1999年6月29日 『誠実な真実』

 朝帰りなど何十年ぶりだろう。

しかも、仕事以外では初めてのことだ。

かみさんが生きていたら

とても出来はしないことだった。

昨日の手帳の走り書きは

昨日の日記のページに書き写した。

今日の日記は昨日の喫茶店を出た後からの

詳細を書くことにしよう。


あれからすぐ喫茶店を出て、

私達3人はタクシーを拾い、

15分程の沈黙をやり過ごして

ホテルへと着いた。

大きくて美しい

円筒状のファッションホテルだ。

そこら辺のホテルと違い、

一流ホテルを思わせる程の

風格と気品を兼ね備えている。

中途半端な罪悪感など、

この時点で吹き飛んでしまうだろう。

それくらいの存在感を醸し出していた。

入口を抜けると

螺旋の階段が2階まで続いており、

上りきると白と金を基調とした

広く豪華なフロアが出迎えた。

中央は大きな吹き抜けになっており、

ゴージャスなシャンデリアが

そびえ起つかのように下がっている。

見渡すと部屋は2階から上のフロアに

1フロア30部屋はあるだろうか、

その吹き抜けを囲むように

弧を描いて並んでいる。

口を開けたまま、

上を見上げる自分の姿が

鏡に映っているのに気付いて

一人で顔が暑くなった。

一瞬で我に返って二人に目をやると

驚いた事に

フロントに立っていたのは彼女の方だった。

パネルを見て最上階の部屋を指定した。


「3名様ですね。

 お泊まりですか?」


とフロントから

男性の抑揚の無い

マニュアル通りの声が聞こえた。


「えぇ」


とだけ彼女は答え、

支払いを済ませた。

カードキーを手に私達3人は

奥にある上り専用のエレベーターに

乗ったのだか、

私は緊張のあまり吐き気がしていて、

他の二人の様子を観察する

余裕など無かった。

今思えば、

あのエレベーターの監視カメラには、

私達はどう映っていたのだろうか・・・

私は明らかに保護者

という感じだったはずだが・・・

思い出すと、

今更ながらに赤面してしまう。

エレベーターのドアが開くと

目の前に先程の

大きなシャンデリアが

吹き抜けの下のフロアまで

突き抜けているのが見下ろせた。

シャンデリアを左手に見ながら

弧の1/3くらいのところに部屋はあった。

6011号室・・・

6011???

