友人。

 いつもの朝、いつもの起床、いつもの朝食、だったのだが、今日は少し違う事が起きた。

 普段通り寝ぼけている男を女が叩き起こし、その様子を眺めて「今日も二人は元気だ」と確認しながらもっきゅもっきゅと食事をほおばる少女。

 これが普通かといえば、常識で考えれば普通ではないがここでは普通の事なのだ。

 そんな三人の耳に、朝っぱらから電子音の鳴る音が届く。


「ああ、誰だよこんな朝っぱらから・・・げ」


 男はポケットに入れた携帯端末を取り出し、通話相手を確認すると嫌そうな顔をした。

 少女は食事を咀嚼するのを忘れて頬を膨らませながら、男の様子に首を傾げる。

 女が横から端末をのぞき込み、同じく嫌な顔を見せている事に殊更疑問を覚えた様だ。

 そして二人は嫌そうな顔のまま、電話に出る事は無く通信を切った。


「伝えてきますね」

「たのまぁ」


 女は食堂から出て行き、男は手を上げて女を見送る。

 二人とも顔は「面倒臭い」と出ているままで、少女の疑問はつのるばかりだ。

 そしてまだ頬を膨らませているが、その事に気が付いた男は噴出しそうになった。

 不思議そうな顔のまま、ぷっくり膨らんでいる様子はハムスターを彷彿とさせる。


「とりあえずその口の中の飲み込んじまったら?」


 男に言われて、自分の頬が膨らんでいる事に気が付く少女。

 少し恥ずかしくなりながら咀嚼して飲み込むが、焦ったせいでむせてしまう。

 ケホケホとせき込んで、涙目になりながら水を手に取った。


「あー、そういやこの子の事も説明するのか・・・いや、面倒だ。あいつならすぐ解んだろ」


 男の言葉は、喉が痛くて焦っている少女の耳には届いてい様だ。

 へにょんと垂れた眉のまま、まだ小さくけほっと咳を出している。

 一方その頃、食堂から離れた女は少年の下に向かっていた。

 そしてすぐに少年を見つけ、要件を手短に伝える。


「・・・旦那様が、来られるのですか?」


 先程の男への連絡。それは少年の祖父が勤めている家の主人からの電話だった。

 男の友人であり、少年がいつか帰るべき家の主。

 電話に出ていないのに来ると女が伝えたのは、いつもこのパターンで来るからだ。

 なので男は電話に出る事も無く通話を切った。どうせ切っても来ると知っている。


「気持ちは解るが、今のお前の主人は彼ではない。この屋敷の主だ」

「あ、す、すみません!」

「いや、すまない、お前の立場を考えれば当然だな。ともかく伝えたぞ。後をどうするのかは、お前の判断に任せる。別に今日一日休みにしても構わん」


 女はそう伝えると、返事を聞かずに少年の下から去って行った。

 今この場でどうするのかを問わず、少年がゆっくりと考えられる様にとの配慮だ。

 自分が結論を待っていれば、少年が委縮すると理解している故だろう。


 何だかんだと少年の事も可愛がっているので、こういう気遣いはしっかりしているのだ。

 ただしあの眼光は相変わらずなので、少年を怖がらせているのは全く変わっていないが。









「やあ、久しぶり。元気そうで何よりだ」

「お前、ついさっき電話したって解ってる? 解ってないよな?」


 男の友人は、少女達が食事を済ますとほぼ同時刻にやって来た。

 駐車場に勝手に車を止め、特に気にする事も無く玄関を開き、堂々と屋敷に入った。

 男はそれを予想はしていたが、いつもいつも同じ事をする友人に文句を言う。


「やあ、君も元気そうで何よりだ、君はいつも、いつまでも美しいな。いや今こそが君は一番美しいんだろう。君のような美しい方を世の男が放置しているのは理解できないな」


 だが友人は男が咎める事を一切意に介さず、女を口説き始めた。

 女はまた始まったとうんざりした表情を向けるが、それもやはり意に介さない。


「今日も脳が腐ってるようで何よりです。とりあえずその手が私に触れれば拳が飛んで来る事はご了承の上でお願い致します。肩を抱くな。腰を抱くな。触るなと言っている!」

「げはっ!」


 男以外に余り炸裂する事の無い拳が、綺麗に友人のボディーに突き刺さる。

 だが友人はくの字に居れるだけに留まり、足は震えがならも何とか立っている。


「ぐっ、くふっ、あ、相変わらずのパンチだ。良い足腰と背筋をしている」

「そうですか、何ならもう一発要りますか?」

「ふ、ふふ、そ、それが、君の愛と言うならば、いくらでもうけ――――」


 先程より強い踏み込みで放たれたボディーブローの前では、呻き声すら上げられなかった様だ。

