勘違いを……」

「問答無用! 陛下と賢者様の茶会用に作った菓子を、無断で食ったのだ! その罪、万死に値する!」


 状況が、俺が来た時に巻き戻った。


「いや、待て待て。そういった注意書きはあったのか?」

「む、無かったが、明らかにまかない用に作る料理とは一線を画する精緻な細工をしておいたのだ。見れば分かるだろう!」


 再び剣を鞘から抜き取った女性は、その刃先を未だにしりもちをついたままでいる男性に突きつけ、俺を睨みつけた。

 うーん。


「うん。それならどっちも悪くない」

「なっ」

「ほっ」


 女性は信じられないと言うような表情、男性は明らかに胸を撫で下ろすが、俺はすぐさま口を出す。


「勘違いはしないで欲しい。まず、そういう精緻な細工とやらを作るのにも練習が必要だ。茶会は急に決まった事だし、知らない人がたくさんいるはず。なら、その知らない人が、何の注意書きも添えられていない食べ物を食べても、文句は言いづらい」

「ぐぅ……」

「そうですよぉ。僕だって悪気があって食べたわけじゃ……」

「一応、貴方にも責任はありますよ?」

「ほぇっ」


 間抜けな声を出したが、男性は無表情に近い顔で俺を見つめてきた。


「だって、無断で食べたのでしょう? 注意書きが無いとしても、確認くらいは取るべきです。仮に彼女が厨房から離れていたのだとして、そこは誰かが来るまで待つのが道理でしょう。よってこれはどちらも悪いですが、結果的にどっちもどっち的な状態というわけです」