そんなに部屋数は無いはずだと、

神経をそちらに集中させようとしたが

ドアが開くと

強制的に意識を連れ戻された。

部屋に入るまで会話はなかった分、

自分で自分と会話をしていたが

覚悟を決める時が来たようだ。

私は何しようも無く、

部屋の隅に独りがけソファーを移動して、

いつも持ち歩いている

小説をとりだして腰かけた。

二人は、

あたかも夫婦か恋人同士のように、

当たり前に上着を脱ぎハンガーに掛けた。

その際、

彼女が、彼の上着を自然に受け取り

ハンガーに先に掛けたのが、

媚びた感じや、わざとらしさがなく、

女性の気品を感じさせた。

その指先と仕草に、色気すら感じた。

二人は誰に気を遣うでもなく

冷えたワインを取り出し

見つめ合いながら軽く乾杯した。

もちろんわたしにも勧めてくれたが、

物が喉を通る気がしなかった為、

丁重にお断りした。

程無くして、

二人は別々にシャワーを浴びたが、

普通ならレディファーストなんだろうが、

私に気を遣ってか、

彼は彼女に自分が先に浴びると告げ

バスルームへと消えた。

確かに、シャワー上がりの彼女と

二人というのはさすがに目のやり場に困る。

彼がシャワーを浴びてる間に

彼女が一言だけ私にこう言った。


「私も恥ずかしいんですよ。

 心臓が口からでてきそう。

 でも、なんででしょう・・・

 あなたには知ってて欲しいんです。

 ごめんなさい、

 無理を言ってしまって」


その言葉に私の吐き気も一瞬で消し飛んだ。彼が出て来る気配を感じ彼女は立ち上がって


「本・・・

 逆さまですよ・・・」


と可愛く笑って

バスルームへと向かおうとしたその瞬間、

バスルームから出て来た彼を見て

私達二人は息をのんだ。


「・・・」


それほどに、神々しかった。

バスルームの照明が逆光になり、

ただでさえ目を引く白銀の長髪が

水を帯び光り輝いていた。

例えるなら白銀の世界に佇む

銀狼とでも言おうか・・・

まさに孤高の美しさだった。


「惚れるなよ・・・」


と彼なりの照れ隠しだろうか、

だが冗談には聞こえないところが

なんとも・・・

そのノリのまま


「お~い

 聞いてるのか?」


と彼女に声をかけると、

彼女ははっとして

顔を覆ってバスルームへと駆け込んだ。


「あらら・・・」


と彼は笑っていたが、

その反応を見るに、

いつもの事のようだ・・・

ちょっと長いと感じたシャワーを終え、

彼女がバスルームから

ローブを纏って出て来た。


「ヒュ~~~」


彼が口笛を吹いた。

私も似合うもんならそうしただろう。

見違えて美しくなった彼女がそこにはいた。

改めて軽くメイクを施し、

シャワーで少し火照った体が

妖艶にローブを纏っている。

彼女の元々の美しさもあるだろうが、

これはそういう美しさではなかった。

オーラ・・・

まるでオーラを纏っているかのようだった。

しかも、

先程恥ずかしがって

バスルームに駆け込んだ彼女と違い、

自信に満ち溢れた気品すら感じた。

見とれている私に


「な~・・・

 こんなの見たら

 やめられはしないだろ・・・

 バスルームから出て来ると

 み~んなこうなっちまう」


と真顔で静かに微笑んだ。


「まさか・・・」


私が言うと


「おいおい、

 オレじゃない。

 いくらなんでも、

 そんなこと出来はしない。

 彼女らはみんな持ってるのさ、

 内に秘めた自分だけの

 『何か』をな・・・」


そう言う彼に彼女は黙って近づき、

目の前でそっと彼女自身の細く白い指で

ローブを紐解いた。

はらりとずれ落ちるローブ。

彼に勝るとも劣らぬ

優しい曲線で模られた

美しくもふくよかな肢体が現れた。

彼女に応えるかのように

彼も立ち上がり

その場でローブを紐解いた。

一糸も纏わぬその二人の姿に

私は釘付けになり、目が離せなかった。

二人は完全に二人だけの世界に堕ちていた。

それが私にはありがたかった。

あまりの神々しさに、

私にも恥ずかしいという

下世話な感情は消え失せていた。

二人はそのまま、

互いの全てを受入れられる者同士のように、

本当の『愛』を知っている者同士のように、

当たり前にキスを交わし、

見つめ合い、

求め合った。

それは、

まぎれもなく『行為』ではなく

『愛』だった。

時に優しく、

時に激しく

お互いを求め合い、

互いが互いの為に

愛を与えては受け取り、

受け取っては還してと、

心地よいリズムに身を任せていた。

愛のないはずの二人に、

どうして『愛』を感じたのであろうか・・・

もしかしたら、

愛が芽生えたのだろうか・・・

確かに、

お互い一目惚れしてもおかしくないのは

理解できる。

しかし、この短時間に

『好き』という感情は芽生えても

『愛』まで昇華するとは思えない。

『愛』とは

時間をかけて育まれるもののはずである。

だとすると、

そもそも私が『愛』だと感じたものが

本当に『愛』なのかということになる。

あの二人の間にあるものは

『何』なのであろうか。

興奮と冷静の狭間で漂う舟のように

不安定な感覚を

楽しんでいるかのようだった。

愛欲に溺れる事無く

『愛』を伝えるなど・・・

おそらく誰にでもできることでは

ないであろう。

そこには、人間の

醜さも愚かさ弱さも傲慢も欺瞞もなく

純粋な『誠実な想い』だけが

ただただ繰り広げられていた。

この光景は

『受入れた者同士』にしか

到達できないであろう

永遠に続く恍惚の聖地・・・

エリシオン・・・を

私に想像させた。

私は『来るべくして来た』のだと・・・

そのとき悟った・・・

どれくらいの時が経ったのであろうか・・・私はソファーで目を覚ました。

気がつくと

眼鏡がテーブルの上に置いてあり、

私には毛布が掛けられていた。


「おはようございます。

 目が・・・覚めましたか・・・」


私を覗き込む

『シャワーを浴びる前の』

普通に綺麗な彼女がそこにはいた。


「・・・おはよう

 ・・・いつのまに・・・」


「今・・・朝の6時です。

 コーヒーでいいですか・・・」


彼女は優しく微笑んでそう囁いた。


「いえ、今は結構です。

 ありがとう・・・

 ん?・・・

 彼は・・・?」


そう私が問うと、

彼女はもうひとつのソファーに軽く腰かけ、こう話してくれた。


「・・・永遠に続くかのような

 夢のような、

 めまぐるしくも安らぎに満ちた

 躯と心の快感と感情が、

 溢れる涙とともに私の躯を突き抜けて・・・ 気付いたら私は

 あの方の優しい腕に包まれていました。

 そして私の髪を

 何度もかきあげながら

 優しい瞳でこう言ったんです。

 『契約成立だ・・・魔法は解けない』

 って・・・

 そして

 『あなたのことをよろしく』

 そう言って・・・

 そのまま光りに包まれ

 気付いたら私は独りベッドに

 横たわっていました。

 夢幻とでもいいましょうか・・・」


と安らぎに満ちた笑みを浮かべ

私に教えてくれた。


「そうでしたか・・・

 良かった・・・

 と言うべきなんでしょうね・・・

 まったく・・・

 不思議な男だ・・・」


そこには、

畏怖も驚愕もなく

心地よい風が私達を優しく包んで

そっとすり抜けたかのような

清々しささえあった。


「はい・・・」


彼女は微笑んだ。

私達は顔を出し始めた朝日のなか、

それぞれ互いの還るべき場所へと

足を向けた。


「さようなら」


「さようなら・・・

 そして、ありがとう」


私が言うと、

軽く微笑んで会釈をすると

朝日の中へと消えて行った。

私は、ただただ感謝の気持ちで

彼女の背中を見送りながら帰路へとついて、

忘れぬうちに

早々にこの経緯と出来事をしたためた。

熟睡してしまっていたようだが

我が家につくと

いつもの安心感からか睡魔が襲って来た。

花音君への報告は夕方にすることにして、

仮眠をとることにする。

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