復縁。
「今日は少し多めです。ご確認下さい」
「はい、ありがとうございます」
女性の配達員から郵便物を受け取り、女は差出人と受取人を確認する。
間違いなく屋敷宛だという事を確認すると、纏め直して配達員に向き直った。
「間違いありません。お疲れ様です」
「ありがとうございます。では、失礼します」
配達員に無表情で労いの言葉をかける女。
不愛想で事務的に感じるかもしれないが、配達員はその一言だけでも笑顔で去って行った。
郵便に限らす配達員の仕事というものは中々理不尽な事も多い。
女の様に労ってくれる人間というだけでも、それなりに悪くない対応なのだ。
ただ配達員にとって少し残念な事を上げるとすれば、今日は少女を見られなかった事だろうか。
ペカーッとした笑顔でぺこりと頭を下げる少女の姿は、配達員にとって癒しらしい。
ぴっこぴっこ動いて女に付いて回っている時など、完全に目じりが下がってしまう。
次の配達では会えると良いなーと思いながら、配達員はバイクに跨って去って行った。
女は配達員がある程度離れた所で視線を切り、郵便物の確認を再度しながら屋敷に戻って行く。
基本的には屋敷に届く物は男宛の手紙ばかりだが、稀に使用人宛の手紙も有る。
そして今日はその稀にの日らしく、羊角宛の手紙が入っていた。
「差出人が、少しばかり嫌な予感がするな」
女はポソリと呟きながら顔を顰めていた。ただそれは予感というには確信めいた声音で。
人の嫌な予感とは往々にして「そう思う理由」という物が有る。
様々な要因を見聞きし、そこから導き出される答えを予想するからそう感じるのだ。
羊角に宛てられた手紙の、その差出人。
そこそこ名の知れた資産家からの手紙という事に。
「とはいえ、勝手に開く訳にはいかんか」
顔を上げ、他の手紙の処理を後回しにして羊角の下へ向かう女。
普段ならそれぞれの部屋に置きに行くのだが、先程の予感もあり直接渡したかった様だ。
すぐに羊角を見つけた女は表情を普段通りに戻してから手紙を差し出す。
羊角は首を傾げながら手紙を受け取り、宛先を見た瞬間眉間に皺を寄せた。
その時点で羊角にとって良い手紙ではないのだろうと察する女。
「・・・面倒事か?」
「ええ、まあ・・・ちょっと待って下さい。中を見て見ます」
羊角は手紙の中身を取り出すと、視線が流れるの度に不機嫌さが増してゆく。
読み切った後は大きく溜め息を吐き、手紙を女に手渡した。
女もそれならばと中身を確認して、最後まで読み切ると呆れた様な顔を見せる。
「復縁、か。これは予想外だな」
手紙の中に書かれていた物は、羊角に対する復縁を願う言葉だった。
先ず最初は謝罪から始まり、自分がどれだけ馬鹿だったかという事がつらつら書かれている
次に今の自分は独り身であり、いかに羊角を愛しているかという言葉が最後に綴られていた。
書かれている言葉から、おそらく離縁を願ったのは差出人からだろうという事が解る。
「あっちが一方的に捨てたのに、何を今更。旦那様から聞きつけたのかなぁ・・・」
「さて、自分で人を雇って調べたのか旦那様が要因かは解らんが、面倒なのは確かだな」
「そうですねぇ・・・無視しても良いんですけど、ご迷惑をかけしそうですね」
「少々無視が出来ない程、金を持っている相手だからな」
男は大きな屋敷で使用人を雇える程の資産の有る人間だ。
だがそれでも上には上が幾らでも居て、そういう手合いに喧嘩を売ると大変な事になる。
この差出人はその「喧嘩を売れない相手」なのだ。
「しかし、結婚していたのか。知らなかったぞ」
「・・・いいえ。奥さんと別れて私を妻にって話でした。結局私は捨てられて、そこから去るしかなかったんですけど。ほんと・・・近づく事すら出来なかった」
