笑いの星

機人レンジ

笑いの星


 とある笑い上戸の男がいた。その笑いやすさは遺伝子の突然変異によるものだった。なので、本人の意思ではどうにも笑いを堪えられなかった。猫のあくび、月の満ち欠け、公園の遊具のさび。ありとあらゆるものを見ては、ゲラゲラと笑い転げるのだ。


「やぁ、みんなおはよー! アッハッハ! 今日もよろしくねー! アッハッハ!」


 その日もいつものように、彼は近所の人々に挨拶しながら仕事に出かけた。空は分厚い黒雲に覆われ、ときおり不吉な稲光が瞬いた。こんな時でも、男はみんなが自分みたいに笑顔で生きていれば、もっと幸福になれるだろうなどと考えていた。


「今日も悪い天気だなー! アッハッハ! ゴロゴロ音も鳴ってるー! アッハッハ! 雷でも落ちなければいいなー! アッハッハ!」


 彼の予感は的中した。一瞬、世界が真っ白になったと思った刹那、稲妻が男を直撃した。


「アッハー!」


 彼の断末魔は、脳天に落雷を受けた瞬間発したひと際甲高い笑い声だった。男は笑みを浮かべたまま大やけどを負い、そのまま死んだ。


 そしてその時、奇跡が起こった。雷の落ちたショックが原因なのだろうか、比較的軽傷だった細胞が、奇異な変化をした。それ自体が生きたウィルスとなったのだ。


 男の死体から離れたウィルスは、次々と他の人間たちに感染していった。


 最初に異常が発生したのは、彼の死体を運ぼうとした若い救急隊員だった。


「ひどい火傷ですね。ものの見事に直撃してしまってる。まったく不幸としか言いようがうふふふふ……」


 唐突に笑いを漏らし始めた隊員に対して、同行していた先輩隊員がたしなめた。


「おい! 仏さんを前に笑うんじゃない!」


 しかし、若い隊員は我慢がきかず、とうとう破顔した。


「アッハッハ! 違うんです急にアッハッハ! 笑いが止まらなアッハッハ! お願いたすけアッハッハ!」


 結局、隊員は死んだ男と共に病院に搬送され、一通りの検査を受けた。そして謎の新型ウィルスが見つかることとなる。


 ウィルスを発見した病理医は言った。


「いったいこれは何なんだ? その他の感染症と違って、症状といえばひたすら笑い転げることだけだ。なぜ、どういう仕組みで人間にこんなことをイッヒッヒ!」


 お笑いウィルスの感染力は驚異的だった。インフルエンザと同じ空気感染だったので、感染した者は笑うと同時にウィルスを口から外に巻き散らす。そして周囲の人間たちに感染すると、再び堪えようのない笑い声をあげさせ、さらなる感染を引き起こすのだ。病理医はそれに気が付いていたが、ひたすら笑い転げてしまうので喋ることもものを書くこともできず、この事実を誰にも伝えられないまま精神病院に送られてしまった。


 笑い上戸の男から生まれたウィルスは、ゆっくりと感染者の数を増やし始めた。


 志望していた大学に合格できなかった受験生がいた。ひどく落胆してしまったので、母親は息子を慰めようとした。


「心配ないよ、また来年がんばればウッフッフ! きっと次は合格アッハッハッハ! だから元気を出してアーッハッハッハ!」


 家族からも馬鹿にされたと絶望した受験生は、次の日に首を吊った。


 新しい内閣が組織され、総理大臣が就任演説を行った。


「えーっ、このように経済の低迷は誠に火急の課題でありまして、必ずやヒッハッハ! い、いや失礼しました。 必ずや我が経済対策によってフォッホッホ! う、うぉっほん! 必ずや我が経済対策によって国民の皆様の生活を守ると誓う次第でファーッハッハッハ!」


 この一軒により、新総理大臣は国民の支持を得ること叶わず、わずか一週間で辞任に追い込まれた。


 とある旅客機の機長が、目的地の国の空港に着陸しようとした時だった。


「こちらA-105便。まもなく着陸態勢にイーヒャッハッハ! う、うぐっ! これから着陸態勢に入る!」


 通信を受けた管制官はいぶかしんだ。


「こちら管制室。A-105便、何を笑っているんだ? 大丈夫か?」


「も、問題ない。まもなくアプローチにはいギャーッハッハッハッハッハ!」


 機長は腹を抱えて笑った。操縦桿から手を放した為、旅客機は間近に迫っていた滑走路に急降下していった。副機長がなんとか持ち直そうとしたが、間に合わなかった。旅客機は墜落、炎上した。