「「むぅ」」


 至極当然の事を言ったまでだが、2人とも不満げにお互いを睨みあっていた。

 というか、どう見ても男性の方が立場は弱そうなのに、女性との睨み合いは均衡を保っているようだな。何かあるのだろうか。


「はあ、もう良いわ。ケンカよりも、今は急いでスイーツを作らないとね」

「手伝います」

「いやいや、賢者様の手を煩わせちゃいけない。3時までにはちゃんと用意するよ」


 ただ今の時刻、1時。26時間表記で言えば14時だ。あと2時間、だな。

 ケーキの類は1時間もあれば何とかなる。その他も同様。さっき言っていた精緻な細工がどれくらい精緻なのかは分からないが、彼女は、自信はあるようで余裕が見える。

 いくつかの作業を同時進行でやれば、お茶会に使うという数種類のお菓子も余裕を持って用意できるのだろう。そうでなければ彼と話している余裕すら無いだろうからな。

 ただ、だからといってここで引きたくなかった。

 俺はたしかに料理屋菓子作りが趣味というわけじゃない。だが興味はある。妹やタツキに料理を作るのは俺だったし、今後もレパートリーを増やして行きたいのだ。

 異世界風味の料理とか、面白そうじゃん。

 これは本音である。


「そう言わずに、手伝わせてください。作り方さえ教えてくだされば、あとは迷惑をかけませんので」

「ふぅん?」


 彼女の目を真っ直ぐ捉えて協力を請うと、彼女は舐めるように俺を見始めた。

 その視線は手、腕、足などを移動し、1分間じっくり見定めて、ようやく外される。


「ふふ、良いね。良いよ。よし、ちょっと待ってな」


 女性は厨房の端まで移動して、金属製のロッカーらしき箱から、彼女と同じく、クリーム色のエプロンを取り出した。

 そして、俺に差し出す。


「さすがにその服じゃやりにくいだろうさ。使いな」

「えっ、えっ、でもそれは……」

「黙りな。私に指図するんじゃないよ」


 何だろう。今の会話を、何処かの海賊物語で見た気がする。

 強気な態度が、思わず「姐さん」と呼びたくなるような。

 それに、何だろう。胸から膝までをカバーする布製のエプロンなのだが、男性が驚くような要素はこれと言って無い気がする。

 あるとすれば、このエプロンがこの女性と同じクリーム色だという点だろうか。

 あ、もしかして、俺は男性なのに、女性が自分の替えのエプロンを渡したから、かな。

 まあ、後で聞けば良いか。


「じゃ、まずは自己紹介ですね。俺は風羽 翠兎。賢者って事は知っているみたいだから……。菓子作りはそれなりに出来る方、だと思う。よろしく」

「私は― マーレル=ジェルアトーレ ―さ。この城でパティシエールを勤めているよ。ランチやディナーに出てくるデザートは、全部私が担当しているのさ」

「僕は― クロッチェ=ジェルアートル ―。同じくパティシエ見習いだ。マーレルさんとは従姉弟だけど、僕よりマーレルさんの方が、数十倍は腕が良いよ」


 ひょろ長い体躯をした男性、クロッチェさんもパティシエか。じゃあ服装の色が違うのは身分が違うからだろうな。


「で、お茶会用のお菓子ですけど」

「……クロがほとんど食べつくしちまったからね。予備も含めて多めに作ったはずだけど」


 マーレルさんがクロッチェさんを一瞥すると、クロッチェさんはまたもや肩を震わせた。


「ぼ、僕も手伝います」

「当然さね」


 大きく溜め息をついて、女性はもう一度俺の方へと目を向ける。


「さて。これから作る物だけど、賢者様、ケーキの作り方は?」

「何のケーキかはこの際置いておきますが、基本は粉や牛乳などを混ぜた生地を一定の温度で焼き、それをクリームやフルーツ、砂糖細工などで飾り付けますよね」

「ふむ。材料の呼び方なんかは違うだろうが、材料そのものや作り方なんかはそう変わらないかもしれないねぇ。じゃ、私はチョコレート系の菓子を作ろう。クロ、あんたは冷たいデザートに専念しな。冷たくて、美味しい物なら文句は言わない」

「俺は……」

「賢者様はケーキを作ってくれ。ショートケーキでもチーズケーキでも良い。オーブンは1人2個まで使える事にしよう。ああ、オーブンの使い方は使う時に聞いておくれ」

「了解」


 めちゃくちゃアバウトな指示だなー。なんて事を思いつつ、ショートケーキを作りたいとは思っていた。あとは、あ、ハルカさんがいるし、パウンドケーキでも作るか。

 美味しかったらしいし。うん、そうしよう。さすがにあの時と同じ材料は無いだろうけどさ。

 ……。


「あの、ベーキングパウダーってあります?」

「あるよ。ウタギ粉はー……あ、そこの棚の中さ。ちゃんと書いてある」


 ん? ウタギ粉?

 全く違う物を言われた気がするが、言われた棚を覗くと、たしかにベーキングパウダーと書かれた袋が数個置いてあったので、使わせてもらおう。


「あとはバニラオイル、いや、バニラでもあれば」

「ヴェーネットなら冷蔵庫の中だ。ちゃんとオイルになっているから、手間は要らないよ」

「あ、はい」


 ヴェーネット?

 これもまたバニラオイルと書かれた瓶があった。

 ふーむ。

 もしかして、ベーキングパウダーがこっちで言うウタギ粉。バニラがヴェーネットと呼ばれているのだろうか。だったら、俺達の使っている言語とこっちの人達が使っている言語は違う……。

 待て待て。俺がベーキングパウダーと言ったら、あっちがウタギ粉と言った。ということは、何かしらの力によって勝手に翻訳されているという事だ。

 文字は最初から分かるけど。

 じゃあ、俺がよく分からない言葉の意味を尋ねたらどうなるのか。

 俺は同じく冷蔵庫にあった、カタカナでゼロモートと書かれているガラス製の器を取り出す。


「あの、これは何ですか?」

「ああ、これはね、ゼロモートだよ。えっと、水を入れるとある程度固めてくれるよ。プリンとかゼリーに使うんだ」


 ゼラチン、という事だろうか。

 と、認識すると同時に、ゼロモートと書かれていたはずの表記が『ゼラチン』に置き換わった。

 なるほど、自分が理解していれば、こっちが勝手に理解出来る言語に置き換わるらしい。昨日の朝食の、ゼスミ茶。あれがジャスミンティーなら……。


「そういえば、ジャスミンティーってゼスミ茶なのですね」

「ああ、そっちでも『ジャスミンティー』なのかい。面白いねぇ」


 やっぱりそうだ。今の台詞、マーレルさんには「ゼスミ茶はゼスミ茶なのですね」と聞こえていたはず。これは、俺が住んでいた世界で使っていた言葉と、こちらで使われている言葉をすり合わせる必要性がかなり濃厚になって出て来たわ。

 そんな事を考えていると、


【 熟練度が一定に達しました 言語理解Ⅰ が 言語理解Ⅱ になりました 】


 何か聞こえてきた。


 ……。


 何か聞こえてきた!