「成程。都合の良い話だ」
「ええ。本当に、都合の良い・・・私はあれだけ・・・!」
女に手紙を返された羊角は、手紙を破りながら唸る様に呟いていた。
その様子に復縁の方向性は無いなと感じ、ならばどうするかと考え始める女。
恐らく無視を通せば乗り込んでくる可能性すらある相手。
となると暫く羊角に暇を出し、友人にでも匿って貰う方が良いかもしれないと。
だがそんな風に考える女に対し、羊角はふふっと笑って見せた。
「会いたいって書いていますし、会いに行ってきます」
「大丈夫か?」
「ふふっ、もし危なかったら助けに来て下さい」
羊角は冗談めかして言うが、実際は獣の巣に飛び込む選択だと解っている。
それでも羊角は屋敷の人間に迷惑をかけるぐらいなら、巣に飛び込む事を選択した。
何よりも少女に迷惑はかけたくない。その一心で。
「わかった。行ってこい。どうにもならなかったら助けに行ってやる」
だから、女からそんな一言が返ってくるとは思わなかった。
とても力強く感じる、本当に助けに来てくれると信じてしまう声音。
いや、きっと本当に女は助けに行くだろう。口にした以上は絶対にやる人間だ。
けど羊角は、女が自分に対しそこまで言ってくれる事に驚いていた。
「・・・私は正直に言うと、旦那様と彼の差が良く解っていませんけど、それでも相手にするには面倒な相手って事ぐらい解ってます。多分、そうですよね?」
「そうだな」
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫ではない可能性の方が大きいだろうな。だから何だ?」
もうそれは決定事項だという強い言葉。それでもう、羊角は何も言えなくなってしまった。
胸に溢れる想いに思わず泣きそうで、余計に喋る事が出来なくなっている。
ああ、自分はここで働けて良かったと。こんな人が上司で良かったと。
私を捨てた男とは違う。自分を本当に大事にしてくれる人。
この屋敷に住めた事が、働けた事が、自分にとって幸せな事だと。
羊角は我慢しきれず、頬に雫が垂れていた。悲しい物ではない。嬉しい涙が。
そこにタイミングが良いのか悪いのか少女が通りかかり、ぴゃっと声を上げて驚きながら駆けて来た。
何で泣いてるの? と心配そうに羊角の手を握りながら顔を覗き込む少女。
その優しい様子が一層胸に来てしまい、羊角はしゃがみ込んで顔を隠してしまった。
泣き顔を見られるのが少し恥ずかしかったらしい。
「ん、ごめんねぇ・・・ちょっと待ってねぇ。お姉さん、すぐ・・・戻すから」
なるべく心配させない様にと普段通りの声音で応えようとするが、涙声が隠せていない。
少女は心配げに女に目を向けるが、女は「大丈夫だ」と言って去って行ってしまった。
そうは言われても顔を上げない羊角が心配な少女。
オロオロとその場を離れられず、けど少ししてフンスと気合を入れて羊角の頭に手を伸ばした。
そして羊角の頭を抱える様に持つと、優しく、優しく頭を撫で始める。
「うっ、くっ・・・!」
羊角は涙が引っ込みそうになっていた所だったのに、また感情がぶり返してしまう。
だけどそれは嬉しくて堪らないだけで、振り払うなんてする訳がない。
そうして暫く羊角は、少女の胸の中で静かに慰められ続けるのであった。
「ああああああ! もう私の馬鹿ぁ! こんなの二度と無いかもしれないのにぃ!」
復帰した羊角は先程の流れを記録出来なかった事にのたうち回り、完全に元通りである。
悔し気な叫びは余りに迫真であり、他の使用人達は完全な呆れ顔だ。
元気になった事は嬉しいけど、これはこれでどうしようと悩む少女であった。
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