 こうして世界進出に成功したお笑いウィルスは、さらに感染を広げていった。


 二つの世界的大企業による会議が催されていた。この話がまとまれば、両社は合併し、世界の金融市場に大きな影響を与えるのは間違いない。


 一方の会社の社長が賛辞を述べた。


「わが社と御社が一つになることは、誠に光栄の極みでフフフフ……これで他の企業が並び立てぬほどの巨大組織がファーッヒャッヒャッヒャ!」


 突然の大爆笑に、相手の社長や専務たちも面食らい、そして困惑した。


「いったいどうしました? 狂ってしまわれたのですか、あなたは?」


 お笑い病を発症した社長は必死に弁明しようとしたが、どうにも抑えられない。


「ち、違うんです! なぜか笑いがヒャーッファファファファ!」


 こうして、多くの苦労を重ねて実現されようとしていた大合併はご破算となった。発狂した社長の率いる企業と合併したいと考える者などいないからだ。まさかの事態に、金融市場も混乱し、株価は記録的な暴落をした。いくつかの中小企業はこの影響で倒産し、あちこちの都市に失業者があふれた。


 長年対立を続けてきた二つの国があった。血で血を洗う戦争を繰り返した末、ようやく和平交渉が開かれることとなった。


 一方の国の大統領が口を開いた。


「我が国も、これ以上犠牲を出すことは好みません。今後はぜひ、そちらと友好的な関係を築きていきたい。それが嘘偽りない本意です」


 もう一方の国の指導者も、厳粛に言った。


「我々も、あなた方と同感です。これからは、文化的、経済的な協力関係を築き上げぇーヘッヘッヘッヘ! ともに大切な友としてグァーハッハッハッハ!」


 指導者は、既にお笑いウィルスに感染していた。しかもその笑い方はかなり下品だった。


 大統領は憤慨した。


「なっ、なぜ笑う! このような場でその態度、我が国を侮辱しているのか!」


 つもりに積もった怨恨を晴らす場でのこのような振る舞い、とうてい許されるものではない。直ちに大統領は軍隊に進軍を命じ、和平はご破算。両国の大地は死屍累々となった。


 全世界が、お笑いウィルスのパンデミック(感染爆発)に襲われた。発見の報告が遅れたことと、治療法が一向に見つからないことが、感染の拡大に拍車をかけた。高熱や発疹、下痢といった従来の症状に対する治療では、感染した患者の笑いを止めることは不可能だった。

 

 とまらない笑いは人々の日常生活に大きな不便をもたらし、国際情勢と経済活動を不安定にさせた。だが、もっと大きな問題が発生していた。


 ある国で宝くじを買った女性がいた。くじを買った数日後、彼女が新聞広告に載った当選番号を確認すると、一等賞が当たっていた。その金額は一生食うに困らないほどだ。


「やったわ! これであたし大金持ちよー! アハハハハハ!」


 これが彼女の運の尽きだった。お笑いウィルスに感染したと勘違いした彼女の隣家の住民が、ライフルを持って彼女を襲撃し、銃殺したのち家に火をつけた。自らに感染することを恐れての凶行だった。


 お笑いウィルスは、決して人を死に至らしめない。ただ笑いを引き起こすだけだ。普通の人間には、自然な感情による笑いなのか、ウィルス感染による笑いなのかを区別するのは難しい。笑うことがふさわしくない場で、笑ってはいけないタイミングで、ウィルスは本人の意思に関係なく笑いを引き起こした。それが引き起こす社会的混乱が、人間と人間同士を殺し合わせた。肉体的にも、社会的にも。


 感染者とそうでない者を区別するために、可能な限りの笑顔と笑いの自粛が、世界中で実施された。以来、コメディアンは死の運び屋として迫害を受け、ピエロは死神とののしられた。笑いに関するメディアは何もかもが禁止され、それでも笑みを漏らす者は感染者と疑われた。


 感染の疑惑をもたれた者に待っている道は二つ。ほとんどの感染者は、劣悪な環境の隔離収容所に閉じ込められ、いつ治るともわからぬまま、薄暗い独房のような部屋で笑い続けた。中には収容を拒み、人気のない土地に逃げ込んだ者もいた。そんな人間に待っているのはもう一つの道。


 感染者を取り締まる組織があった。「お笑い根絶特捜隊」と呼ばれた彼らは、ゲラゲラ笑っている者を発見次第、すぐに火炎放射器を持って現場に駆け付けた。そして保菌者であるターゲットを見つけると、直ちに焼却処分をする。収容所に入らなかった者は、そうして炎に焼かれ、物言わぬ灰となった。