 大事なことだから二回も言ったけど、女声の機械音声が聞こえてきたのだ。

 熟練度、とか言っていたよな。

 うーん。ステータスに何かありそうだが、菓子作りは基本的に集中していないといけない。

 ボウルを2つ用意して、それぞれに材料を入れて混ぜる。片方のボウルからもう片方へと材料を移したり生地の一部に色々混ぜて戻したり、そんなこんなで出来上がった生地を、四角い型に流して、表面を平らにならす。それから予熱したオーブンへ入れて10分、と。

 粉の量、バターの量、卵の量を計り、それらを混ぜて生地を作る。

 それを、シートを敷いたパウンド型に流し込んで、予熱したオーブンに入れる。時間は確か、40分から50分ほど。オーブンの横に分表記があるメモリがあったので、40と50の間へメモリが来るようにすると、ゆっくりとだが動き始めた。これでよし。


 準備しているだけで一つ目が焼き上がったので、取り出して荒熱を取る。さて、この間にまだ作りたいものがあるぞ。

 さっきも言ったショートケーキ。今回は俺の知っているイチゴが、かなり大きいようなので、イチゴとオレンジをふんだんに使ったフルーティな一品にしようと思う。

 材料の一部を人肌になるよう温めながら混ぜ合わせ、ハンドミキサーがあったのでそれを使って泡立てたら、薄力粉を少しずつ混ぜて、と。温めたバターと生地を牛乳と共に合わせてもとの生地に戻して混ぜる。で、バターの筋が無くなったら円い型に流し込んで焼き上げる。

 こっちは30分くらいだったよな。温度が既に調節し終わったオーブンに入れて、よし。

 次はクリームだ。マーレルさんがチョコレート系を扱うと言っていたから、それは避けていこうか。となると自然とバニラとかになるな。

 まあ、今回はそれほどこだわらなくてもいいか。



 まあ、かなり大雑把な説明ではあるが、要するに混ぜて焼いて塗って切っただけだ。うん。

 これでよし。

 適当に切ったフルーツを、適当に塗ったクリームに乗せたショートケーキ。

 同じく適当に切ったフルーツを、イチゴ風味のクリームと共に生地へと乗せてクルクルと巻き上げたロールケーキ。

 更にほとんど装飾は施していないが、その代わりにクリームを別に用意したパウンドケーキ。切った負ルーツ、というかイチゴが余っていたので、適当にジャムにして同じく添えておいた。

 いやあ、今日のイチゴはかなり大きいぜ。それも、味を確かめようと食べてみたらかなり甘くて、酸味も程好かったのだ。

 この世界のイチゴ、凄い。

 それと、マーレルさんが作ったチョコレート。一口サイズのぼんぼんショコラをメインとして、チョコマフィンやチョコチップクッキーもある。

 何か呼びにくいから、途中からクロさんと呼ぶようになったクロッチェさんだが、レモンソルベやコーヒーゼリーなど、甘い味のスイーツを作っていなかった。

 これがあれば、味に飽きが来ない。

 俺とマーレルさんをちゃんと見ているからこそ出来たスイーツだった。


「よーし、出来たね。クロ、一部運びな。茶会まであと30分だ」


 そういや、テラスまでかなり距離がある。

 俺もそろそろ行かなければ。


「あ、賢者様。よければ一緒に行きません? 近道、教えちゃいますよ~」


 クロさんがそう提案してきた。

 断る理由も無いので、俺も一部のスイーツをワゴンに乗せて行く事にする。


「で、近道って何ですか?」

「うん。アヴァロードを使う方法だよ。やり方がちょっと難しいけど、君なら大丈夫そうだ」


 またもこちらの言語だったが、案内された先にあったのはエレベーターだった。あの、箱の中に入ると、上や下に行き来することが出来る装置である。

 なるほど、これなら階段をいちいちのぼる必要も無いわけだ。


「使うには相応の魔力がいるよ。一階につき、MPは10だったかな。でもまあ、僕の魔力なら大丈夫だし平気平気。さあ乗ってー」


 軽く三畳を越える広さのエレベーター。チリ1つ無い床に、よく磨かれた壁と天井。その全てが俺を反射して映し出す。

 掃除が行き届いている事を実感し、また、やはりこの世界がSFなのではないかと疑う。

 どう見ても、普通のエレベーター。

 高級なホテルとかにならあるような、そんなエレベーターなのである。

 階数はB7から40まで。扉は前と後ろの2つで、今回入ってきた方の扉から見て左の壁に階数と同じだけのボタンが並んでいた。

 何が難しいのかを聞いたところ、ボタンを押し、その階に着いて、開いた扉から出る際に、よく出るタイミングを間違えて閉まる扉に挟まれる事があるのだそう。

 挟んだ瞬間にちゃんともう一度開いてくれるので、横転したために捻挫したなどのケガはあったものの、死亡するケースはまだ無いらしい。

 そりゃあな。

 エレベーターに挟まれて死んだなんて、後味悪いよな。


 ちなみにだが。


 扉が開いてから閉まるまでは、かなり時間があったので、俺とクロさんが出てもまだ開いていた。

 あれで挟まれるなんて、どれだけトロイ奴なのだろうか……?

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