 腹を抑えて崩れ落ち、ぴくぴくと震えている姿を見て、少年は完全に困惑の顏を見せている。

 何故なら友人は、自分の屋敷ではこのような姿を見せた事が無いからだ。


「う、うぐぅ・・・さ、流石に、いまのは、き、きついね」

「私の愛ならば何発でも、では無かったのですか?」

「で、出来れば、優しい抱擁が、一番うれしいかな」

「成程、ではこれでどうでしょう」


 女は苦しむ友人に手を差し出して立ち上がらせ、体を抱き抱えるように手を回す。

 そして力いっぱい抱きしめた。ベアハッグである。


「いだだだだだだだ! あ、でもこれはこれで!」

「おい、喜ばせてるぞ」

「どうやらその様ですね。失敗しました」

「あだぁっ!」


 女は友人を投げ捨てるが、それでも友人は女に嫌悪の目を向ける様子は無い。

 何故ならこの三人の関係は、昔からこの様な物だったからだ。

 男と同じく女には殴られ慣れている。


「あ、愛が痛い・・・」

「愛など欠片もありませんよ」

「ふふ、今日も照れ隠しが可愛いね」

「何年経っても私は貴方と会話が出来る気がしません」


 この噛み合わない、ある意味噛み合っているとも取れる会話も昔からずっとである。


「ところで、先程からこちらを眺めているあの子が、例の子かな」


 少女は三人の様子をコソコソと物陰に隠れて眺めていた。

 とはいえ角ががっつり見えているので、これっぽっちも隠れ切れていないのだが。

 見つかってしまった少女はおずおずと出て来て、友人にぺこりと頭を下げて挨拶をする。


「・・・ふむ、成程成程」

「おい、まさかお前そっちに乗り換えるとか言い出すんじゃねえだろうな」

「まさか、私の愛する女性は彼女以外には居ないさ」

「俺はこいつの何処がそんなに良いのかさっぱり解らん・・・」

「身近な人間の良さという物は得てしてわかり難い物さ、ふふっ」

「うぜぇ・・・あときもい。ほんと気持ち悪い」


 どや顔で言う友人に、一切の感情を隠さずに罵倒する男。

 二人は本当に友人かと疑いそうになるが、友人なのだ。


「で、本題だが、彼の仕事っぷりはどうかな?」

「ああ、正直このまま雇っておきたいな。あいつがそれで良いなら、だが」


 友人が来たという事で、一応は出迎えに来ていた少年は二人の会話に驚いた。

 男が自分をかってくれている、等とは思っていなかったからだ。

 この日初めて、少年は男の自分に対する評価をきちんと知る事になった。


 少女はその言葉を聞き、嬉しそうに少年の手を取ってブンブンと振った。

 それはお友達とまだまだ長く居れる、という感情の類だったのだが、少年に解る筈もない。

 顔を赤くしながら、相変わらず良く解らない感情のまま頷くだけであった。


「成程、ね」


 少年の反応を見て、何かを察した様子を見せる友人。

 だがその真面目な顔はすぐに消え、持っていた鞄から何かを取り出した。


「そうそう、今日これ持って来たんだけど。皆で遊ばないか?」

「あん? おま、これ・・・おい、大丈夫かよ、これ国内じゃ販売禁止だろうが」

「へーきへーき。ゲームいっこでどうにかなったりしないって」

「知らねーぞ、俺は」

「むしろこれで家が潰れて貴方が牢屋にでも入ってくれれば清々します」

「私がそんな事になったら君が悲しむだろう? へまはうたなげはっ!」

「だから腰を抱くなと言っている」


 三人はギャーギャーと騒ぎながら、男の自室に向かって行った。

 残されたのは結局状況が良く解っていない少女と、それに振り回されてる少年。

 少年は男に評価された事に喜べばいいのか、それとも本来の主人にさして声をかけられなかった事に悩めば良いのか、少女の柔らかい手を握りながら混乱している。

 少女はそんな少年に、とにかくニコニコと至近距離で笑顔を向けるのであった。

 少年が更に混乱したのは言うまでもないだろう。




「さっきの話だが、彼が望むなら、そうさせてやってくれ」

「良いのか? こっちとしちゃ有り難いが」

「ああ、仕事場としても良い所と知っているし、初恋は応援してあげたいだろう?」

「・・・貴方と意見が合うとは、久々に吐き気がしますね」

「ははっ、辛辣だなぁ。だがそういう所も君の魅力だと私は思うねげぶふぁ!」

「いい加減学習しろ。というか貴様、今尻を触っただろう。この程度で済むと思うなよ」

「・・・俺はもう勝手にゲームやってるぞ」


 少年の居ない所で、少年の行く先は半ば決定されつつあるのであった。

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