 治療法も予防法も見つからないのでは、感染者を閉じ込めるか、燃やす以上の感染拡大防止策はなかった。死体や灰は人里離れた遠隔地に運び込まれ、地下に埋められた。


 こうして、多大な犠牲を払いながらも、徐々にウィルスの猛威は弱まっていき、感染者の数は減少傾向へと転じた。


 ところで、この話を読んでいる皆さんは、ガイア理論というものをご存じだろうか。地球とそこに暮らす生き物は、相互に環境を維持し作り出す関係性にある。つまり、地球も一つの巨大な生命体であるとする考えだ。とりあえず、このことは頭の片隅に置いておいてほしい。


 お笑いウィルスとの戦いは、200年の間続いた。そして人類は勝利した。


 最期の感染者の焼却処分が終わった直後、世界中で祝賀のパレードが開かれた。美しい花火も、派手な演出も、人々の笑顔もなかった。ただ淡々と、真顔の人々が街の中を行進するだけだった。申し訳程度にBGMも流されたが、それはモーツァルトのレクイエムだった。この曲ならば、どうしたって笑う気にはならないからだ。もちろん、これまでのウィルスの犠牲者に対する鎮魂の意味もある。


 人間が笑顔というものを抹殺して100年が経っていた。笑いがどんなものなのか、知らない人々がいまや大半だった。しかしそのおかげで、地球上はかつてない平穏な時代を迎えていた。笑いの封印は、感情に惑わされず、冷静に思考する人間たちの誕生を促進し、人類史上かつてない合理的思考による社会運営がなされていた。


 無表情になった世界中の人々は今、山の頂に、ビルの屋上に、高台の上に上り、朝日が昇るのを待ちかねていた。お笑いウィルスを根絶やし、最高の人類文明誕生の夜明けを見るためだ。


 太陽が水平線から上がってきた。暖かいオレンジの光が差し、感情を失くした人間たちに降り注いだ。


 その時だった。


 道路に散らばったごみを漁っていたカラスが鳴いた。カーッカッカッカッカ!


 庭先に繋がれていた犬が鳴いた。ワーン、ワッワッワッワッワン!


 動物園の檻の中にいた像が鳴いた。パオーッパッパッパッパオン!


 海の中を泳いでいたイルカも鳴いた。クーックックックック!


 世界中の動物たちが雄叫びをあげた。いや、それは雄叫びではなかった。


 人類が多くの同胞たちを殺してまで抹殺したかったもの。


 笑いだった。


 動物たちは笑っていた。筋肉の構造上不可能なはずなのに、すべての生き物たちの口角がつりあがっていた。まるで笑顔のように。


 人に感染するお笑いウィルスは、確かに全滅した。しかし、地中深くに埋められた死体から生き残ったウィルスは人間から宿主を変えることによって生き延びた。そして人間を除く、全生命体に感染することに成功した。


 地球上が、生き物たちの笑い声で溢れた。人類は、それでも無表情を崩さなかった。動物たちの笑いを忌避するかのように耳をふさぎながら、朝日が完全に昇るのを待っていた。


 ところで、先述したガイア理論によれば、地球自体も一種の生命体であるということだった。ということは……。


 太陽が天空に上った。そして、全地表が揺れた。


 世界各地で大地震が発生した。そして火山が大規模な噴火を起こした。

 

 噴火は奇妙なリズムをとっていた。それを擬音に表すと、おおよそ次のようになる。



 ドーッドッドッドッドッドッドカァーーーーーーーーン!



 地球が、笑っていた。地球はお笑いウィルスに感染した。それは感染者をやみくもに地中に埋めたために引き起こされた。身体の中に大量の保菌者を埋められた地球は、一つの生命体として、もはやウィルスに抵抗することはできなかった。


 各地に火山灰が降り注ぎ、マグマが地表をなめつくした。地割れが大地を割き、驚きもしない人々を飲み込んでいった。


 地球の天災を伴う笑い声と、動物たちの笑い声が頂点に達した時。


 朝日を見つめていた一人の男が、お腹に手をやるとうずくまった。何かを堪えるように。


「ウッフッフッフッフ……」


 それを皮切りに、世界中の人間たちが、笑みを漏らし始めた。そして。


「あぁぁぁぁぁあぁぁぁああぁああっはぁぁっはっぁっはっぁはっはっはぁぁっはっぁははぁっはっはっはっは!」


 地球上を、動物と、火山と、人類の笑い声が響いて、満たした。人類がこんなに笑うのは200年ぶりだった。


 なぜこのような状況で、とつぜん人類は笑いを思い出したのだろうか。


 理由は至極単純だ。


 だって、こんなことになったらもう、笑うしかないでしょう?


 (終)

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笑いの星 機人レンジ @Trooper85

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